日本人が大好きな日本史上の人気組織を挙げるとき、
赤穂浪士と新選組は欠かせません。
活躍した時代も、状況も違う2つ別個のグループです。
今回は、私たちの心を揺さぶるこれら2つのサムライ集団について同時に見て参りましょう。
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2つの集団についてのおさらい
まずは簡単な説明から。
赤穂浪士
元禄年間の1701年、江戸城松之大廊下にて、浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に斬りつけた刃傷事件を発端とした赤穂事件が起きました。
吉良上野介にはお咎めがなく、赤穂藩主であった浅野内匠頭即日切腹となり、藩がお取りつぶしとなりました。
それを不服とする大石内蔵助を中心とした47名の元赤穂藩士たちは、討ち入った吉良の屋敷で吉良の首をあげ、主君の仇を取ったのです。
彼らは「赤穂浪士」「赤穂義士」「四十七士」と呼ばれ、その行為は大衆に絶賛されますが、1703年、自首した全員が切腹処分となりました。
新選組
幕末の京における治安維持のために京都守護職の指揮下におかれた武力組織です。
もともとは近藤勇・土方歳三ら浪人・町人・農民たちによる剣客集団で、世間を騒がせていた勤皇浪士たちの取り締まりを行っていました。
1864年に起きた「池田屋事件」で活躍し、勤皇の志士たちによる御所焼き討ち計画を未然に防いだことが有名です。
効果的な集団戦法による強さは比類がなく、勤皇家たちに怖れられた幕末最後の武士集団。
1868年の戊辰戦争で幕府軍として戦いましたが、敗北しました。
赤穂浪士と新選組|こんなところが似ている
赤穂浪士と新選組には共通点が幾つかあります。
勇敢に活躍した悲劇の集団として
どちらも、組織として集団での行動・活躍が世間に名を知られるきっかけとなりました。
また、私を捨てて主君のために戦い、潔く悲劇的に散ったサムライたちです。
世代を問わず、多くの人が知る歴史上の人気集団として
彼らの生きざまは、現代でも小説、芝居、ドラマ、映画などに繰り返し取り上げられる人気テーマであり、世代を問わず多くの日本人が彼らのことを知っています。
服装が似ている
赤穂浪士のビジュアルイメージは、『仮名手本忠臣蔵』と呼ばれる人形浄瑠璃や歌舞伎の演目として上演されたことで定着しました。
討ち入る赤穂浪士たちの揃いの黒い羽織には、袖口をギザギザの山形が白く抜かれていました。
新選組が京において始動したころ、揃いの隊服を仕立てるときにあやかったのが、「忠臣蔵」の羽織のイメージ。
切腹時の装束の色として知られる浅葱色の羽織に、袖口を山型に白く抜いたあの有名なダンダラ羽織です。
だから2つのグループの服装が似ているのですね。
赤穂浪士と新選組|こんなところが違っている
赤穂浪士と新選組を比べてみました。
比較表
組織 | 赤穂浪士/赤穂義士/四十七士 | 新選組 |
ボスの名前 | 大石内蔵助 | 近藤勇 |
活躍年 | 1701年~1703年 | 1863年~1869年 |
主君 | 赤穂藩主・浅野内匠頭 | 京都守護職・松平容保 |
身分 | 元赤穂藩士の浪人 | 元下級武士、農民、町民の武士/幕臣 |
働きの内容 | 主君の仇である吉良上野介を討取った | 京の治安維持・勤皇の志士取り締まり・幕府軍として戊辰戦争に参戦 |
有名メンバー | 大石主税、不破数右衛門、堀部安兵衛、吉田忠左衛門、坂吉右衛門、高田郡兵衛、片岡源五、小野寺十内、原惣右衛門、大高源五など | 土方歳三、沖田総司、芹沢鴨、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、井上源三郎、斎藤一、山﨑丞、武田観柳斎、山南敬助など |
最終的にどうなった? | 討ち入り参加した赤穂浪士たちは大石内蔵助以下全員切腹。 | 戊辰戦争での敗北で消滅。平隊士・幹部隊士たちの多くが抗争や戦争で戦死。近藤(斬首)、土方(戦死)、沖田(病死)。幹部のうち永倉新八、斎藤一は明治の世を生きた。 |
2つの組織の特徴
1.藩士から浪人へ転落の赤穂浪士、浪人・農民・町人から幕臣へ成り上がった新選組
赤穂浪士たちは、もともと赤穂藩の藩士たちでした。
主君である浅野内匠頭が刃傷事件を起こしたことで、主家はお取りつぶしとなり、藩士たちは勤め先を失った浪人となったのです。
一方、新選組は、もともと脱藩浪人や下級武士、農民・町人たちの主のない寄せ集め集団。
のちに京都守護職のお預りとなり、京の市中警備で手柄を立てる腕を買われ、幕臣となったのです。
ただし、それは弱体化していた幕府の状態を示す証しでもありました。
簡単に言えば、赤穂浪士は藩士から浪人へと転落した者たちの集団、新選組は下級身分の者が成り上がっていった集団です。
2.人気ピーク
赤穂浪士と新選組共に多くの人に愛されている組織ですが、人気のピークとなった時期は違います。
赤穂浪士は事件直後から人気で、歌舞伎などの『仮名手本忠臣蔵』で広く親しまれ、大正、昭和期の映画やテレビに多く登場しました。
新選組は、倒幕後の明治時代にはその存在について語ることははばかられ、新選組の生き残りの人たちも口を閉ざしていました。
しかし、昭和になって新選組を題材にした小説に人気が出始め、平成に入って以降今やマンガやゲームから派生したミュージカルになるなど、大変な人気ぶりです。
日本人はどうして赤穂浪士や新選組が好きなの?
今や歴史上の人物たちがアイドルになってしまう令和の時代。
2つのグループは、活躍時期も組織としても全くの別物ですが、現在もそれぞれ根強いファンを多く持っています。
彼らが人気となった要因には
・本当に起きたドラマチックな悲劇
・時代を代表する人気メディアを通じて発信されたきたテーマとなったこと
が挙げられます。
これらが揃い、そこに源義経の時代からDNAに刷り込まれた「判官びいき」の日本人気質が反応してしまったのが人気の秘密ではないでしょうか。
それならば、彼らの人気はまだまだ息長く続くことでしょう。
きょうのまとめ
今回はサムライ集団の赤穂浪士と新選組について比較しながら、それぞれの似たところ違ったところについてご紹介しました。
簡単なまとめ
① 赤穂浪士と新選組は立場や活躍した時代は違うが、主君のために命がけで戦い、悲劇で終わる共通点があった
② 新選組の初期の隊服であるダンダラ羽織は、赤穂浪士の活躍を元にした芝居『忠臣蔵』の衣裳を真似て作られたものである
③ 判官びいきな日本人の性格が彼らの人気を支えた。赤穂浪士は昭和に人気のピークがあり、新選組は平成だが、どちらも長く人気が続くことだろう
マンガでもゲームでも映画でも。
きっかけは何であれ、彼らの活躍に注目しそこから日本史への興味が深まれば、それは素晴らしいことですね。
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