浅井長政とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

浅井長政(あざいながまさ)は近江国の戦国武将です。

浅井家3代目当主にして、最後の当主でもあります。

織田信長とその妹であるお市とのエピソードは「悲劇」として語り継がれます。

戦国史の中でも取り上げられることが多く、知っている方も多いかもしれません。

「悲劇」ばかりに目がいきがちですが、浅井長政とはどんな人物なのでしょう。

今回は浅井長政について簡単にまとめてみました。

 

浅井長政はどんな人?

プロフィール
    浅井長政

    出典:Wikipedia

  • 出身地:近江国(現在の滋賀県)
  • 生年月日:1545年
  • 死亡年月日:1573年9月26日(享年29歳)
  • 義兄・信長を裏切り、信長を苦しめるも敗北し自害する

 

浅井長政 年表

年表

西暦(年齢)

1545年(1歳)滋賀県に生まれる。(幼名、猿夜叉丸)

1560年(15歳)野良田の戦いで六角氏を破る。父・久政を隠居させ家督を相続。

1567年(23歳)織田信長と同盟を結ぶ。信長の妹であるお市と結婚。

1570年(26歳)信長を裏切り、朝倉に味方する。姉川の戦いで信長に敗れるも、一旦和睦する。

1573年(29歳)小谷城の戦いで自害。父・久政も自害し浅井家は滅亡する。

 

信長包囲網に加わり活躍するが信長に敗戦し自害

浅井長政が治めていた近江(おうみ)は現在の滋賀県に当たります。

京都にも近く「近江を制するものは京都を制す」と言われるほど重要な土地でした。

その近江を治める長政を味方にしたかったのが織田信長です。

妹のお市を長政に嫁がせ、同盟を結びます。

近江の土地が重要だったという政治的な理由も当然ありましたが、信長は長政の人となりを大変気に入っていたようです。

だからこそ自分の妹であるお市を嫁がせたのでしょう。

しかし織田家朝倉家が対立すると、昔から縁のある朝倉家と妻の実家である織田家の間で板ばさみになってしまいます。

思い悩んだ末に朝倉家側に付き、信長包囲網に加わります。

一時は信長を退却させるほど有利な状況に持ち込みます。

信長が命からがら脱出した「金ヶ崎の退き口」は有名ですね。

信長包囲網は足並み揃わず、信長に小谷城(おだにじょう)を攻められて落城。

長政も29歳の若さで自害することになります。

 

難攻不落の山城のはずなのに?!小谷城についてはこちら
関連記事 >>>> 「浅井長政が暮らした小谷城と城跡」

信長の裏切り?!なぜ2人は戦わなければならなかったのか?
関連記事 >>>> 「浅井長政と織田信長の戦いの理由とは?」

 

浅井長政にまつわるエピソードや伝説

浅井長政に関するエピソードなどを集めてみました。

とても義理堅い性格

長政は義理堅い性格だったことで有名です。

長政はお市と結婚する前に正妻を迎えていました。

主従関係だった六角氏の家臣の娘を正室に迎えるよう強要されての結婚でした。

この主従関係を嫌った長政は、すぐに六角家を戦で破り妻とは離縁します。

この結婚で一切妻には手を出さずに送り返したと言います。

無理やり結婚させられた妻に同情していたからとも言われていますが、当時は政略結婚が当たり前だった時代です。

いくら同情していたとは言え、手を出さずに送り返したあたり、

長政の義理堅い性格が伺えるエピソードではないでしょうか。

イケメン?ぽっちゃり?

高身長で美男子だったと言われている長政ですが、

肖像画を見る限り、イケメンとは少し違うイメージです。

どちらかと言うと「ぽっちゃり」としていますよね。

長政の肖像画は、長女の茶々が追悼のために書かせたものと言われています。

娘が書かせたのですから、本人にかなり近い肖像画だと思われます。

当時は体格が良くて恰幅がいい男性がイケメンと言われていたそうです。

長政は180cm以上という高身長でした。

当時の平均身長が157cmでしたから、相当大きかったことが分かります。

高身長でぽっちゃりは、まさに当時のイケメン像にぴったりです。

美男美女の定義は時代によって変わります。

当時の常識で言えば確かに長政はイケメンだったのです。

茶々は長政の子供ではない?

長政にまつわるエピソードで1つ興味深いものがあります。

長女・茶々は長政の子供ではないというものです。

理由としては、お市が長政に嫁いだとされるのが21歳とされています。

これは当時としてはかなり晩婚になります。

長政に嫁ぐ前に、誰かに嫁いでいてもおかしくないのです。

さらには、浅井家3代に渡って書かれた「浅井三代記」と言うものがあり、正月には何を食べて何を飲んだ、などとても細かく日常的なことが書かれています。

そんな細かい記録が残っているのに、茶々の誕生に関する記述が一切ないのです。

そんなことから、茶々はお市の連れ子ではないか?と言われているのです。

もちろん真相はどうなのか分かりませんが、

姫君が生まれたのに、そのことに関する記述がないというのは不思議です。

 
3姉妹だけではない?!浅井長政とお市の子供についてはこちらをどうぞ
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浅井長政の子孫は続いているのでしょうか
関連記事 >>>> 「浅井長政の子孫は現在も続いてる?」

 

きょうのまとめ

浅井長政についていかがでしたでしょうか。

浅井長政とは?

① 信長包囲網に加わり活躍するが、最終的に信長に負け自害

② とても義理堅い真面目な性格

③ 高身長でイケメンだった

④ 茶々の出生については謎が多い

その他の記事についても浅井長政にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 

浅井長政が用いた家紋とはどのようなものだったのでしょうか?
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