フランシス・ベーコンとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

16世紀~17世紀にかけて活躍したイギリスの哲学者、

フランシス・ベーコン

「知識は力なり」という有名な名言と共に知られる彼は、政治家であり法学者でもあるまさに知識人でした。

フランシス・ベーコンとは、一体どのような人物だったのでしょうか。

今回はその生涯について、功績と共に探って行きましょう。

 

フランシス・ベーコンはどんな人?

プロフィール
フランシス・ベーコン

フランシス・ベーコンの肖像画(1618年頃)
出典:Wikipedia

  • 出身地:イギリス ロンドン
  • 生年月日:1561年1月22日
  • 死亡年月日:1626年4月9日(享年65歳)
  • イギリスの哲学者、政治家、法学者。『学問の進歩』の著者。

 

フランシス・ベーコン 年表

年表

西暦(年齢)

1561年(0歳)エリザベス女王の在位中、最高官職を務めていた父親の下に誕生。

1573年(12歳)ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学。

1575年(14歳)自然科学への関心が高まり学位は取得せずに中退。

1576年(15歳)ロンドンで法律を学んだ後、パリ留学を経てフランス各地を巡る。

1579年(18歳)父が死去し、急きょ帰国。

1582年(21歳)法廷弁護士の資格を取得。

1584年(23歳)下院議員に就任。翌年初となるエッセイ本を発表。

1593年(32歳)議会の演説の際にエリザベス女王の怒りを買い失脚。

1604年(43歳)ジェームズ1世の即位後、学識顧問官に任命され王の側近となる。

1605年(44歳)著作『学問の進歩』を発表。

1607年(46歳)法務次官に就任。

1613年(52歳)法務長官に就任。

1616年(55歳)枢密顧問官に就任、翌年には国尚書。

1618年(57歳)大法官(最高裁判所長官)に就任し、貴族院議員に昇格。

1620年(59歳)著作『新機関』を発表。

1621年(60歳)賄賂に関する告発を受け2度目の失脚。4日間のロンドン塔幽閉があった後、領地で隠遁生活に入る。

1626年(65歳)実験中に引いた風邪をこじらせる。4月9日、気管支炎で死去。

 

フランシス・ベーコンの生涯

ここからは早速、フランシス・ベーコンの主な功績をその生涯と共にご紹介していきます。

2度失脚したエリート

1561年、エリザベス王朝下のイギリス・ロンドンで誕生したフランシス・ベーコン。

彼の父親は女王の下で最高官職を務めていた人物で、母親も才気あふれる女性でした。

そんな両親の元で何不自由なく育った彼もまた、幼い頃からのエリートでした。

12歳でケンブリッジ大学に入学した後にパリへ留学。

その後もフランス生活で見聞を広め、法廷弁護士資格を取得。

20代前半で政界に進出すると、徐々に頭角を現し若くして有能な政治家となります。

しかし、すべてが順風満帆とはいきませんでした。

30代を迎えた頃、議会演説で女王の意向に沿わない発言を繰り返し失脚

後になんとか政界復帰を果たしますが、なかなか思うようにはいきませんでした。

そんな彼に転機が訪れたのは、女王が崩御したとき。

ジェームズ1世が即位すると、彼に気に入られたことで再び高官の職を与えられ、重用されるようになります。

ジェーム1世の在位中にフランシス・ベーコンは男爵の称号を与えられ、大法官(最高裁判所長官)の地位にまで上り詰めました。

しかし60歳の時に賄賂に関する告発を受け、またもや失脚することになったのです。

有罪となり、国王のおかげで刑罰は免れたものの4日間のロンドン塔幽閉を経て、余生は領地で執筆と実験に勤しむ隠遁生活を送りました。

「経験論」の祖

政治家として波瀾万丈の生活を送ったフランシス・ベーコンでしたが、彼の哲学者としての功績にも目を向けていきましょう。

彼は幼い頃から自然に親しみ、幼い頃から現在で言う自然科学的な分野に興味を持っていました。

大学では古代ギリシャ哲学などの思想を勉強しますが、その実用的でなく現実味を持たない内容に疑問を感じ、2年で中退しています。

中退後は父親の計らいで法律を学んだ後にパリ留学を経てフランス各地を巡り、世の中で起きていることを目の当たりにしていきます。

これらの経験を経て、彼は自身の著作

・『学問の進歩』

・『新機関』

などで学問に対する考えを提唱していきます。

フランシス・ベーコンの思想では、経験に基づいた知識が重要であるとしています。

・実際に見て、経験した上で得たものが知識である

・ひとつひとつ確かめた知識を集めて導き出されるものこそが真実である

フランシス・ベーコンが唱えるこの思考法は「帰納法」と言います。

この思想は「経験論」として、ジョン・ロックなど後の哲学者たちに受け継がれていくことになりました。

さらに何事にも観察と実験を行う姿勢は、後に自然科学などの学問分野の基礎となっていったのです。

 

フランシス・ベーコンにまつわるエピソード

ここでは、フランシス・ベーコンの人物像にさらに迫るようなエピソードをご紹介していきます。

最期

自然科学的な思考法を持っていたフランシス・ベーコン。

そんな彼の最期はいかにも彼らしいと言うことができるでしょう。

2度目の失脚によって政界から引退した後は、自身の哲学を広めるための執筆活動や、真実を追求するために実験をして余生を過ごしました。

そして65歳を迎えた頃のまだ寒い春の日。

彼は冷却によって腐敗を防止することができるのか検証するために、外に出て鶏のお腹に雪を詰めていました。

現在の冷蔵庫や冷凍庫の先駆けとなる発想です。

しかしそれが原因で風邪をひいた彼は、それをこじらせて気管支炎になりそのまま死んでしまったのです。

真実を追求するために最期まで世界を探求した人物でした。

お金の問題

エリートの父親のもとに生まれ、自身もエリートとなり、波乱に満ちた人生を歩みながらも輝かしい功績を遺したフランシス・ベーコン。

一見すると、裕福な家庭で生まれ生涯お金持ちだったような印象を受けます。

しかし実際には、お金に関しても彼は浮き沈みの多い人生だったと言えるのです。

出生から少年時代は、確かに何不自由なく暮らすことができたフランシス・ベーコン。

しかし彼が19歳を迎えた直後に父親が死去し、一家の生活は一変します。

元々父親にあまり資産はなく、6人兄弟の末っ子だったフランシス・ベーコンには、相続するものはほとんどありませんでした。

おまけに、それまでのフランス生活などを経てすっかり浪費家になってしまっていた彼は、その落差に苦労することになります。

政治家の道に進んでからもしばらく無給の期間があったり、失脚後にパトロンから庇護を受けなければ生活がままならなかったり。

自身の哲学や思想を貫き広めるためには、それ相応の壁や困難があったのです。

 

きょうのまとめ

今回はイギリスを代表する哲学者にして政治家、フランシス・ベーコンについてその生涯や功績をご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

何か新しい発見はありましたか。

最後に、フランシス・ベーコンとはどんな人物だったのかを簡単にまとめると

① 16世紀~17世紀に活躍したイギリスの哲学者、政治家、法学者。

② イギリスにおける「経験論」の祖であり、自然科学分野の基礎を提唱した。

③ 浮き沈みの多い人生で、政治家や最高裁判所長官なども務めたエリートだった。

当サイトには、他にもフランシス・ベーコンに関する記事があります。

合わせてご覧いただくことで、より彼の人物像が見えてくるはずです。

ご興味を持たれた方は、お時間があるときにでもぜひ覗いてみて下さい。

 

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