「安政の改革」を行った名士・阿部正弘の子孫|現代での活躍は?

 

幕末の世において安政の改革を行い、幕府の権威再興、海外列強への対抗に奔走した

老中首座・阿部正弘あべまさひろ

徳川宗家を中心としていた幕府の体制を大きく変え、その後の明治時代を担う人材を台頭させた名士です。

一般的にあまり名前の知られている人ではありませんが、実は明治維新のターニングポイントを作ったすごい人なんですよね!

今回はそんな阿部正弘の子孫に関して。

次代を揺るがす大挙を成したその血筋は、現代にも脈々と受け継がれています。

しかし実のところ正弘の家督継承を巡っては、相当な苦労もあったようですよ。

 

阿部正弘の家系図

本文に登場する人物を中心とした簡単な系図です。

家系図
阿部正弘

 

息子を相次いで亡くした阿部正弘。男系の子孫には恵まれず

阿部正弘

「阿部正弘公肖像画」の白黒写真
二世五姓田芳柳筆 福山誠之館蔵
出典:Wikipedia

阿部正弘は1857年8月6日、老中の地位をそのままに、39歳の若さで亡くなっています。

あまりにも突然すぎる死ということで、家督相続も急を要されたわけですが…このとき正弘には息子がいませんでした。

正弘はそれぞれ

・篤之助

・哲次郎

・鋼蔵

という男児を儲けていました。

しかしそのいずれもが、幼くして亡くなっていたのです。

ここで、正弘の血を継ぐ男系の子孫は途絶えてしまうこととなります。

なにはともあれ、このとき急遽、阿部家の家督を相続することになったのが、正弘の兄・正寧まさなお長男・正教まさのりでした。

…ん?そもそもなんでお兄さんがいるのに、正弘が当主をしていたの?という疑問が浮かんでくるところ。

正寧はもともと主として備後福山藩主を務めていましたが、病弱だったため、自ら当主の座を正弘に譲ったのです。

その兄の子が今度は正弘の養子となり、阿部家を継ぐ…なんだか複雑な感じですよね。

 

養子をとりお家存続

正弘の後を継いだ正教は、23歳で早世。

彼には子どもがいなかったため、家督は弟、つまり正寧の次男・正方まさかたに相続されました。

しかしなんと、この正方も20歳の若さで、子を儲ける前に病没してしまいます。

ええ!?阿部家どうなっちゃうの!?

と、思うところですが、こういった場合、名門の家系は養子をとることでお家存続を図るのがこの時代の習わしです。

正弘の血を紡いだ六女・寿子

ということで、旧広島藩主・浅野懋昭としてる三男・元次郎が正弘の六女・寿子に婿入りし、阿部正桓まさたけと改名。

正方の養子として家督を相続することとなります。

そう、正弘は息子こそ亡くしてしまいましたが、まだ寿子という娘がいました!

こうして男系ではないものの、正弘本人の血が以降の阿部家当主たちに紡がれていくこととなるのです。

家督を相続した正桓は、実質的に最後の備後福山藩主。

廃藩置県によって退任した後は、福山教育議会会長として旧藩校・誠之館せいしかんの維持などに務めました。

誠之館は正弘が創設したもので、現在の広島県立福山誠之館高校の前身となった教育機関です。

正弘の作った学校を子孫が守ろうとしたことで、その伝統は現代にも受け継がれているのですね。

阿部正桓の息子たち


阿部正桓は寿子とのあいだに

・正直(長男)

・忠正(次男)

というふたりの息子を儲けています。

このうち長男の正直は理学博士となり、主に富士山山頂付近の気象研究で成果を残しました。

一方、次男の忠正は旧姫路藩主・酒井忠興の婿養子となり、酒井家を継いでいくことに。

キャリアとしては

・農林大臣

・横綱審議委員会初代委員長

・日本プロレス協会初代会長

と、政界からスポーツ業界にまで及んでおり、かなりエネルギッシュに活動していたことが伺えます。

 

現代で活躍する子孫たち

このようにして、阿部正弘の血を受け継ぐ子孫たちはそれぞれ、以降の阿部家・酒井家を担っていくこととなります。

そしていずれの家系の子孫も、現代で大いに活躍しているんですよ!

まず現代で阿部家13代当主を務めるのが、阿部正直の孫にあたる阿部正紘さん。

戦前、華族の親睦の場であったかすみ会館の資料展示委員会に属されていたり、「福山誠之館東京同窓会名誉顧問」に任命されていたりと、当主としての役割をしっかり全うされています。

一方、酒井忠正のひ孫にあたる酒井忠輝さんは、オーストラリアにて乗馬クラブを運営する「エクインターナル株式会社」の社長を務める実業家です。

2014年には日本支社も創設。

現地にて乗馬センター長などを務めた経験を活かし、ワールドワイドに活躍中です。

正紘さんは阿部家の伝統を、忠輝さんは正弘に通じるスケールの大きさを、それぞれ受け継いでいるように感じますね。
 

きょうのまとめ

早すぎる死から、一時はその血も途絶えてしまうか…という危機に瀕していた阿部正弘。

しかし六女・寿子の存在もあり、無事に現代まで直系の子孫が紡がれていくこととなりました。

最後に今回のまとめです。

① 阿部正弘は息子を相次いで亡くしており、家督は兄・正寧の息子・正教や正方が養子となって継ぐこととなった。

② 正方が子を儲けず亡くなったため、広島藩主・浅野家から阿部正桓が養子にやってくる。六女・寿子の婿となることで、正弘本人の血が当主として受け継がれることに!

③ 現代の子孫はそれぞれ、史料の管理や実業界において活躍中。スケールの大きさが正弘に通じるものを感じさせる。

阿部正弘は幕末当時、それまでどんなに優れた幕臣も踏み出さなかった大改革を行った人物です。

現代まで続く子孫の活躍は、そんな正弘への尊敬が支えている部分が少なからずあるのではないでしょうか。

 
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