日本に黒船で来航した
ペリー提督。
しかし、
日本ではそれ以外の実態はあまり知られておりません。
今回はそんな彼の素顔にせまってまいりましょう。
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ペリーはどんな人?
- 出身地:アメリカ合衆国ロードアイランド州
- 生年月日:1794年4月10日
- 死亡年月日:1858年3月4日(享年63才)
- アメリカ海軍人。江戸末期黒船を率いて来日し、開国させる
ペリーの年表
1794年(0才)マシュー・ペリー生まれる
1809年(14才)士官候補生として海軍入隊
1813年(19才)兄オリバーが米英戦争中「エリー湖の戦い」で活躍
1833年(39才)ブルックリン海軍工廠の造船所長となる
1852年(58才)東インド艦隊司令長官となる
1853年(59才)東インド艦隊を率い、日本に来航
1854年(59才)再び日本に来航し、日米和親条約に調印する
1855年(60才)海軍を退任
1858年(63才)マシュー・ペリー亡くなる
海軍ファミリーに生まれる
お父さんクリストファー・レイモンド・ペリー。
そして、その息子たちは本記事の主人公マシューもふくめ
みんな海軍将校という
なんだか背中に「正義」とぞろぞろ書かれてそうなファミリーです。
ちなみにお母さんは
映画「ブレイブ・ハー〇」
でおなじみ、
スコットランド救国の英雄ウィリアム・ウォレスの子孫だそうです。
ますます
漫画『◇ン・ピース』
に出てきそう……。
マシューは三男。
さすがです。
14才9ヶ月で士官候補生として海軍入隊。
1812年には米英戦争に参加しますが、
そこで
お兄さんのオリバー・ハザード・ペリーが敵艦隊を沈めることなく全部拿捕。
というものすごい偉業をやってのけます。
アメリカ蒸気船海軍の父
マシューはやがて海軍工廠の造船所長となります。
1846年の米墨戦争(アメリカvsメキシコ)では
ミシシッピ号の艦長兼本国艦隊副指令として参加します。
ちなみにこのミシシッピ号、
日本に来航した時にしっかり帯同しております。
なんなら
浦賀から江戸湾深くまで日本側の何の許可なくせまる
という“味”な役割を担うことにもなりました。
こうして、
マシューは蒸気船を主力とする海軍の強化を推し進めます。
一方、
士官教育にも当たり、
祖国では
蒸気船海軍の父
としてたたえられております。
やがて、
マシューは東インド艦隊長官にまで出世。
当時はアヘン戦争が起こり、
大国清がイギリスに惨敗して、
列強がそれをチャンスと見て次々と乗り込んできておりました。
アメリカだって抜け目がありません。
きっちり望厦条約という不平等条約を結んで(押し付けて)おります。
日本を開国させたい!
東インド艦隊の宿願。
それはいつまで経っても“ひきこもりぎみ”の日本の開国です。
先輩司令長官ジェームズ・ビドルもチャレンジ(浦賀に来航)してみましたが、
きっちりスルーされました。
ともかく、
当時一大産業だった捕鯨の、
そして、
ビッグマーケットである清への
中継地として日本はぜひ開国させたい!
すでに“その”1年以上前からペリーはこんな計画を上官にもうしでております。
・日本人は書物で蒸気船を知っているかもしれないが、目で見ることで近代国家の軍事力を認識できるだろう。
・中国人に対したのと同様に、日本人に対しても「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう」
・オランダが妨害することが想定されるため、長崎での交渉は避けるべき
砲艦外交まっさかりですね。
ペリー来航と日米外交かけひき
これに対し、
江戸幕府も1年も前から“それ”を予期し、
対策を練っておりました。
が、
今回の相手は火力がちょっと違います。
最新式大砲をワンサカ載せた巨船(当時の日本は外洋船がないため、黒船の大きさは規格外です)で江戸にドンドンぶち込まれたらもうたまりません。
マシュー側による
浦賀に停泊中、
空砲をぶっ放したり、
江戸湾を勝手に測量したり、
など
もろもろのデモンストレーションも効果を示したでしょうか。
と伝えて、もう一度来てみると、
さすがの幕府も開国せざるをえなくなりました。
きょうのまとめ
こうして開港されたのが下田と箱館。
マシューはあわよくば日本との通商を結びたかったようですが、
幕府もそこはしっかり拒否しとおすことができました。
① マシュー・ペリーの一族は筋金入りの「海軍ファミリー」
② マシュー・ペリーは蒸気船による海軍の強化を推し進め、士官の教育にも意を注いだ「蒸気船海軍の父」と母国ではたたえられている
③ マシュー・ペリーによる砲艦外交で江戸幕府も200年以上の祖法「鎖国」を破らざるをえなくなった
香港に逗留していたマシューは体調不良によって本国への帰還を要請。
本国アメリカへと帰りつきました。
日米和親条約調印の翌年のことになります。
この人は奴隷の帰国事業にも貢献し、
アフリカ西海岸の国リベリアではよく知られております。
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