あの織田信長の重臣として活躍した、
丹羽長秀。
その後、以前の家臣であった豊臣秀吉に仕えることとなります。
しかし、豊臣秀吉の陰謀、策略もあり、非業の死を迎えてしまいます。
今回は丹羽長秀の最期と、子孫についてお伝えします。
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丹羽長秀の生涯とその後
丹羽長秀、無念の死
織田信長の重臣、柴田勝家と並んで「織田家の双璧」とまで言われた丹羽長秀。
本能寺の変で織田信長が亡くなると、
早急に明智光秀を討ったのが、丹羽長秀の元家臣豊臣秀吉でした。
その後、信長の後継者を決める「清州会議」では、豊臣秀吉の推薦する信長長男の子である三法師を推します。
つまり、柴田勝家が推薦する信長の三男、信孝を拒否し豊臣秀吉側につきました。
豊臣秀吉側についた丹羽長秀は、秀吉と共に柴田勝家を滅ぼします。
この功績から越前、加賀の一部を与えられ123万石の大名に出世します。
しかしその後、豊臣秀吉が織田家をないがしろにし、秀吉自身の天下取りを進める事態に失望します。
丹羽長秀は秀吉の言いつけに従わず、反抗的な態度もとるようになりました。
その中、丹羽長秀は病に侵されます。
丹羽長秀は秀吉への怨みを募らせ、割腹自殺しました。
その際、自ら腹の中の病巣を手で取り出し秀吉に送りつけたとも言われています。
丹羽長秀の跡目、丹羽長重の悲劇
丹羽長秀が亡くなり、後を継いだ2代目、丹羽長重は当時15歳という若さでした。
豊臣秀吉は怨みを持つ大大名・丹羽家の力を封じ込める策を講じました。
軍率違反など言いがかりをつけては、領地を取り上げ続けます。
ついには123万石もあった領地は4万石まで減らされてしまいます。
丹羽長重は小田原征伐の際、いち早く出兵し、4万石から12万5千石まで加増に成功しました。
しかし豊臣秀吉没後、関ヶ原の戦いでは西軍(石田光成側)で参戦、東軍に敗れ領地は没収。
3年後、徳川家康の許しを得ることができ、常陸国古渡(現、茨城県の一部)1万石を与えられて大名に復帰します。
その後の大坂の陣で活躍を見せ、常陸国江戸崎2万石、陸奥国棚倉(福島県白河周辺)5万石と出世します。
最終的には12万石にまで領地を拡大、棚倉城、白河小峰城を築城するまでに至っています。
二本松藩主、3代目丹羽光重のエピソード
丹羽長重の後、3代目を継いだのが長重の三男丹羽光重。
白河藩主のち、二本松藩の初代藩主となります。
藩主として就任したのち、施設や市街地の整備などに尽力、現在の福島県二本松市の基礎を作り上げました。
また、二本松神社例大祭には神輿を出し、これが現在の「二本松提灯祭り」の始まりと言われています。
そして丹羽光重と言えば、赤穂浪士。
丹羽光重は、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の一人、浅野内匠頭長矩と親戚関係にあります。
丹羽光重の姉(丹羽長重の三女)が浅野内匠頭長直(長矩の祖父)に嫁いでいました。
丹羽光重は「浅野内匠頭長矩が、松の廊下で吉良上野介に斬りかかった。」と聞いたとき、このように話していました。
敵は切るのではない、突くのだ!突けば仕留められた!
二本松藩の剣術は「突き」(槍)であったことから、このようなエピソードが残っています。
丹羽家の築城技術!
初代丹羽長秀は戦の活躍も多いが、政治的な能力が高かったと言われています。
信長の安土城の行政、援軍等の補給路の確保、戦後の処理など、裏方の仕事も着実にこなしていました。
そしてなんといっても評価が高かったのが築城技術。
丹羽長秀時代から築城技術が高いと言われ、2代目の長重も築城技術の評価が高かったと言われています。
棚倉城を築き、ついで、白河小峰城を築城します。
江戸幕府は仙台の野心家「伊達正宗」を恐れ、関東への玄関口を強固な城で防ぎたかったと言われています。
関ヶ原の戦いで西軍についた丹羽家が異例の出世をしたのは、この築城技術があったからかもしれません。
丹羽家の子孫がサッカー日本代表?
サッカーJリーグガンバ大阪で活躍し、
2015年日本代表に選出された、ディフェンダー丹羽大輝氏。
実は丹羽長秀の末裔であると言われています。
兄の丹羽圭介氏はプロキックボクサーとしても有名です。
きょうのまとめ
丹羽長秀の子孫について見てきましたが、いかがでしたでしょうか。
最後に簡単にまとめます。
② 3代目丹羽光重は、日本三大提灯祭りの一つ、二本松提灯祭りが有名な福島県二本松市の基礎を築いた
③ サッカーの元日本代表の丹羽大輝氏は、丹羽長秀の末裔
丹羽長秀については、他にも色々な記事があります。
よろしかったらご覧になってみて下さい。
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