「聖地エルサレムをイスラム教徒から自分たちキリスト教徒のものへとうばいかえす」
中世十字軍のモットーです。
9回繰り返された200年近いその歴史の中でただ一人、ほとんど戦わずに聖地エルサレムを占領できた総大将がおります。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世。
ところが、彼は当時ヨーロッパ世界のキリスト教で一番えらい人だったローマ教皇から2回も破門されてしまっております。
「キリスト教徒失格」=「神の敵」=「全ヨーロッパの敵」
とされてしまったのです。
いったいなぜ?
フリードリヒ2世の十字軍とはいったいどんなものだったのか?
そして、
「早く生まれすぎた」といわれるそのユニークな人がらにせまってまいりましょう。
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破門皇帝フリードリヒ2世
1220年、フリードリヒ2世は神聖ローマ皇帝に即位しました。
その時、彼はこんな約束をしております。
「私は十字軍に行く」
ところが、何年経ってもフリードリヒ2世は十字軍に旅立ちません。
ローマ教皇はとうとう怒ってせかしたてます。
フリードリヒ2世はいつものとおり、
と言っているのですが、行動が全然ともなっておりません。
そして、とうとう“破門”をくらってしまいました。
エルサレム無血開城
「行きます!行きますよ!」
1228年、フリードリヒ2世たちの軍船はやっとイタリアを出航。
そして、エルサレムまでやってくると、戦争をせずにアラブ側と和平条約を結び、あっさりとエルサレムを占領してしまいました。
ところが、怒り出したのはヨーロッパ側です。
「神のために戦ってこそ、真のキリスト教徒だろうが!」
特に、ローマ教皇とはてんでそりが合わず、フリードリヒ2世は泥沼の抗争へと発展してゆきます。
フリードリヒ2世はどんな人?
フリードリヒ2世はシチリアの王様でもあります。
シチリアってどこにあると思います?
“イタリアの長ぐつ”のちょっと南にある大きな島です。
地中海のど真ん中にあります。
ヨーロッパもアフリカもアジアも船を使えばスイスイ行ける便利なところです。
場所がら、歴史がら、ここにはいろんな人たちが暮らしておりました。
東ローマ帝国系、イスラム系、キリスト教徒系、……。
フリードリヒ2世はおさないころからたくさんのイスラム教徒たちに囲まれて育ったともいわれます。
そもそもこの国は政治も軍事もいろんな宗教や人種の人たちと助け合わないと成り立たない国なんですよ。
だから、十字軍の時もひそかにアラブ側のボスと
「おたがい戦争なんて辞めにしちゃいましょうよ」
と話をつけていたのです。
この二人はとても気が合って、
「今度、十字軍のスパイが商人に化けてそっちに行くから気を付けてね」
なんて内部情報まで垂れ流しております。
そして、とうとう二人でエルサレム無血開城の話を取り決めちゃいました。
アラブ側のわかりあえるボス、アル=カーミル
アラブ側のボスはアイユーブ朝君主アル=カーミルといいます。
サラディンのおいっこ。
サラディンとはアル=カーミルの一世代前にエルサレム無血開城と第3次十字軍撃退をなしとげたアラブを代表する大英雄です。
ちなみにアル=カーミルは子どものころ、イギリスの“獅子心王(“ライオン・ハートの王様”という意味)”リチャード1世に「お前は騎士だ」と認めてもらったことがあります。
アル=カーミルとしても同族などが仲間割れをおこして、アラブは複雑な戦争のさなかです。
十字軍とやりあっている余裕はありません。
“ライオン・ハートの王様”という意味
中世最初の近代人
フリードリヒ2世はエルサレムにいた時、イスラム教の礼拝を告げる“ムアッジン”が聴こえてこないのを不審がります。
それは地元のイスラム教の人たちが十字軍の王であるフリードリヒ2世に忖度したものだったのですが。
フリードリヒ2世は、
と言ってたしなめました。
このようにイスラム教徒にはとても心広い皇帝なのです。
ところが、「裏ぎりもの」あつかいするローマ教皇などとはハードにやりあっております。
迷信を鵜呑みにしない、宗教や人種のちがいより現実を大切にする、「中世最初の近代人」。
当時のヨーロッパでだって彼を支持する人はものすごく支持してたんですよ。
きょうのまとめ
① フリードリヒ2世は十字軍総大将なのにちっとも出兵しようとしないのでローマ教皇から破門された
② フリードリヒ2世はアラブ側のボスであるアル=カーミルとひそかに話をつけ、エルサレムの無血開城をなしとげた
③ フリードリヒ2世の考え方は時代を先取りしすぎて、当時の人々にはなかなか理解してもらえず苦労した
オスマン帝国、モンゴル帝国、アメリカ合衆国、シンガポール……。
やり方は様々ですが、いろんな宗教や民族によって成り立つ国々というのはそれ相当の工夫と強みがあります。
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