1927年7月24日のこと、作家・芥川龍之介は睡眠薬を大量に摂取し、東京都北区田端の自宅にて自殺しました。
死に伏した芥川に対して妻の文は一言「よかったですね」と、残したとも。
また親友の内田百閒はその数日前に芥川を訪ね、すでに睡眠薬で酩酊状態になっているところを目撃しています。
彼が自殺を謀ること、死を選んでも仕方がないことは、周囲の者も十分にわかっていたということです。
大正の大文豪は何を思って死んでいったのか?
今回はその死因について迫っていきましょう。
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自殺を選んだのは苦悩ではなくあきらめから
芥川龍之介の自殺は想像するに、思い悩んだ結果というより、ある種のあきらめに近い感覚でしょう。
彼は死に際し、友人の久米正雄に宛て『或旧友へ送る手記』という遺書を残しており、その一節から死を選んだ動機を推測することもできます。
遺書にて芥川はその死因を「病苦や精神的苦痛だけが理由ではない」と語っています。
しかしそれに反して、自殺の数年前からの彼を取り巻く状況は悲惨の一言です。
芥川は1921年ごろから神経衰弱を患い、不眠症や胃潰瘍など、精神を病んでいる兆候がありました。
このころには子ども3人と妻の文、さらに義父母や伯母などを自分の筆一本で養っていかねばならず、食事をする時間も腰を落ち着けられない状態が続いていたとのこと。
さらに自殺を決行する半年前には姉の夫が放火及び保険金詐欺の疑いをかけられ自殺。
その後始末にも追われた挙句、最終的には12人もの家族の食い扶持を、芥川ひとりで稼がなければいけなくなっていました。
状況から見ると、彼の自殺は明らかに自身の優れない体調や、家族を養っていかなければいけない重圧、貧困が後押ししたもののように感じます。
しかし前述のように、芥川はそれらが動機ではないといっているのです。
そして彼は自身が死を選んだ理由については、以下のように述べています。
(出典:或旧友へ送る手記)
そう、芥川が死にたくなった理由は、あくまでも”ぼんやりした不安”だといいます。
将来に対する不安というと、
「この先家族を養っていけるだろうか…」
「病気が悪化してしまったらどうしよう…」
といったことが考えられますが、彼のいう不安はそういった押し迫ったものではないと言っています。
ぼんやりした不安の正体はその後の人生の虚無感
この“ぼんやりした不安”の正体こそがある種のあきらめ、その後の人生に対する虚無感です。
それを物語る一文も、遺書の最後の方に記されていました。
(出典:或旧友へ送る手記)
芥川はおそらく売春婦に身を預けるなかで、その女性が月々生計を立てていくのにどのぐらいの男と床を共にしなければいけないのか…のような話をしたのでしょう。
そしてそれを語る彼女が幸せそうではないことも想像に容易いです。
人は生きていくためだけに、楽しくもなんともないことをしなければならない。
それなら生きていくということは、どんなにくだらないことだろう。
芥川はうまく立ち行かない自分の人生に対しても、そんなことを思っていたのではないでしょうか。
つまりどうにもならない状況に苦しんでいたというよりは、「どうせ生きていたって、おもしろいことなんてない」というあきらめの感情なのです。
その虚無感を周囲も感じていたから、きっと妻の文にしても「よかったですね」という言葉をもらしたのでしょう。
親の愛を知らずに育った逆境を跳ね除けて作家として台頭し、自分が死のうというときも、遺産だけで家族が食べていけるかを心配するような人です。
彼を悩ませていたものが苦痛であったならば、それを乗り越えていくだけの器量は持ち合わせていたのかもしれません。
本当は死ぬつもりがなく、自分の苦悩に気づいてほしかった?
一説には芥川の自殺は、本当は死ぬつもりがない”狂言自殺”だという意見もあります。
要するに彼は周囲の気を引くために自殺未遂をしようとしたはずが、誤って死んでしまったということ。
これが本当なら、芥川が本当は自分の置かれた状況に思い悩んでいて、誰かに助けを求めたかった線もありそうです。
そして遺書のなかにも、こんな一文が…
轢死も僕には何よりも先に美的嫌悪を与へずにはゐなかつた。
ピストルやナイフを用ふる死は僕の手の震へる為に失敗する可能性を持つてゐる。
ビルデイングの上から飛び下りるのもやはり見苦しいのに相違ない。
(出典:或旧友へ送る手記)
芥川が睡眠薬による自殺を選んだのは、それが一番見苦しくない死に方だと思ったから。
彼が作家だったためか、残された家族に嫌な思いをさせないためか、美しい死に方を望んでいるのです。
考え方によっては狂言自殺だからこそ、周囲に嫌悪感を与えない美しい死に方をしたかったのでは?とも捉えられます。
そしてそもそも睡眠薬のような時間のかかるものでないと、そういった演出も行えません。
真意は誰にもわかりませんが、自殺未遂をすることで自分がどれだけ苦悩しているか気付いてほしかった…ということも、たしかに考えられますね。
きょうのまとめ
芥川龍之介は「生きていてもおもしろくない」という、ある種のあきらめの感情で自殺を選びました。
考えてみれば彼の作品に人間の闇を描くものが多いことも、社会そのものに希望を見いだせなかった思惑が反映されているように感じます。
その死に想いを馳せていくほどに、死を選ぶのも自然な世界観のなかに彼が身を置いていたことも痛感させられますね。
最後に今回の内容をまとめておきましょう。
① 芥川龍之介は苦しんでいたわけではなく、「くだらない」というあきらめの感情から自殺を選んだ
② “ぼんやりとした不安”の正体は、この後の将来への虚無感
③ 本当は自分の苦悩を知ってほしかった?狂言自殺の可能性も…
「闇がないと光は見えない」ともいいますから、芥川が感じたようなどうしようもない闇の世界があることを知っておくこともまた大切なのかもしれません。
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君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。
しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。
(出典:或旧友へ送る手記)