アドルフ・ヒトラーの生い立ちについては、あまり詳しくない人が多そうです。
実はヒトラーの生い立ちには、彼の独裁的な性格を形成した秘密が隠されていると言われています。
ここでは、そんなヒトラーの生い立ちについてまとめました。
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アドルフ・ヒトラーの出生について
- 出生日時:1889年4月20日18時30分
- 出生場所:オーストリアのブラウナウの旅館ガストホーフ・ツー・ボンマー
- 父親:アロイス・ヒトラー
- 母親:クララ・ヒトラー
「アドルフ・ヒトラー」は、1889年4月20日18時30分にオーストリアのザルツブルクから北へ60キロメートルの自治体ブラウナウの旅館ガスト・ツー・ボンマーで生まれました。
出生から2日後の1889年4月22日に、ローマ・カトリック教会のイグナーツ・プロープスト司教に洗礼を受け、アドルフ・ヒトラーの名を授かります。
ヒトラーの洗礼には叔母のハンニと産母ポインテッカーも立ち会っていました。
ヒトラーの両親について
ヒトラーの父「アロイス・ヒトラー」は父親不明の私生児として生まれ、その後アロイスの母親は結婚しましたが、実質アロイスを育てたのは義父の弟でした。
複雑な家庭環境が災いしてか、アロイスはかなり性に奔放な人物だったようで、多くの女性と関係を持ったのです。
そして、アロイスは三番目の妻に義父の子供であるクララを選び、その時にアドルフ・ヒトラーを生むことになります。
また、アロイスの実父は実は義父の弟だったのではないかと言われており、その辺りのことはハッキリわかっていないことです。
以上のように、アドルフはかなり混沌とした出自の持ち主なのですが、複雑な事情持ちの家系に生まれてきたことが、その後のアドルフの人格に悪影響を与えたと言われています。
ヒトラーは生涯、出自について語りたがらなかった
ヒトラーの家系はかなりいわくつきで混沌としているので、ヒトラー自身も生涯、自らの家系のことは口にすることは殆どありませんでした。
「自分が誰か、どこから来たか、どの一族から生まれたか、それを人々は知ってはいけないのだ!」
という、ヒトラーの頑ななまでの独裁的思考も、自らの出生に関わることに大きな問題があったからだと言われています。
実はヒトラーはユダヤ人だったため上のような発言をしたのではという見解もあり、ヒトラーの出自には謎が多いです。
アドルフ・ヒトラーの屈折した少年時代と父親との対立
混沌とした家系に生まれたアドルフですが、母クララとの仲は良かったものの、父アロイスの家父長主義的な考えがアドルフの人格を歪ませ、はじめは聞き分けが良かったアドルフも、次第に父親に反抗するようになったと言います。
アドルフは学校の教師にも反抗的な態度を取るようになり、成績が悪化し留年を繰り返すようになったため、最終学歴は小学校程度で止まっているのです。
さらに、父アロイスは農業事業に失敗した苛立ちからヒトラーを鞭で叩くようになり、ヒトラーを無理やり税務事務官にしようと税務事務局へ連れて行ったことで、大きく心の溝をつくったと後にヒトラーは語っていました。
アドルフ・ヒトラーの独裁主義的な思想は、ヒトラーの父アロイスの過剰なまでの支配が影響したことは、言うまでもないでしょう。
当然のことかもしれませんが、ヒトラーは後に「私は父が嫌いだった」という言葉を残しています。
画家になりたかったヒトラー
美術アカデミー不合格
ヒトラーは10代後半頃に画家を目指していて、1907年に芸術の都ウィーンへ移り住んでいます。
ヒトラーはウィーンの美術アカデミーを志望していて、当時の美術アカデミーは職業訓練学校のような側面が強く、年齢制限や学歴などの制限が緩かったため、小学校卒業程度の学歴のヒトラーでも受験することができたのです。
しかし、肝心の入試でヒトラーは不合格。
試験記録には、「アドルフ・ヒトラー、実科学校中退、ブラウナウ出身、ドイツ系住民、役人の息子。頭部デッサン未提出など課題に不足あり、成績は不十分」と記述されていました。
その後は、自作の絵葉書などを売って食いつないで生活していましたが、この頃に大量の知識を身に付け、ヒトラーの政治的思想は、この20歳前後にその基礎を築いたと言われています。
ヒトラーがもし画家になっていたら
ヒトラーがもし画家になっていたら、歴史は現在と全く違ったという話は有名です。
ヒトラーの同期にはエゴン・シーレという有名な画家がいますが、もしヒトラーも画家として成功していれば、ホロコーストは無かったのは言うまでもありません。
あくまでもパラレルワールドですが、もし世界が少しでもヒトラーにやさしければ、ユダヤ人もヒトラーによる大量虐殺をされなかったと言えるのです。
きょうのまとめ
ヒトラーの生い立ちについてご紹介いたしました。
簡単にまとめると、以下のようになります。
① ヒトラーはオーストリアのブラウナウで生まれた
② ヒトラーの家系には謎が多い
③ ヒトラーは父親と仲が悪かった
④ ヒトラーは若い頃は画家になりたかった
アドルフ・ヒトラーの生い立ちは、非常に重く辛い少年時代だったのです。
子供時代の傷から極端な思想に走るカリスマ的指導者は歴史の中に随所に登場しますが、ヒトラーは、その極致にある人物だと言えます。
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