戦国時代、圧倒的な強さを誇った武将たちには誰しもロマンを抱くもの。
同時に彼らが使っていた武器や防具にも興味津々という人は少なくないでしょう。
今回紹介するのは、戦に生き、戦のなかで死んでいった
猛将・後藤又兵衛の槍と兜についてです。
又兵衛には「関ケ原の戦い」や「大坂の陣」など、歴史に名を残す大戦において前線で戦い、数々の武功を挙げた記録があります。
戦にめっぽう強かった彼が手にしていた名器とはいったい?
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後藤又兵衛の槍
槍の又兵衛
又兵衛は軍略にも非常に長けた武将でしたが、その真骨頂は自身が前線に出て戦うことにあります。
有名な逸話だと
・風呂に入るときに部下が数えると53ヵ所も刀傷があった
など、いつも死を恐れず真っ先に敵軍に向かっていった様子が伝わってきます。
そんな又兵衛には「槍の又兵衛」という異名があり、槍の扱いにかけては隋一だったとのこと。
持っていた槍にもやはり名槍と呼ばれるものがあります。
数々の名君の手に渡ってきた「日本号」
又兵衛の持っていた槍でもっとも有名なものは、天下三名槍のひとつにも数えられる名槍「日本号」です。
日本号はもともと、室町幕府15代将軍・足利義昭が106代の正親町天皇から授かったもので、のちに
・豊臣秀吉
・福島正則
・母里友信
へと順に渡り、又兵衛のもとへとやってきました。
そうそうたる面々に受け継がれてきた槍なのですね…。
前に日本号を所有していた母里友信は、いわば又兵衛の兄貴分。
黒田家家臣ではこの2人が重臣として活躍していました。
日本号が又兵衛に授けられたのは、1597年の朝鮮出兵の折、又兵衛が友信の窮地を救ったことへのお礼だといいます。
又兵衛は自陣に迷い込んで来た虎を退治したのですが、このとき彼以外の兵はほとんど手が出せなかったとのこと。
又兵衛の勇敢さが垣間見えるエピソードですね。
ちなみに日本号は3メートルを超える大槍。
身長180cm以上の大男である又兵衛であれば、これも振るえたのかもしれません。
日本号は現在も福岡市博物館にて、実物を見ることができます。
<福岡市博物館>
後藤又兵衛の兜
戦国武将の兜には、豪華な飾り付けをして自家の財力を示すなど、敵への威圧の意味も込められていました。
又兵衛も兜を複数持っており、それぞれ特徴的な見た目をしているんですよ。
大きな丸飾りは天照大御神を表す
まずは又兵衛の肖像画に描かれている大きな丸飾りを前面に施した兜です。
これは「大日輪」と呼ばれ、日本神話の主神・天照大御神を表しているといわれます。
天照大御神は太陽神で、いうなれば自然を司る神様です。
神道に「自然界のあらゆるものに神様が宿っている」という教えがあるように、この時代において自然は脅威ともなれば、豊穣ももたらしてくれる、大いなる存在でした。
又兵衛はそんな自然を味方に付けるという意味で、天照大御神の象徴を兜にかかげていたのかもしれません。
自身最期の戦いである「大坂夏の陣」では濃霧に見舞われて味方の到着が遅れ、文字通り自然の脅威にさらされてしまったわけですが…。
現在も大日輪の兜は兵庫県加西市にある又兵衛の菩提寺・多聞寺にレプリカが飾られています。
<多聞寺>
熊の毛を植えこんだ兜・身長ほどの角が生えた兜も…
大日輪の兜のほかにも又兵衛の被っていた兜はインパクトのあるものが揃っていて、代表的なものを挙げると
・人間の身長ほどもある角が生えた兜
などがあります。
熊の毛を植えこんだ兜は「熊毛総髪形兜」と呼ばれ、まさに熊をも狩らんとする勇ましさを彷彿とさせる見た目です。
どうせなら実際に狩ったことのある虎の毛を植えこめばよかったのに…と言いたいところですが、虎は日本にはいませんでしたね…。
さらに強烈なのが人間の身長ほどもありそうな角が生えた兜です。
敵からすれば大将の居場所を教えているようなものですが、又兵衛にとってはそれも望むところだったのでしょうか?
というか見た目以外になにも実用性がない…。
優れた指揮は執れても、こういう非合理的な面が又兵衛にもあったのですね。
熊毛総髪形兜は大阪城天守閣に、長い角が生えた兜は埼玉県の川越歴史博物館に今も飾られています。
<川越歴史博物館>
きょうのまとめ
後藤又兵衛の武器の数々は、槍にしても兜にしても、それはさまざまなエピソードをもっていました。
戦を生業にしていた戦国武将にとって、やはり槍や兜はただの武器ではなく、自身の分身、相棒のような意味合いがあるのでしょう。
最期に今回のまとめです。
① 後藤又兵衛は天下三名槍のひとつに数えられる「日本号」を持っていた
② 又兵衛の兜の丸飾りは「大日輪」といい、自然を司る神・天照大御神の象徴
③ 熊の毛を全面に植えこんだ兜や、人の身長ぐらい長い角が生えた兜など、インパクト重視のものも多い
特に目を引くのは、数々の名君の手を渡ってきた名槍・日本号。
又兵衛にとっては兄貴分の母里友信との絆の証です。
実際に戦場で使っていたかはわかりませんが、この槍は又兵衛の心の支えとなっていたことでしょう。
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