平賀源内とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

“エレキテル”で知られている

平賀源内

しかし、その実、彼自身エレキテルを”発明”したわけではございません。

彼はどこからか手に入れたそれを直し、復元しただけにございます。

ほかにも多芸多才の人と言われておりますが、さて一体どのような業績を成しとげたのか。

封建色濃い江戸時代の真只中にあってゆずらない自由奔放さ。

それでも、生活に追われさいなまれて。

思いがけず悲しい最後をとげることになります。

“江戸の奇才”と呼ばれた男の渾身こんしんの一生をふり返ってまいりましょう。

 

平賀源内はどんな人?

プロフィール
平賀源内

平賀源内
出典:Wikipedia

  • 出身地:讃岐国寒川郡志度浦(今の香川県さぬき市志度)
  • 生年月日:1728年
  • 死亡年月日:1780年1月24日(享年52才)
  • エレキテルを修理復元するなど多芸をきわめた

 

平賀源内の年表

年表

西暦(年齢)

1728年(0才)平賀源内生まれる

1752年(24才)

 長崎にて一年間本草学・オランダ語・医学・油絵などを学ぶ

 留学の後、藩の役目を辞し、平賀の家督を放棄する

1759年(31才)高松藩士に再登用される

1761年(33才)高松藩士を再び辞職する

1766年(38才)中津川(現在の秩父市大滝)で鉱山開発を行い、石綿を見つける

1776年(48才)エレキテルを修理・復元する

1779年(51才)誤って大工二人を殺傷してしまい、獄に入れられる

1780年(52才)獄中、破傷風が元で死去

 

平賀源内、多芸多才への道

源内先生は讃岐高松藩の足軽(下級武士)の三男に生まれました。

11才にして、天神様の掛け軸に細工をほどこし、ひもを引っ張ると天神様の顔が赤くなる、

というカラクリを作って見せました。

天神様にお神酒みきを差し出してはひもを引っ張って、周囲をおどろかせ、

この掛け軸は「お神酒天神」と呼ばれております。

その後、本草学(東アジアで発達した医療や薬に関する学問)や儒学などを学び、

やがて長崎などに遊学いたします。

・オランダ語

・医学

・油絵

など、次々と習得し、

とうとう藩士という身分にあき足らず、

“二度まで”

その身分を辞めてしまいます。

「わがままに、自分のやりたいことをできるように」

と希望に燃え、”フリーランス”として様々な事業に手を出してゆきます。

鉱山開発をやったり、

石綿を見つけて燃えない布”火浣布かかんぷ”を開発したり、

戯作げさく(江戸時代に流行った大衆向け読み物)を書いては大評判。

油絵を描かしても源内先生は上手です。

なんなら、その手の弟子を一人、蘭学者杉田玄白に紹介してやり、

あの『解体新書』の挿絵を描かせました。

 

「ウナギは土用の丑の日」を広めたのは平賀源内?

現在、ウナギと言えば夏の盛り「土用の丑の日」です。

が、

元々ウナギは冬が旬!

ウナギ屋さんは夏”商売あがったり”で源内先生に相談いたしました。

すると、源内先生は

源内
なりゃ、『本日丑の日』となんぞに書いて売り出しゃいい

と助言いたします。

当時、丑の日に頭に「う」の付く食べ物を食べると健康に良いという民間信仰がありました。

その試みが図に当たったのでしょう。

ほかのウナギ屋さんもみんなマネをするようになり、今にいたっている、という説です。

 

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平賀源内、非業の最後

また、

ものすごい多芸多才の源内先生ですが、

あんまりいろんな事業に手を出しては失敗を繰り返すため借金にはいろいろと苦労していたようです。

あの”エレキテル”を復元した後も、大名や豪商らに見世物として売り込んだりしております。

そんな矢先、ある大名屋敷の修理をうけおった際、

お酒に酔っていた源内先生はふと自分の手近にあったはずの修理計画書がなくなっていることに気づきます。

すると、なにか思い当たる節のあった源内先生はたちまちカッとして刀を握り、二人の大工の棟梁を斬り殺してしまいました。

間もなくして源内先生は自分の手近からポロッと修理計画書が出てきておどろきます。

完全なる自分の思いちがいでした。

こうして、源内先生は失意のうちに牢屋にぶちこまれ、そこで破傷風が元で亡くなったと伝えられます。

杉田玄白はこれを惜しみ、

「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」

(ああ、非常の人よ。非常を好み、非常を行い、なぜ死まで非常でなければならないのか)

という悲嘆の碑を彼の墓のそばに立てました。

享年は満52才と伝えられております。

 

関連記事 >>>> 「平賀源内とエレキテル」

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きょうのまとめ

いかがだったでしょう。

身分制や、昔からのしきたりの強かった江戸時代の真只中において、そのしがらみにとらわれず、とことんまで自分の可能性を追求しようとした人。

ただその情熱と悲哀ははるかに時を経た私たちの心にも、何かせまってくるものがございます。

① 平賀源内は本草学・蘭学・油絵・地質学・文学などかなり広範な分野に一流の才能を発揮した

② 平賀源内は「ウナギといえば土用の丑の日」を広めた人物ともいわれている

③ 平賀源内は晩年誤って二人の大工を殺害してしまい、牢中で非業の死をとげた

 

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