「鬼の副長」異名をもつ新撰組の副長だった
土方歳三。
彼は農家の出身で、薬の行商をしていたという話も伝わっています。
彼の生まれた土方家とはどんな家系に連なる家だったのでしょうか。
そして、生涯を独身で通したはずの土方歳三に、子孫がいるのでしょうか。
今回はその点について調べてみました。
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土方歳三の生まれた「土方家」の家系図
幕末の京都で活躍した新撰組の「鬼の副長」土方歳三の土方家とは
どのような家系に連なる家だったのでしょうか?
土方歳三は農家の出身
土方歳三は、武蔵野の多摩郡、今の日野市にあった農家出身です。
代々農家で、生粋の農家なのです。
代々農家ですので、家系図があり、どこそこの家につながっていると言うような形のある史料は残っていません。
兄弟は10人もいましたが、その名前すら分かってない人もいるくらいです。
家系図どころの話ではありませんね。
土方歳三はその10人兄弟の末っ子として生まれました。
そして、剣術修行を行うようになり、近藤勇の天然理心流・試衛館に出稽古に出かけるようになり、やがて入門することになります。
土方家は、農家なのですが「石田散薬」と言う薬の商売をも行っていました。
土方歳三は薬の行商もしていたと言う話が伝わっています。
土方家は現代に残っています
土方歳三は生涯を独身で通し、函館戦争で戦死します。
土方家は土方歳三の兄で次男に当たる喜六が継ぎ、
現代ではその子孫が「土方歳三記念館」を運営しています。
土方歳三の生まれた「土方家」自体は現代にも続いています。
土方歳三は独身を通したが……
土方歳三は生涯を独身で通し妻を娶っていません。
つまり、子孫はいないはずです。
ただ、土方家は兄弟が継いで、今にその血が残っているということになるのでしょうか。
しかし――
土方歳三直系の子孫であると名乗る人が現代にいます。
レーサーの番場琢です。
彼の公式ブログによると「曾爺が土方歳三」であるという、母親の言葉が書かれています。
ちなみに、母親がアメリカ人とのハーフで、本人はクオーターです。
土方歳三はその姿を写真として現代に残しています。
かなりのイケメンであり、当時も京都で多くの浮世を流したということは話として残っています。
土方歳三本人も
と言う手紙を実家に送っているのです。
中には、京都北野の舞妓「君菊」のように、土方歳三の子供も生んだ舞妓もいます。
しかし、その子供は早世しています。
ただ、野菊以外に黙って、
土方歳三の血を残した女性がいないとは限らないということがあるかもしれません。
土方歳三の子孫
現代に残る土方歳三の子孫は、直系ではいないことになります。
ただ、土方家のあとを継いだ方が傍系ではありますが、
その血を受け継ぎ現代に残しているということになるわけです。
しかし、レーサーの番場琢の母親の発言が本当であるとすれば、
彼が土方歳三の直系の子孫なのかもしれません。
ただ、それを証明する手段は今はどうでしょうか?
DNA検査にしても、世代が離れすぎ難しいところがあります。
彼が土方歳三の子孫だというのは、
番場琢さんの母親の発言意外になにも証明するものがないのが現実です。
ブログだけではなくテレビでも「自称」しているということで話題になったこともあります。
ひとつの可能性としてありえるかもしれないということで、彼の存在を位置づけることは可能でしょう。
この謎の解明はなかなか難題です。
きょうのまとめ
土方歳三の家系図と子孫について紹介していきました。
簡単にまとめると
① 土方歳三は農家の出身、ずっと農家で家系図はない
② 直系の子孫はいないとされ、兄の子孫が現代に残っている
③ レーサーの番場琢さんが土方歳三の子孫であると主張している
と言えるのではないでしょうか。
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