真田幸村の大坂夏の陣での戦いぶりは皆さんご存知でしょう。
最初は優勢に見えた戦も、徐々に戦力を削られ真田軍は敗退していきました。
徳川家康の本陣まで迫り、あと一歩のところで家康を打つことができなかった幸村でした。
傷を追い、敵に追われる身となり落ち延びた真田幸村は、どこでその生涯を閉じたのでしょう。
彼の最期となった場所を辿ってみましょう。
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真田幸村の最期
安居神社の木の下で
大坂夏の陣で傷ついた真田幸村は、この安居神社の松の木の下で休んでいたそうです。
そこを越前松平家の、西尾宗次に発見され
と最期の言葉を残して討ち取られたのでした。
また別の資料では、
という説が出てきています。
幸村享年49歳でした。
安居神社とは?
安居天満宮とも呼ばれるこの神社は、創建された時期は不明です。
少彦名神が祀られています。
菅原道真が太宰府に流される時に、風待ちのためにここで休息されたため、
「安居」の名前がついたという伝承があります。
そのため942年から菅原道真が祀られるようになりました。
<安居神社>
秋田県大館市 一心院
大坂夏の陣では死んでいなかった?
真田幸村は「大坂夏の陣で討ち死にした」というのが通説です。
しかし実は
「密かに大阪を抜け出し、薩摩(鹿児島)に身を寄せていた」という説があります。
後に島津家も徳川の配下となると、奥州へと旅立ったのです。
幸村・大助親子は大館(秋田県)の岩神に定着し、名前も「信濃屋長左衛門」と改め、真田紐の生産や酒造りをしていたそうです。
そして、1641年真田幸村はこの地で75歳の生涯を終えた。
のだと言います。
大坂夏の陣では幸村には7人の影武者がおり、家康の前に幸村だという首がずらりと並べられたそうです。
もし事実であったならと、歴史好きにはとてもたまらないロマンを感じます。
一心院には、真田幸村、大助親子の墓があります。
<一心院>
きょうのまとめ
簡単にまとめます。
② 大阪夏の陣で生き延び、大館(秋田県)で最期をむかえた説もある。
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