芥川龍之介とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

どんなに文学に疎い人でも、大正の大文豪・芥川龍之介あくたがわりゅうのすけの名前を聞いたことがない人はそうそういないでしょう。

代表作の『羅生門』などは中学の国語でも習いますし、『蜘蛛の糸』などの童話もテレビで放映されていたりするので、多くの人がどこかで作品に触れているはず。

そうでなくても、現代の日本文学界において「芥川賞」はトップクラスの栄誉として知られています。

このように現代人も何かと接することの多い芥川龍之介ですが、著名な作家という以外のことは、実はみんな知らないのでは?

いったい彼はどんな人物だったのでしょう。

芥川というと、人間の本質をついたような、闇を感じさせる作品が主流です。

その生涯を辿ると、いかにしてその感性が育っていったのかも垣間見えますよ!

以下より詳しく見ていきましょう。

 

芥川龍之介はどんな人?

プロフィール
芥川龍之介

芥川龍之介
出典:Wikipedia

  • 出身地:東京市京橋区(現在の東京都中央区)
  • 生年月日:1892年3月1日
  • 死亡年月日:1927年7月24日(享年35歳)
  • 「芥川賞」で有名な大正時代屈指の短編作家。人間の闇を描いた作風が主流

 

芥川龍之介 年表

年表

西暦(年齢)

1892年(1歳)東京市京橋区(現在の東京都中央区)にて牛乳製造業を営む父新原俊三・フクの長男として生まれる。生後7か月でフクの病気のため、母方の芥川家に預けられることに。

1903年(11歳)母フクが亡くなり、正式に芥川家の養子となる。

1910年(18歳)府立第三中学校卒業。「多年成績優等者」の賞状を受け、第一高等学校第一部乙類に無試験で入学。

1913年(21歳)東京帝国大学(現在の東大)英文学科に入学。

1914年(22歳)高校時代の同期である菊池寛・久米正雄らと同人誌『新思潮』を刊行し、作家活動を開始する。

1915年(23歳)代表作『羅生門』を文芸誌『帝国文学』にて発表。

1916年(24歳)『新思潮』にて発表した『鼻』を師匠の夏目漱石が絶賛。大学を20人中2番目の成績で卒業し、海軍機関学校の英語教師になる。

1917年(25歳)短編集『羅生門』『煙草と悪魔』を刊行。教師を務めるかたわら、小説執筆の仕事が増えていく。

1919年(27歳)英語教師を辞職し、大阪毎日新聞社に入社。創作活動に専念する環境を与えられる。友人の紹介により塚本文と結婚。

1921年(29歳)海外視察員として中国へ派遣される。このころから神経衰弱や腸カタルなどを患い、体調を崩し始めた。

1925年(33歳)文化学院文学部講師に就任。

1927年(35歳)睡眠薬を大量に摂取し、自宅にて自殺。

 

芥川龍之介の幼少期

芥川龍之介は1892年、東京市京橋区(現在の中央区)にて、牛乳製造業を営む父・新原敏三と母・フクの長男として誕生します。

ここで「新原?じゃあ芥川は本名じゃないの?」と思った人もいるかもしれませんが、芥川龍之介はれっきとした本名で、これも彼を取り巻いた複雑な家庭環境を物語るものです。

両親の温もりを知らずに育った幼少期

実は芥川は生後7か月で母のフクが精神病を患ったため、母方の芥川家に預けられることになりました。

なんでもフクの病気は相当にひどく、芥川の面会もままならない状態だったとか。

そのため彼は母親の温もりというものを一切知らずに育ったわけです。

もちろん母親代わりをしてくれた伯母のフキも教育熱心で、大切にはしてくれました。

また芥川家は江戸時代、徳川家に仕えていた名残から芸術や演芸への理解が深く、このことも芥川の文人としての基礎に大きく影響しています。

芥川が勉強に没頭したのは見捨てられないように?

「なんだ…両親にこそ恵まれなかったけど、意外に悪くない環境じゃないか」と思った人もいるでしょう。

しかし芥川が11歳のころのこと、さらなる波乱が彼の身を襲います。

そう、この年に母のフクは亡くなってしまうのですが、同時期に父の敏三が伯母のフキと不倫をしていたことが発覚するのです。

これによって芥川家新原家の仲は完全に悪化。

新原龍之介が芥川龍之介へと変わった瞬間でした。

芥川は幼少より成績優秀で、1913年には年に数人しか合格者が出ない東京帝国大学英文学科への入学も決めてしまうほどです。

これは一見、環境に左右されず努力してきたのだな…と感心させられる逸話ですが、ひょっとすると「何かに秀でていないと、また同じように見捨てられてしまう」という恐怖からの努力だったのかもしれません。

 

作家としての活動をスタート

大学生になると芥川は友人の久米正雄・菊池寛らと同人誌『新思潮』の刊行を始めたことをきっかけに作家としての活動をスタートさせます。

作家としては早熟も早熟。瞬く間に名を挙げていった20代

彼の台頭は早熟も早熟。

なんと代表作の『羅生門』はこの大学在学中、23歳のころの作品なんです。

…現代でも、この歳で教科書に載るような作品を発表できる人というのはまずいません。

また24歳のころに発表した『鼻』も、当時芥川が指示していた夏目漱石が絶賛したことで有名です。

さらに卒業後は一度、海軍機関学校の英語教師になるものの、執筆依頼が殺到したために辞職し、大阪毎日新聞社に入社して創作活動に専念することに。

新聞社の社員なのに小説を書くことだけが仕事というのもすごいですね…。

破竹の勢いとはこのことです。

やはり文人としての才覚は江戸より続く芥川家の家柄により、着々と磨かれていたということでしょうか。

古典を題材にした作品が多いこともその家柄と関係がありそうです。

恋愛が芥川の創作意欲に火をつけた?

才能を発揮しだした大学時代、芥川はひとつの大きな失恋も経験しています。

お相手は幼なじみで青山女学院英文科に通っていた吉田弥生という女性。

芥川は彼女との結婚を考えていたわけですが、芥川家の反対に遭い、結局諦める形になってしまいます。

彼女は家柄も悪くなければ、学力にしても芥川と釣り合いが取れていました…なのにどうして?

と思うところですが、これにもまた父の敏三が関係してきます。

そう、彼女の生家である吉田家は、敏三の新原家と仲が良かったのです。

新原家を毛嫌いしている芥川家としては、「そんな家の娘を嫁にもらうわけにはいかん!」となってしまったわけですね。

敏三さん…どこまで芥川の足を引っ張れば気が済むんだ…。

と言いたくなるところですが、彼の創作意欲に火が点いたのは、この失恋がきっかけだったとも考えられます。

そう、芥川が作品を次々と執筆しだしたのは、失恋を経たこの時期から。

彼女のために仕事を頑張ろうと思ったり、失恋の辛さを乗り越えるために何かに没頭したりという経験は覚えがある人もいるでしょう。

たしかに恋愛は絶大なパワーをもっていますよね。

 

波乱を極めた晩年

最後は自殺という悲劇的な死を遂げた芥川ですが、ここまでを追ってみると、幼少期はともかく、作家になってからはかなり順調な人生のようにも思えます。

しかし晩年の彼の人生はそりゃあもう、自殺するのもおかしくないぐらい壮絶です。

まず芥川は27歳のころ、友人の紹介で塚本文という女性と結婚しているのですが、文は芸術に対して無関心なところがあり、夫婦仲があまりうまくいきませんでした。

そのせいもあって芥川は、秀しげ子という女性と不倫をするのですが、なんとしげ子は芥川の弟子にも手を出していたのだとか。

このことで冷めてしまった芥川はそれきりで彼女との関係を切りますが、諦めきれないしげ子は「芥川の子を身ごもっている」と言い出す始末。

このころから芥川が体調を崩し始めたのは、しげ子との関係を巡る心労からでしょう。

そして胃潰瘍神経衰弱など、体調も一向に優れない晩年、1927年のこと、義理の兄・西川豊が保険金詐欺の疑いをかけられて自殺します。

この際、西川の残した借金や、姉の生活費も芥川が工面しなければならず、彼は文字通り馬車馬のごとく働かなければいけませんでした。

このように立ち行かなくなってしまった自分の人生に嫌気がさした芥川は同年、睡眠薬を大量に摂取し、35年という短い人生に終止符を打つのです。

ちなみにこの年もギリギリまで『河童』『歯車』など、著名な作品を出し続けています。

芥川龍之介は人生に希望こそ見出せませんでしたが、生涯作家であり続けたのですね。

 

きょうのまとめ

芥川龍之介が35歳という若さで亡くなったことは有名な話ですが、その生涯を辿ると、彼が作家として活躍した時期の短さにもまた驚かされます。

23歳の『羅生門』が始まりと考えると、わずか10数年。

名作とされる作品の多さを考えると、どれだけ研ぎ澄まされた感覚で、ひとつひとつが作られていたのかを痛感させられます。

そしてその才能を支えていたのは波乱に満ちた人生そのものだと言わざるを得ないでしょう。

…なんだか皮肉な話です。

最後に今回のまとめをしておきましょう。

① 芥川龍之介は幼少期、両親の温かみを知らずに育ったが、その反動で勉学に励んだ

② 大学時代は『羅生門』『鼻』などの名作を続々と生み出し、一気に名を挙げていく。あの夏目漱石も絶賛した

③ 晩年は女性問題や親族の自殺、生活苦などを抱え、精神をすり減らしていった

人間社会を生きていくうえで、「苦しみ」「闇」といった部分は、誰しもが突き当たる壁です。

それを痛いぐらいに経験し、現代に残した芥川龍之介。

その作品に触れておく価値は大きいですね。
 
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2 件のコメント

  • 事実は、かなりねじ曲げられている。
    調べて良かった。
    私は、遠藤周作の遺作となった『影に対して』を読み
    考えさせられる。
    陰と陽は、誰にでも有りうるもの
    これは後世に伝えていくべきものかと推察する。

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