趙雲は、
蜀漢の初代皇帝である劉備に仕えた将軍です。
趙雲には、妻(嫁)はいたのでしょうか。
趙雲に妻はいたのか
趙雲とは
趙雲は、諸葛とも親交が深かったことでも知られており
また、
「寡黙でしっかり仕事をこなし、武勇にも優れていて勲章をもらうこともあった」
という記述が残っています。
三国志を舞台にするゲームでは武勇に優れている上に、とても美男として登場しているほど人気もある人物です。
趙雲には、あまり女性関係の噂はありませんでした。
ゲームや物語に登場している趙雲の妻になった女性も、実は架空の人物が多いのです。
しかし趙雲には趙統、趙広という二人の息子と、趙氏という娘がいました。
そのため、趙雲に妻がいたことは確かです。
実物した人物か、架空の人物かははっきりしていませんが、孫軟児という女性が、趙雲の嫁だったのではないかと言われています。
今回は孫軟児が趙雲の妻であったと仮定して、二人の出会いと夫婦仲が分かる民間伝承を一つ、紹介します。
孫軟児と趙雲は幼馴染だった?
孫軟児は、趙雲の故郷の隣町で生まれ育ったと言われています。
そのため、孫軟児と趙雲の年が近ければ顔見知りであった可能性があるのです。
隣町に住んでいたということで、もしも親同士にも親交があったとすれば、二人は幼馴染だったかもしれません。
残念ながら、孫軟児がいつ生まれたのか、いつ亡くなったのかに関する詳しい記述は残っておらず、二人が子供のころからの知り合いだったかに関しては、はっきりと知ることができないのです。
円満な夫婦だった趙雲と孫軟児
孫軟児と趙雲に関しては、「刺繍針」という民間伝承が残っています。
少し悲しいお話ですが、この話の中では趙統、趙広、趙氏は三人とも孫軟児と趙雲の子供ということになっています。
戦争で荒れていたこの時代に三人の子どもがいたということからも、趙雲と孫軟児が仲の良い夫婦であったことが想像できるのです。
刺繍針とは、どんなお話なのでしょうか?
趙雲が風呂に入ると、その傍で彼女は刺繍を始めます。
風呂に入っている趙雲の背中を見て、孫軟児は彼の背中に全く傷がないことに気が付きます。
不思議に思った彼女は、「長年戦場で戦っているのに、どうしてあなたには傷がないのですか?」と尋ねました。
すると、趙雲は笑ってこう答えます。
「私は皆から常勝の兵だと言われているから怪我などしないよ。それにね、私は君が織ってくれた服に守られいるし、君の笑顔にも癒されているから、傷も治ってしまうんだよ。」
趙雲の言葉を聞いた孫軟児は悪戯心を起こし、
「では傷を負わない将軍に、傷を負わせてみましょう」と言って、刺繍針で趙雲の肩を一刺ししたのです。
すると、刺繍針を刺した趙雲の肩から血が噴き出して止まらなくなってしまったのです。
慌てて孫軟児が手当てをしますが血を止めることができず、そのまま趙雲は亡くなってしまいました。
孫軟児は嘆き悲しんで、自分を責めて刀を喉に突き刺し、自害してしまいます。
二人の悲報を聞いた諸葛は驚いて大いに悲しみ、倒れてしまいます。
昏睡しているときに、諸葛は趙雲と孫軟児が劉備、関羽、張飛の三人に導かれていくという姿を夢に見たのです。
これが刺繍針という民間伝承です。
この話からは、趙雲がとても孫軟児を愛していたことが伝わってきます。
きょうのまとめ
今回は張飛の妻、孫軟児について紹介しました。
彼女に関しては、
① 趙雲には孫軟児という妻がいた
② 趙雲とは幼馴染だった可能性がある
③ 民間伝承にも残るほど、夫婦仲が良かった
ということができます。
残念ながら、他の多くの女性と同様に孫軟児についての記録は少なく、実在の人物なのか、架空の人物なのかも定かではありません。
しかし、民間伝承からは趙雲の人柄はもちろん、孫軟児がどれほど趙雲を愛していたのかも知ることができます。
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