戦国時代の最後に一躍その名を馳せた真田幸村。
そんな幸村が残した名言がたくさんあります。
一国の大名でもなく、また戦の勝者でもなかった真田幸村。
その生き様をありありと表現した言葉ばかりです。
今回はその幸村の残した名言と、それが意味するところをお話ししましょう。
タップでお好きな項目へ:目次
平時の生活において
夢をつかんだやつより
「夢を叶えて現状に満足しているものより、夢に向かって努力しているものの方が自分を成長させることができるのだ」
と言っています。
夢を実らせた努力に対し、気をぬくことなく日々精進することの大切さを語っているのです。
部下ほど難しい存在はない
現代でもそうですが、上司と部下の関係というのはとても難しいものです。
戦国の世にあっては、一度部下に憎まれれば命取りになりかねません。
真田幸村は常に部下たちとのコミュニケーションをとり、信頼関係を厚くしていきました。
関ヶ原の戦い以降
人の死すべき時至らば
真田の行く末を、父昌幸、兄信之と相談した「犬伏の密議」の時に、幸村が言った言葉です。
たとえ無理だとわかっていても目的達成のために、潔く散ることが本当の勇士だと言っています。
十万石では不忠者にならぬが
大坂夏の陣を前に、徳川家から「十万石で味方になってはくれまいか」と打診された幸村ですがこれを断ります。
さらに徳川家は信濃一国ではどうかと条件をつり上げて説得を臨みますが、
幸村はこの言葉を使者に託し断っています。
このように忠義の厚い武者を徳川は諦めきれなかったでしょう。
同じような誘いをして、またこう言われています。
損得で寝返る人間などあてにできようもないといっています。
徳川家は何よりその忠義心が恐ろしかったことでしょう。
関東勢百万も候へ
大坂夏の陣の道明寺の戦いで、
伊達政宗の騎馬鉄砲隊を相手に見事な働きをし、全軍を撤退させた時の言葉です。
百万人敵がいてもその中に勇士は一人もいなかったと、敵を揶揄した言い方です。
その時の幸村の誇らしさが手に取るようにわかります。
それは自分の働きにではなく、家臣に向けた誇らしさだと思います。
この言葉を聞けば、家康は身震いしたことでしょう。
事実家康の本陣に突っ込み、家康を二度も自害する覚悟にさせた幸村の気迫に満ちた戦いぶりが目に浮かびます。
あと一歩のところで夢果たせなかった幸村ですが、その心は満足していたのではないでしょうか。
きょうのまとめ
真田幸村の名言は、関ヶ原から大坂夏の陣をにかけて多く見られます。
それは幸村が一大名でもない、ただの一人の武者をであったことを意味します。
ですがこの戦いの数々で名を上げ、現代にも名前を残すヒーローとなったのです。
彼の名言には、死を覚悟で戦に臨む姿勢と心意気が満ち溢れています。
真田幸村の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「真田幸村とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」
その他の人物はこちら
安土桃山時代に活躍した歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【安土桃山時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」
時代別 歴史上の人物
関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」