大正10年(1921)、在任中の総理大臣
原敬が暗殺される事件が起こりました。
犯人が原を殺した理由とはなんだったのでしょうか。
今回は原敬刺殺事件と犯人について、簡単にご紹介していきます。
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原敬が東京駅で暗殺される
当時立憲政友会の総裁であり、時の総理大臣であった原敬。
京都で行われる立憲政友会の近畿大会に出席するために、東京駅へと向かいました。
原敬の政策などは、右翼の大物たちから快く思われていなかったこともあり、
以前より原の暗殺計画があるとの噂がありました。
本人も万が一のために遺書を残していたといいます。
駅に着くと原は案内役の駅長と並んで歩き、その周りには警官がつきました。
しかし、原の前には誰もいませんでした。
乗車口の手前にさしかかったとき、円柱の陰に隠れていた人物が急に原にぶつかります。
すると二人は倒れ、原は仰向けに。
立ち上がった刺客の手には、短刀が握られていました。
右胸を刺された原はほぼ即死。
何の言葉も残すことなくこの世を去っています。
このように現職の総理大臣が暗殺されたのは、日本で初めてのことでした。
犯人を強行に駆り立てた理由とは
原を刺したのは、東京の大塚駅職員だった中岡艮一。
まだ18歳の青年でした。
供述した理由によると、原の行う政治に不満があったため殺したということです。
結局、中岡の単独犯ということで処理されたのですが、本当にそうなのかは疑問が残ります。
それは、こんなことがあったと言われているからです。
右翼系の人物が暗殺事件の数日前、近くに原が暗殺されることを近衛文麿に語っていたこと。
さらに、中岡が持っていた斬奸状(悪者を斬る理由をしたためた書状のこと)の筆跡が、本人のものと違うこと。
また中岡の上司・橋本栄五郎という人物が、犯行を教唆したのではないかと裁判にかけられていること。
などが挙げられます。
橋本は反原の考えを持っており、中岡の政治的思想にも影響を与えた人物です。
そんな橋本との政治談議の中で「腹を切る」を「原を切る」ものと誤解した中岡が、強行に及んだともいわれています。
結局、橋本は無罪に。
中岡本人は無期懲役の判決を受けますが、三度の恩赦によって13年で出所。
その後は右翼の大物・頭山満を頼ったことからも、
本当は黒幕がいたのではないかとされる理由の一つとなっています。
きょうのまとめ
今回は原敬の暗殺事件とその犯人について、簡単にご紹介しました。
② 中岡の単独犯ということで事件は処理された
③ 暗殺事件には黒幕がいたのではないかと疑われている
こちらのサイトでは他にも、原敬にまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね!
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