無敗を誇った吉川元春。
あの三本の矢の逸話でも二男として有名です。
毛利家を支え、繁栄に導いた吉川元春の家紋はどのようなものだったのでしょうか。
今回は吉川元春の家紋についてお伝えします。
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吉川家の先祖について
吉川元春はもともと父毛利元就の策略から吉川家を継いでいます。
当時の吉川家は吉川興経が当主でしたが、
能力的に低いとみられ、家臣たちからも将来を危ぶまれていました。
毛利元就は吉川家の家臣たちの協力を得て、
二男・元春を吉川家の後継ぎとして継承させることに成功しました。
吉川家はもともと名門の一族で、
南家藤原流、藤原武智麻呂の三男、乙麻呂の子孫と称し古くは本姓藤原氏と称しています。
子孫、藤原維幾は平将門の乱では平貞盛と協力し、平将門を討った功績を残しています。
維幾の子、為憲は東国に定着し、
子孫は伊豆、駿河、遠江地方に住み、工藤家、伊東家、入江家に分かれます。
駿河の入江家から分かれたのが吉川家となります。
その後、承久の乱(1221)に北条氏に属し勲功により、安芸国大朝本庄の地頭職に就任されます。
地盤を固め、安芸国の有力大名に成長していきました。
吉川家の家紋について
吉川家家紋は「丸に三つ引き両紋」と呼ばれる家紋を用いていました。
その名の通り、丸に三本の横線が入っている家紋のことです。
丸に三引両の紋は、足利氏の一門、細川勝元に仕えていた吉川経基が
応仁の乱の戦功で賜ったものと言われています。
足利氏が引き紋を家紋として用いていたことから、この家紋を授かったと言われています。
詳細は不明ですが、三本線は朝廷から三度盃をいただいたことに由来するという説もあります。
引き紋の由来
引き紋は一本の線、二本の線、三本の線といった種類があります。
この横線の意味は多数の由来がありますが、現在まだ確たる意味は分かっていません。
現在、引き紋の由来、意味は以下3つほどの仮説があります。
龍の意味
足利氏が用いていた引き紋は「二引両」と呼ばれる二本線で構成されています。
引両の両を龍に掛けて「2匹の龍が天に登る」という意味の由来です。
足利尊氏が天下を取ったことを背景に縁起の良い意味合いで用いられたと言われています。
「日」と「月」を表す
引両の両は霊(精霊)を表し、一引両は「日」を意味し、
二引両は「月」を意味するという説があります。
陣幕の白黒が由来
当時の野戦の陣幕が白黒に張られていたところから、家紋に用いたとされる説もあります。
引両紋は人気がない?!
吉川家の家紋で知られる引両紋はシンプルで、
実戦では簡単に描けることから非常に実用的な家紋でした。
古くはシンプルな横線一本の新田家「新田一つ引」家紋も有名です。
しかし、シンプルさゆえに、無骨な印象が強かったようです。
鍋蓋、あるいは釜蓋などと呼ばれ、女性からは人気がなかったと言われています。
また、引両紋では横線だけではありませんでした。
仙台の伊達正宗の家紋は「竹に雀」紋が有名ですが、「竪三つ引き」も用いていました。
横線ではなく、縦線三本の変わった家紋です。
時代とともに家紋は様々と変化してきたように感じますね。
きょうのまとめ
吉川元春の家紋について見てきましたが、いかがでしたでしょうか
吉川元春の家紋は、
② 吉川家が「引き両紋」を用いた背景には足利氏の影響がある
③ 「引き両紋」の由来は3つの仮説があり、詳細には判明していない
④ シンプルな「引き両紋」は様々に変化してきた
と言えるのではないでしょうか。
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