陰陽師といえば安倍晴明。
夢枕獏の小説『陰陽師』が人気となってテレビや映画で話題になるまでその名は知られず、
晴明神社に訪れる人も多くはありませんでした。
そんな晴明神社も今や人気の観光名所です。
タップでお好きな項目へ:目次
安倍晴明を祀った晴明神社とは
創建1007年の晴明神社は京都市上京区晴明町にあります。
平安中期に活躍した晴明が1005年に死没した後、一条天皇の命によって晴明の偉業を讃えるために建立。
晴明屋敷跡のある現在の場所に社殿が設けられました。
創建当時は広大な敷地のあった神社でしたが、度重なる戦火や都市整備によって規模は縮小。
一時衰退しましたが、幕末以降、氏子たちの努力によって徐々に整備・改修がなされ、近年には現在の姿となったということです。
この晴明神社の建てられた位置にはある意味があります。
ここは、平安京の大内裏(皇居である内裏を中心とした政務や儀式を行う場所や諸官庁が配置された一画。政治の中心部)の鬼門にあたる場所なのです。
平安京はあらゆる怨霊や疫病から守るために工夫され、都の鬼門を封じるために比叡山延暦寺をはじめとする寺や神社が幾重にも結界を張って魔界の者たちの侵入に備えていました。
そして晴明神社が京の都の中枢を守る最後の砦だったわけです。
聖地・晴明神社の注目アイテム<
安倍晴明について興味があれば、ぜひ一度は訪れたいと思うのが晴明神社。
堀川通りから一の鳥居、二の鳥居とくぐって入っていくと、静かな敷地が広がります。
晴明神社の注目アイテムをみていきましょう。
五芒星
神社で目に付くのが、いわゆる「星マーク」。
これは晴明桔梗印とも呼ばれ、魔除けの呪符です。
晴明神社の最初の鳥居である一の鳥居の額には晴明桔梗印が掲げられ、神社内のあちこちでみられます。
晴明井
二の鳥居を入ったすぐ右手にある井戸。
晴明の霊力により水がわき出たという井戸で、病気平癒のご利益あり。
今でもこの水は飲めるそうです。
千利休もこの水を茶に使用したとか。
安倍晴明公像
本殿手前左にあります。
肖像画を元にしたもので、衣の下で印を結び、天体観測をしている様子を表わしたものです。
厄除け桃
晴明像に対応するように本殿の手前右にあります。
自分の厄をこの桃になでつけて取り除いてもらいましょう。
古来陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果実だと言われています。
<晴明神社>
式神が待機する一条戻橋
一条戻橋は晴明神社のすぐ近くにあります。
晴明が得意だった陰陽道の技のうち、とても魅力的なのが式神と呼ばれる鬼を操る技です。
式神とは、安倍晴明以外にも陰陽師たちが使役していたという鬼神の一種。
晴明は、調伏した鬼を自分の式神として使役をさせたりしていました。
陰陽師たちは式神に命令して悪霊を退散させたり、要所に配置してその場所を守らせたりしていたのです。
まるでポケモンみたいですね。
しかし、晴明の妻が怖がるので彼は自分の式神たちは家には入れず、自宅近所の一条戻橋の下に隠しました。
一条戻橋は794年の平安京造営の時に作られた橋。
何度も作り直されていますが、現在も場所は当時と変わらず晴明神社のすぐ近くにあります。
橋の下に式神が見えるかどうかは分かりませんが・・・。
<一条戻橋>
他にもあった安倍晴明の神社
晴明に関わる神社は実はまだ他にもあります。
名古屋市にある「名古屋晴明神社」は、かつて晴明が住んでいたことのある地に作られています。
移転をしようとするとそれを阻止するように人が高熱を出したり、神事の炎が狐の形になったりなどの七不思議が伝えられています。
そして大阪市阿倍野区にある「安倍晴明神社」は安倍晴明誕生の地に作られました。
晴明の等身大の像があり、晴明の産湯に使われたという「産湯井の跡」が残されています。
また、神社ではありませんが奈良の「安倍文殊院」は、晴明修行の地と言われています。
<名古屋晴明神社>
<安倍晴明神社>
<安倍文殊院>
きょうのまとめ
平安中期の京を護るプロとして活躍した日本の陰陽師の祖、安倍晴明。
この時代の摩訶不思議な異界ばなしを辿るなら、これらの晴明ゆかりの場所は晴明ファンならずともひと目見ておきたい場所ですね。
その他の人物はこちら
平安時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【平安時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
コメントを残す