趙雲とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

現代でも人気が高い、

中国の武将、趙雲(ちょううん)。

正史の中での記述は

関羽や張飛、諸葛孔明よりも少ないですが、

「三国志」や「趙雲別伝(ちょううんべつでん)」などの小説でも

生涯についての記述が残っています。

妻であったとされる孫軟児(そんなんじ)と趙雲の仲睦まじいエピソードは、

民間伝承としても中国に残っているほどです。

劉備玄徳(りゅうびげんとく)と劉禅(りゅうぜん)の二代に渡って仕えた趙雲は、

どんな人物だったのでしょうか?

 

趙雲はどんな人?

  • 出身地:
    現在の中華人民共和国
    河北省石家荘市正定県(かほくしょうせっかそうしせいていけん)
  • 生年月日:未詳
  • 死亡年月日:229年、年月日未詳
  • 蜀漢(しょくかん)の武将。将軍として武功を立てた

 

趙雲 年表

年表

西暦

200年 公孫瓚(こうそんさん)の部下だったが、劉備玄徳のもとにて主騎に。

208年 長坂(ちょうはん)の戦いで、劉備玄徳に捨てられた劉禅と甘夫人を救う。後に牙門(がもん)将軍に昇進。

213年 諸葛孔明、張飛、劉封と共に益州(えきしゅう)の各郡県を平定。翊(よう)軍将軍に昇進。

219年 定軍山(ていぐんざん)の戦いで黄忠(こうちゅう)を救出。

223年 劉禅が即位した後、中護軍、征南将軍に昇進。後に鎮東将軍に降格。

227年 諸葛亮と共に北伐(ほくばつ)に備えて漢中に駐留。

228年 曹真(そうしん)の軍と戦って敗北。鎮軍将軍に降格。

229年 死去。死因、死亡年月日は不明。

 

律儀で忠誠心が厚い武将

劉備玄徳には
諸葛孔明や関羽など、
とても忠誠心が厚い部下がいました。

趙雲も、劉備玄徳の臣下になり忠実に仕え、
長坂の戦いや、各地の平定などを行って武功を立てています。

また趙雲は、劉備玄徳の息子である劉禅(りゅうぜん)が
皇帝に即位してからも将軍として武功を上げ昇進しています。

劉備玄徳、劉禅と二代に渡って仕えます。

趙雲については

忠誠心が厚く、真面目でしっかりと仕事をこなす。

戦のときには選り抜きの兵士を率い、勇猛に戦ってたびたび勲功をたてた

という記述が残っています。

 

趙雲にまつわるエピソードや伝説

ここからは、
「趙雲別伝」などに記載されている
趙雲にまつわるエピソードを3つ紹介します。

関羽や張飛、諸葛孔明と比べるとあまり出世をしていません。

しかし、彼の実力はきちんと軍内でも認められていました。

趙雲の出世が他の有名な武将よりも遅かった原因は、

劉備玄徳に仕える前に公孫瓚に仕えていたことが関係しているのではないか、
と言われています。

武勇に優れていた趙雲には、
軍内であだ名があったようです。

虎威将軍と呼ばれていた

定軍山の戦いの際、
趙雲は黄忠を見事な戦術を立てて救出しました。

そのため、
劉備玄徳から称賛されます。

趙雲は、劉備玄徳から

「子龍一身(しりゅういっしん)これ胆なり」

という言葉をかけられました。

これは、「趙雲はとても度胸のある人物だ」という意味の言葉です。

黄忠を救った時に劉備玄徳が趙雲にかけた言葉から、
彼は「虎威将軍」と軍内で呼ばれるようになりました。

このエピソードは「趙雲別伝」だけではなく、
司馬光(しばこう)が記述した「資治通鑑(しじつがん)」でも紹介されています。

律儀な性格

228年に趙雲は曹真の軍に敗北しました。

しかし、敗北した際にも趙雲は軍需物資をほとんど捨てずに退却したので、軍に大きな被害が出ることはなかったのです。

諸葛孔明は軍に大きな被害が出ることを防いだ趙雲に対して、軍需物資を恩賞として与えようとしました。

趙雲は、

敗戦したのに恩賞をもらうのは道理に合いません。

軍需物資は私への恩賞ではなく、冬の備えにしてください。

と恩賞を受け取ることを固辞したのです。

このエピソードから、
趙雲の律義な性格を知ることができます。

劉備玄徳に忠告したこともあった、劉禅の命の恩人

長坂の戦いの際、
劉備玄徳は曹操の精鋭部隊から追撃され、
あまりの強さに驚きました。

温厚なイメージの強い劉備玄徳ですが、
この時には身の危険を感じたようで、
何と自分の長男である劉禅と妻の甘夫人を捨てて逃げようとします。

趙雲は、
劉備玄徳に捨てられた劉禅を抱えて保護し、
甘夫人も助けます。

趙雲が二人を助けても劉備玄徳はまた二人を捨てて、
ひたすら逃げようとする有様であったため、
趙雲は劉備玄徳に

人の上に立つ立場にあるのだから、自分の息子や妻を見捨てて逃げてはいけない

と忠告しました。

この時、趙雲に助けられていなかったら、
劉禅も甘夫人も命を落としていたかもしれません。

劉備玄徳は趙雲に叱られて、
息子と妻を捨てようとすることはやめました。

 

きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。

趙雲についていかがでしたでしょうか。

趙雲とは?簡単にまとめると

① 劉備玄徳と劉禅の二代に仕えた、蜀漢の武将

② 劉禅の命の恩人

③ 武勇に優れていたことや、その人柄から民間伝承や別伝があるほどの人気がある

と言えるのではないでしょうか。

その他にも趙雲にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 

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