有馬新七とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

幕府の重臣、公卿などが平気で暗殺のターゲットにされた幕末期。

攘夷志士たちは自らの命も顧みない覚悟で、倒幕を志していきました。

そんななか、まさに自身の命と引き換えに志を果たそうとした人物として語られるのが、

薩摩の攘夷志士・有馬新七ありましんしちです。

いったいどんな人物だったのか?

新七が壮絶な最期を遂げることとなった「寺田屋事件」とは?

その生涯に迫ります。
 

有馬新七はどんな人?

プロフィール
    有馬新七ありましんしち

    有馬新七
    出典:Wikipedia

  • 出身地:薩摩国日置郡伊集院郷徳重村(現・日置市伊集院町徳重)
  • 生年月日:1825年12月13日
  • 死亡年月日:1862年5月21日(享年38歳)
  • 「寺田屋事件」で討ち死にした薩摩の攘夷志士。江戸藩邸学問所教授、造士館訓導師などを務め、青少年の育成に尽力した。

 

有馬新七 年表

年表

西暦(年齢)

1825年(1歳)薩摩藩士・坂木四郎兵衛さかきしろべえの長男として生まれる。

1838年(14歳)著書『靖献遺言せいけんいげん』を研究し、崎門学きもんがく派の儒学を修める。

1843年(19歳)江戸にて、儒学者・山口菅山に師事。

1845年(21歳)京都にて儒学者・梅田雲浜うんぴんらと交流。水戸藩・長州藩の尊攘派に近づく。

1857年(33歳)江戸・薩摩藩邸学問所教授となる。

1860年(36歳)薩摩国・石谷村の統治を任される。

1861年(37歳)藩校・造士館の訓導師となる。

1862年(38歳)江戸にて関白、京都所司代の暗殺などを画策。島津久光の命を受けた藩士らに鎮圧され、騒乱のなか絶命する(寺田屋事件)。

 

有馬新七の生涯

幕末の動乱のなか、非業の死を遂げることとなった有馬新七。

その生涯からは、洗練された文武によって藩に重用された、傑出した人ととなりが読み取れます。

文武両道の傑物に育つ

1825年、有馬新七は薩摩藩士坂木四郎兵衛さかきしろべえの長男として生まれました。

四郎兵衛は藩主・島津家からも重用された武士で、島津郁姫が公卿・近衛忠煕ただひろに輿入れする際も、郁姫の付き人に命じられたほどの人物。

この四郎兵衛が城下士の有馬家に養子入りしたため、新七も有馬と姓を改めることとなります。

また、叔父の坂木六郎は練武館にて教授を務める剣豪。

新七は六郎によって、幼少より新陰流の剣術を修めていきました。

あの西郷隆盛も幼少は六郎に師事したという話。

2019年NHK大河ドラマ『西郷どん』では西郷と新七の絡みがたびたび描かれましたが、のちに新七は精忠組にも参加していますし、史実でもそれなりに関りがあったのかもしれませんね。

新七は14歳から独学で儒学を学び、崎門学きもんがく派の教えに傾倒していきます。

19歳で江戸へ出た際は、崎門学派の祖である山崎闇斎あんさいの弟子・山口菅山のもとで学ぶように。

新七が教材とした山崎の著書『靖献遺言せいけんいげん』は、当時一番読まれていた儒学の書。

古代中国における、主君と家臣の忠義について書かれたもので、多くの志士たちを尊王攘夷思想に目覚めさせたとされています。

(※尊王攘夷…天皇を敬い、外敵を追い払うという思想。外国との条約を結んだ幕府に対し、尊攘思想から異を唱える者が続出した)

このようにして、文武両道を心得る傑物へと成長を遂げた新七は、薩摩藩主・島津斉彬なりあきらに取り立てられることに。

1857年には、江戸藩邸の学問所にて、教授を務めるほどに出世しています。

尊王攘夷の志

1858年のこと、尊攘思想を強めてきた新七にとっては、到底許すことのできない事件が勃発します。

幕府が朝廷の許可を得ないまま日米修好通商条約を締結。

攘夷派がこれに反感を唱えると、大老・井伊直弼なおすけは反抗勢力をことごとく弾圧しはじめます(安政の大獄)。

のちの将軍・一橋慶喜をはじめ、100人以上が処分されたこの政策では、新七が懇意にしていた儒学者・梅田雲浜うんぴんなども捕らえられています。

この一件で憤慨した水戸藩、長州藩の攘夷派は、井伊の暗殺計画を画策。

梅田のつながりで彼らと関りをもっていた新七も参加するつもりでいましたが、藩の反対もあって断念

薩摩藩国父・島津久光に諭される形で藩に戻ることとなりました。

このあと、1860年に計画は実行され、井伊は暗殺されてしまうことになります。

新七も、もし薩摩藩へ戻っていなければ、ここでとっくに捕らえられていたかもしれませんね。

薩摩藩での活躍

薩摩藩へ戻った新七は、藩の重臣・町田久成の依頼で、伊集院郷石谷村の統治を任されることになります。

庄屋や名主を中心に、百姓のグループを作らせる五人組制の導入。

現在も鹿児島市に文化財として残っている石坂の建設などを行った功績があります。

新七は特に青少年の教育に力を入れ、非行に走る少年を改心させようと、悪路に石畳を敷く事業に従事させたのです。

この試みは交通と治安の両面で成果があり、村の人たちから大層喜ばれたといいますよ。

同時期に藩校・造士館の訓導師にも就任しています。

再び上がった攘夷の狼煙


藩の説得によって、一時は攘夷活動を退いた新七でしたが、1862年、またしてもその機会がやってきます。

この時期、幕府は外国との条約締結や、大老の暗殺などで大きく権威を落とし、朝廷を中心とした政治が行われる運びとなっていました。

これを機に、政治の中枢へと入り込むことを考えた島津久光は、薩摩藩士たちを率いて上洛。

全国屈指の雄藩が動いたことで、諸藩の攘夷派は、

「いよいよ攘夷の決行か!」

と、こぞって京都に集まるようになります。

新七もこの波に乗り、長州の久坂玄瑞くさかげんずい、久留米の真木和泉まきいずみらと結託し、攘夷作戦を画策。

これが「寺田屋事件」へと発展します。

新七らが企てた計画は、

関白、京都所司代の暗殺。

その後、安政の大獄で謹慎させられた皇族・中川宮を擁立し、倒幕の勅命を得る

というものでした。

寺田屋事件

新七ら薩摩の攘夷派は、京都の旅館・寺田屋に集結し、挙兵の機を伺います。

しかし…そもそも島津久光が上洛したのは攘夷決行のためではありません

今の目的は、薩摩藩が政治の中心に入り込むことであって、倒幕を画策するのは時期尚早。

新七らは藩の意図を汲めず、先走ってしまったわけですね。

そのため島津は大久保利通らに命じ、藩士たちの説得に走らせますが、新七らはこれに応じず。

再度、大山格之助をはじめ、名うての剣士からなる藩士たちが説得に向かいます。

このとき島津は朝廷から命を受けていたこともあり、説得に応じない場合、その場で斬り伏せることもやむを得ないとしていました。

すると案の定、寺田屋を訪れた藩士たちは揉みあいになり、壮絶な同士討ちが展開されることとなります。

その最中、剣豪・道島五郎兵衛と激戦を繰り広げた新七は、刀が折れて劣勢を強いられることに。

すると体当たりで道島を壁に押し付け、側にいた橋口吉之丞に、こう叫びます。

「俺ごとやれ!」

刀を抜いた橋口は新七ごと道島を貫き、ふたりは絶命。

こうして有馬新七は、38歳の若さで生涯を閉じることとなりました。

 

きょうのまとめ

国内の政治体制が大きく揺らいでいた当時において、新七の行動に善悪を問うのは難しい部分があります。

ただ、幼少から学問や剣術に励み、折れない志を備えるようになった人となりには、惹かれるものがありますよね。

藩の統治や教育において、少なからず功績を残していることからも影響力が垣間見えます。

最後に今回のまとめ。

① 有馬新七は幼少より、新陰流の剣術、崎門学派の儒学を修め、文武両道に育っていった。その才覚をもって、江戸藩邸教授、造士館訓導師にまで出世する。

② 岩谷村の統治を任されると、悪路の舗装工事、五人組制の導入などを行い、村民から喜ばれていた。

③ 島津久光の上洛に伴い、関白、京都所司代の暗殺を画策。島津の命で制止に走った藩士と揉みあいになり、同士討ちで生涯を閉じる。

志の高さから結果を焦ってしまった新七でしたが、

うまく歯車が噛み合っていれば、同郷の西郷隆盛、大久保利通らと肩を並べる英雄にもなり得たかもしれません。

 
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