後藤又兵衛の家紋「下り藤」に込められた意味|名門・藤原氏の血筋

 

武士にとって家紋は、自身が何者であるかを他家に示すためのもの。

軍旗などにも用いられることから、戦国武将にとってはプライドの表れであったといえます。

家紋の意味を辿れば、その武将を支えている誇りの源泉が垣間見えることもしばしば。

そして今回注目するのは、戦国~安土桃山時代にかけて豊臣家家臣の黒田家に仕え、「関ケ原の戦い」や「大坂の陣」で多くの武功を残した

後藤又兵衛ごとうまたべえ家紋です。

又兵衛の家紋は藤の花が垂れ下がる様子を表した「下り藤」ですが、いったいどんな意味が込められているのでしょう。

 

後藤又兵衛の家紋「下り藤」に込められた意味とは?

「下り藤」は藤原氏への繋がりを表す家紋

又兵衛の家紋「下り藤」は飛鳥時代の政治家・藤原鎌足を始祖とする藤原氏の末裔であることを表すものです。

藤原氏は鎌足が天智天皇からその名を授かって以来、長きに渡って繁栄してきた氏族。

それこそ鎌足が藤原姓を授かった669年から江戸時代まで、1200年ものあいだ、朝廷の支配階級は藤原氏由来の家系が独占していました。

平安時代には藤原氏にちなんで、朝廷で藤の花を観賞する催しもたびたび行われたのだとか。

その藤の花が垂れ下がる様子をそのまま家紋にしたのが、藤原氏を代表する「下り藤」なのです。

ちなみに戦国時代においては下り藤の「下がる」という語感の縁起が悪いとされ、逆にした「上がり藤」を使用する家も増えてきます。

しかし大元を辿るとやはり、モデルの藤の花をそのまま描写した下り藤。

どちらがいいかは、何を大事にしているのか、その家の者の価値観によるといった感じですね。

後藤は藤原氏の後裔の意味

又兵衛の後藤という苗字は、そもそも「藤原氏の後裔である」という意味で付けられたもの。

その始祖は平安時代に坂東ばんどう(関東地方)の国司を務めた藤原利仁の孫・則明で、彼が自身を後藤太ごとうたと名乗ったことが始まりだといいます。

後藤氏は、本家の藤原氏と遠縁になっても「源流は藤原氏である」ということを示そうとしたのです。

家紋に下り藤を使い続けたことにも、名家の血筋である誇りが表れていますね。

ちなみに斎藤・加藤・佐藤など、藤の付く苗字の多くは藤原氏の後裔であることを表していますが、

「先祖がわからないので、とりあえず藤原氏に結び付けておこう」

という人も多かったのだとか。

まあ…家系が身分を左右するこの時代、あやかりたい気持ちもわかりますが…。

 

又兵衛の主君・黒田官兵衛の家紋は?

藤をモチーフにした「藤巴」

又兵衛を語るうえで欠かせない存在は、幼少期に父を失った彼の育て親となった主君・黒田官兵衛です。

官兵衛は豊臣秀吉の側近として仕え、特に政治面で能力を発揮したため、名参謀と称されます。

又兵衛も官兵衛のことを慕っており、その才能は嫡男の長政よりも又兵衛に受け継がれているなどといわれることもしばしば…。

そんな官兵衛が用いた家紋は藤巴ふじどもえといって、又兵衛と同じく藤をモチーフにしたものでした。

官兵衛がこの藤巴を家紋にしたのは家柄などではなく、自身が藤の花に感銘を受けたことがきっかけです。

1578年のこと、織田信長に謀反を起こし、有岡城に籠城した荒木村重を説得に向かった官兵衛は、有岡城で捕らえられ、1年間幽閉されていた経験があります。

牢のなかでじっと耐えるその1年のあいだ、窓からかすかに見える藤の花の様子が、官兵衛を勇気づけたのだとか。

藤原氏・官兵衛が感銘を受けた藤の花のたくましさ

藤の花は大きな木に絡みつくようにして伸び、見事な花を咲かせます。

藤原氏が下り藤を家紋にしたのは、単純に藤原の字にちなんだことと、藤の花のたくましさが、一族の繁栄を表すとしたことから。

時代を超えてもそのイメージは変わらず、官兵衛も平安時代の藤原一族と同じような想いを藤の花に馳せていたのです。

偶然とはいえ、又兵衛が主君と同じ藤の花のモチーフを家紋にしているのは、不思議な縁ですね。

こう考えると藤の花のたくましさは、戦場で数々の武功を残した又兵衛のイメージによく合っています。

 

きょうのまとめ

後藤又兵衛の家紋・下り藤の由来を辿っていくと、そこには名家の血筋であることの誇りが込められていました。

またモチーフとなった藤の花のたくましさはどこか、主君のために死を恐れず戦う又兵衛の人となりに通じるところがあります。

先祖からたまたま受け継がれたものとはいえ、血筋はやはりその人の考えを形成するうえで重要なものなのですね。

最後に今回のまとめです。

① 後藤又兵衛の下り藤は朝廷で繁栄を極めた藤原氏が使っていた代表的な家紋

② 後藤は「藤原氏の後裔」を表す苗字。家紋が下り藤なのは、遠縁になっても藤原氏の血筋であることを示すため

③ 主君の黒田官兵衛もそのたくましさに感銘を受け、藤の花をモチーフにした家紋を使っていた

藤原氏の末裔であること、そして敬愛する主君と同じ藤の花をモチーフにしていることの誇りは、戦場を駆ける又兵衛の大きな支えとなっていたのではないでしょうか。

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