天下の奇才平賀源内は殺人を犯していた!?

 

“エレキテル”を修理復元(※決して発明したわけではない)させ、

石綿から燃えない布”火浣布(かかんぷ)”を開発し、

大衆向けの読み物”戯作(げさく)”を書いて世に大評判となり、

“源内焼き”という独自の焼き物を編み出し、

西洋画を描かしても上手!

一人で何でもこなしちゃうスーパーマルチプレイヤー平賀源内先生。

ですが、ちょっとした行きがかりから大変な罪を犯してしまいました。

殺人です。

そもそも平賀源内先生とはどういう人がらだったのか。

また、どういういきがかりで殺人を犯してしまったのか。

そして、その後どうなったのか。

源内先生、大変ですよ!

 

平賀源内の人となりを彼自身の言葉から

「わがままに、自分のやりたいことをできるように、脱藩(だっぱん)したい」

脱藩とは自分の所属する藩を出ていくことです。

今と違って日本はたくさんの藩の連合体ですから、今のEU(ヨーロッパ連合)に近いのかもしれません。

源内先生は高松藩(今の香川県高松市あたり)の足軽(下級武士)の家の息子ですが

藩士の身分を二度まで辞めて、フリーランスになっております。

源内先生らしさを感じる素直な心の告白ですね。

「良薬は口に苦く、出る杭は打たれる習ひ」

かなりの個性派で、自由奔放だったと聞きます。

引き立ててくれる人は大勢いましたが、一方で周囲の無理解にも相当苦労したようです。

源内先生の青色吐息が聞こえてくるようです。

「古今の大山師にあいなりもうしてそうろう」

これは自分の書簡に記したもの。

自覚していたんですね。

 

平賀源内、殺人を犯す

源内先生が満51才のころです。

ある大名屋敷の修理をうけおっていたようです。

この人、建築の設計までいけるんですね。

で、ある時、お酒に酔っておりまして、

ありゃ、

と見ると、

自分の設計計画書がない!

あ然といたしますが、

ふと、ある大工の棟梁二人が思いあたりまして、

野郎ども、
やりやがったな。

俺様の大事な計画書を盗みやがったな、
ということです。

源内先生、
ムラムラとこみ上げるままに柄に手を添え、白刃をかざし、……。

やってしまいました。

が、後になって、
その計画書がポロッと自分の身の回りから出てきたようです。

……。

もう後悔しても遅いです。

御用だ!御用だ!
源内先生、御用だ!

そのまま牢屋にぶち込まれました。

そして、獄中で破傷風にかかり、間もなく息を引き取ってしまいます。

 

奇才、奇才を惜しむ

源内先生の葬儀を執り行ったうちの一人に

当代一流の蘭方医、
西洋の医学書を翻訳し、著した

『解体新書』

でおなじみの杉田玄白がおります。

二人は生前から昵懇(じっこん)だったようです。

玄白は亡くなった源内先生の墓の隣に碑を立てました。

そして、そこにこう刻み込ませました。

「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常 」
(ああ、彼は非常の人だった。非常を好み、非常を行い、なぜ、死まで非常でなければならないのか。)

 

きょうのまとめ

奇才、奇才ゆえに滅ぶ。

人の長短、

のみならず

陰陽はどちらが表裏ということなく一体の関係です。

陰が強くなれば、陽もまた大きくなります。

陽が隆(たか)まると、陰もまた盛んになります。

源内先生は元々、
じっくり学問に取り組む姿勢がない、

と、

言われていたようですし、

事業に手を出しては失敗が続き、
だいぶ借金に苦しんでいた、

ようです。

でも、それが人間だし、この世に存在する何かなんですよね。

源内先生は獄中で切腹を図ろうとし、

その傷が元で破傷風になったという話もあります。

源内先生の最後については思いやられるものがあります。

しかし、
一介の庶民にすぎなかったこの人の数多くの業績が200年以上経った今でもしっかりと語り継がれております。

そしてこれからも。

① 多才の人、平賀源内は自由奔放かつ奇抜すぎて周囲の無理解に苦しんだことがうかがえる言葉を残している

② 平賀源内は誤って二人の大工を殺してしまい、牢屋で亡くなったといわれている

③ 平賀源内と生前昵懇だった杉田玄白が墓の隣に源内の天才ぶりを惜しむ碑を残している

何かに
「よく生きねば、よく死ぬことなど語れない」
というようなのを見ました。

歴史をひも解く一人一人に「生きる」が満ちあふれていることを知ります。

私もよく生きたいものです。

 

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