伊達宗城の家系図|伊達政宗との関係は?伊予宇和島藩のルーツとは?

 

伊予宇和島8代藩主・伊達宗城だてむねなり

幕末期に「四賢候しけんこう」と呼ばれ、諸藩の代表として幕府とも渡り合った人物です。

大河ドラマ『青天を衝け』にも登場。

作中では薩摩藩・島津久光の陰にすっかり隠れてしまっていますが、実は宇和島藩を一躍雄藩へ育てた名君だったりします。

今回はそんな伊達宗城の家系図について。

あの戦国武将・伊達政宗にもばっちり通じていますよ!
 

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伊達宗城の家系図

伊達宗城だてむねなり

伊達宗城
出典:Wikipedia

以下が伊達宗城の家系図です。

伊達宗城の家系図
 

伊達宗城は独眼竜・伊達政宗の子孫

伊達政宗

宗城はもともと、旗本・山口家に生まれたものの、12歳のころ、伊予宇和島藩主伊達宗紀むねただのもとへ養子に出されることとなりました。

これは5代藩主・村候むらときが次男の直清を山口家へ養子に出しており、伊達家と山口家が血縁関係にあったため。

宗紀はなかなか子どもに恵まれず、山口家から養子をとることにしたのです。

宇和島伊達家はもとを辿れば、独眼竜の異名で知られた戦国武将・伊達政宗に繋がります。

伊達家から枝分かれした山口家出身の宗城にしても、政宗の男系子孫であることは紛れもないわけですね。
 

宇和島伊達家のルーツ

豊臣秀吉

伊達政宗の名前が出たところで、宇和島伊達家のルーツにも触れておきましょう。

宇和島伊達家は江戸幕府が成立して間もないころ、伊達家の「大坂冬の陣」での戦功を称えて与えられたものです。

伊達宗家は仙台藩にあたり、宇和島伊達家は政宗の長男・秀宗によって創設された分家。

長男なのに、宗家を継がなかったの?…という話になりますよね。

これは秀宗が一時期、人質として豊臣家の養子になっていたことがあるためです。

秀宗の”秀”の字は豊臣秀吉から授かったもの。

その経緯があるため、徳川政権下で宗家を継がせるのは都合が悪かったのだとか。

以後、宇和島藩は秀宗の子孫によって継承されていくこととなります。
 

宗城の子息

伊達宗城には、正室と3人の側室とのあいだに、男女合わせて30人近い子息が生まれていたとされます。

子だくさんなところは、いかにも江戸時代の大名という感じ。

嫡子以外の男子がほとんど他家の養子となっているのも、この時代ならではです。

明治期になり、武士でなくなってからの動向はそれぞれですが、

養嗣子・長男・次男の3人は継いだ家系の事情も合わせて興味深い逸話が多いです。

養嗣子・宗徳

養嗣子として宇和島伊達家を継ぐこととなった宗徳むねえは、7代藩主・宗紀の息子。

跡取りがいない関係で宗城を養子に迎えた宗紀でしたが、その後男児に恵まれていたのです。

宗徳は、大老・井伊直弼なおすけの弾圧政策「安政の大獄」で宗城が失脚させられた折、9代藩主に就任します。

とはいえ実権は宗城が握り続けていたという話。

イギリスの外交官アーネスト・サトウが宇和島を訪れた際も、

宗城と宗徳は「せがれ」「父上」と呼び合う関係だったと記録しており、宗徳が尊敬の念で接していたことがわかります。

明治期に入ると廃藩置県はいはんちけんで藩制が廃止されるため、宗徳は実質最後の伊予宇和島藩主となりました。

ただ、宇和島伊達家は宗城のこれまでの功績により、侯爵の爵位を授かることに。

その後は宗徳の長男・宗陳むねのぶが家系を継いでいくこととなります。

長男・幸民

養嗣子の宗徳が宇和島藩を継ぐこととなったため、信濃松代藩主・真田家へ養子に出されることになったのが、長男の幸民ゆきもとです。

松代藩主の家系は、戦国武将・真田昌幸の長男・信之から続く血筋。

真田家は「関ヶ原の戦い」において昌幸と、次男の幸村が石田三成側に、

長男の信之が徳川家康側につくという複雑な事情を抱えており、信之だけが江戸幕府で大名となっています。

そんな信之の家系も幾度となくお家断絶の危機に瀕しており、養子を迎えることでなんとか紡いでいる状態にありました。

9代藩主・幸教ゆきのりにもついには子どもができず、伊達家から幸民を養子にとることとなるのです。

こうして幸民は最後の松代藩主となりました。

次男・宗敦

徳川慶喜
次男の宗敦むねあつは伊達宗家にあたる仙台藩主・伊達慶邦よしくにの養子となりました。

一見恵まれた境遇のようにも思えますが、幕末の時代に仙台藩に移ったことは宗敦にとって災難となります。

仙台藩は戊辰戦争にて奥羽列藩同盟の盟主となり、新政府軍に反旗を翻し、朝敵となってしまうのです。

そのため、宗敦は義父慶邦とともに隠居謹慎処分に。

宗敦は結局、藩主にはなれませんでした。

宗城が戊辰戦争で新政府に非協力的だったのは、仙台藩に息子の宗敦がいたためともいわれています。

明治期に宗敦は男爵に、仙台伊達家は伯爵にそれぞれ列せられますが、これはどちらも宇和島伊達家の侯爵を下回る爵位。

明治維新の紆余曲折で、分家と宗家の立場は逆転してしまったのです。

 

きょうのまとめ

伊達宗城の家系図を辿ってみると、伊達政宗や真田昌幸など、意外なところで戦国の名将につながっているのが興味深いですね。

子息たちの動向を辿っても、養子で他家と姻戚関係を結ぶ典型的な大名家の習わしが見えてきました。

最後に今回のまとめ。

① 伊達宗城は旗本・山口家で生まれたが、祖父直清が伊達家から養子に出された経緯があり、もとを辿れば伊達宗家につながっている。

② 伊予宇和島藩は、伊達政宗の長男・秀宗によって創設された分家。秀宗は豊臣秀吉の養子になったことがあったため、江戸幕府で宗家を継ぐわけにはいかなかった。

③ 宗城の息子たちはそれぞれ大名家などへ養子に出されているが、廃藩置県でほとんどが免官されている。

子息たちの生涯に武士の時代の終焉が表れているのも、この時代の人物ならではでしょう。

日本の歴史が大きく動いた幕末期、やっぱり学ぶにはおもしろい時代です。
 
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