正岡子規と夏目漱石|親友であり続けた2人を引き合わせたものは?
明治を代表する俳人・正岡子規まさおかしきと『吾輩は猫である』などで知られる小説家・夏目漱石なつめそうせきが親友であったという話は有名です。 東大予備門の同窓生として数年を共に過ごした後、子規は大学を中退、漱…
明治を代表する俳人・正岡子規まさおかしきと『吾輩は猫である』などで知られる小説家・夏目漱石なつめそうせきが親友であったという話は有名です。 東大予備門の同窓生として数年を共に過ごした後、子規は大学を中退、漱…
正岡子規まさおかしきは明治時代、当時廃れていた俳句や短歌を世に広め、俳句界の繁栄に大きく貢献した俳人です。 「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句は、もはや知らない人などいないでしょう。しかし子規の魅力は作…
本をあまり読まないとしても、宮沢賢治の名前を知らない人はあまりいないでしょう。名前を知っていても、何を書いた人かはピンと来ない…という人でも『風の又三郎』『注文の多い料理店』といわれれば「ああ!」となるはず…
明治・大正の時代を生きた宮沢賢治は 『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』などの童話で知られる、日本有数の有名作家です。しかしその作品の多くは、彼の死後に刊行されたものだとご存知でしょうか。 「…
親子そっくりな姿を見て「やっぱり血は争えないな」などといったりしますが、 明治の文豪・幸田露伴こうだろはんほどこの言葉がしっくりくる人はいません。 作家の子が作家になるのは決して珍しい話ではありませんが、露…
幸田露伴こうだろはんは20代のうちに作家としての成功を手にしましたが、 とにかく研究熱心な人物で、その地位を確立してからも他作品や中国文学の研究に没頭していきます。 その甲斐あって当時は業界隋一の知識人と称…
明治は文学の発展がとくに目覚ましい時代でした。 夏目漱石、森鴎外もりおうがい、尾崎紅葉…教科書などで目にする名前も多く見られる当時の作家たちは、まさに現代文学の基礎を築いた存在だといえます。 そんな作家の中…
「森鴎外もりおうがいってどんな人?」 と尋ねられたら、多くの人は「国語の教科書で見たことがあるような…」「舞姫とか、雁がんなら知ってるけど…」ぐらいの認識かもしれません。 しかしその人物像を詳しく辿ってみる…
明治・大正時代に活躍した森鴎外もりおうがいは、 国語の教科書でもよく取り上げられるように、作家としての才能はあの夏目漱石と並ぶと称されるほど。 そして医師としても陸軍軍医として総監まで上り詰めた、超エリート…
彼女の手紙が問題なんです。 「彼女」とは、2度のアメリカ留学後、社会的地位の低かった明治の日本女性の高等教育のために尽力し、現在の津田塾大学を創設した津田梅子です。 2024年の新札改訂では新しい5000円…