新島襄と聞いて、何を思い浮かべますか?
同志社を作った人、もしくは新島八重の夫というイメージでしょうか。
今回は新島襄とはどんな人物で、どのような経歴を持っていたのか簡単にご紹介します。
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新島襄はどんな人?
- 出身地:江戸(現在の東京都神田)
- 生年月日:1843年2月12日
- 死亡年月日:1890年1月23日(享年48歳)
- 幕末に渡米、現地で教育を受ける。帰国後は同志社英学校をつくった教育者。
新島襄 年表
西暦(年齢)
1843年(1歳)神田の安中藩江戸屋敷に生まれる。(幼名、七五三太/しめた)
1860年(18歳)幕府の軍艦操練所に入る。
1864年(22歳)国禁を犯して渡米する。
1866年(24歳)洗礼を受ける。
1867年(25歳)フィリップス・アカデミーを卒業する。
1870年(28歳)アーモスト大学を卒業する。
1872年(30歳)岩倉遣外使節団に随行する。
1874年(32歳)アンドーヴァー神学校を卒業する。帰国。
1875年(33歳)同志社英学校を開校する。
1876年(34歳)八重と結婚する。
1877年(35歳)同志社女学校を開校する。
1884年(42歳)欧米を歴訪する(~85年)
1887年(45歳)東華学校(仙台)・同志社病院・京都看病婦学校(京都)を開く。
1890年(48歳)神奈川県大磯で亡くなる。
日本にキリスト教主義の学校を作った教育者・新島襄
新島襄は安中藩(現在の群馬県にあった藩)の藩士・新島民治の長男として、江戸の神田で生まれます。
神田には安中藩の江戸屋敷があったからです。
新島襄の幼名は七五三太といいました。
命懸けで渡米した新島襄
青年となった新島襄は、数学や航海術などを学びます。
さらに英学を学び始めた新島は、キリスト教に対する興味を強くしていきました。
そして欧米の文明を実際に見るため、当時国際都市であった箱館(現在の函館)へと渡ります。
そして国禁を犯して日本を脱出、アメリカのボストンへとたどり着きました。
詳しい経緯は、下記の記事で書いていますのでお読みになってくださいね。
関連記事 >>>> 「新島襄は密出国して渡米していた!函館脱出エピソードと『襄』になった理由」
アメリカで教育を受ける
渡米した翌年、新島襄はキリスト教の洗礼を受けます。
またフィリップス・アカデミー(高校)に入学し、アメリカの教育を受けています。
その後はアーモスト大学で理学の学士号を取得。
これは日本人で初めての学位取得でした。
さらに新島はキリスト教の宣教師として日本に帰るため、アンドーヴァー神学校でも学びます。
この頃の日本は明治時代。
出国時は密航だった新島ですが、この頃明治新政府から、米国留学の免許を取得することができました。
そして神学校在学中には、岩倉使節団の通訳を務めたこともあります。
1年余りでしたが、欧米の教育制度を視察することができたのです。
帰国後は同志社英学校などを開校
帰国後は同志社大学の前身である同志社英学校を開校します。
その後、同志社女学校も創設しています。
そして同志社大学設立のため、新島襄は奔走します。
ですが志半ばにして、48歳(数え)の若さでこの世を去りました。
関連記事 >>>> 「僧侶たちが大反対!新島襄がつくった同志社はいばらの道を歩んできた」
新島襄にまつわるエピソード
京都で初めての○○
新島襄の夫人は、新島八重という人物です。
2013年、NHK大河ドラマ『八重の桜』のヒロインとしても有名ですね。
会津藩士の娘として生まれた八重は、大変勇敢な女性と知られています。
幕末、戊辰戦争の際には銃を持って戦ったため、「幕末のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれています。
八重の兄は山本覚馬といい、明治維新後、京都府顧問を務めていました。
そんな山本覚馬を通じて、新島襄と八重は出会います。
八重は京都では初めて、プロテスタントの洗礼を受けました。
その後二人は結婚式を挙げます。
式のスタイルは新島襄たっての希望で、キリスト教式。
二人は京都で日本人として初めて、キリスト教式の結婚式を挙げたカップルだと言われています。
関連記事 >>>> 「新島襄の旧宅|京都の新島旧邸に行く前に知っておきたいこと」
杖で自分の掌を何度も打った自責打掌事件
明治13年、ある日の英学校の朝礼。
新島襄は学生たちの前で、自分の掌を杖で何度も何度も打ち付けました。
掌には血がにじみ、そして杖が折れるまで……。
これは学校運営に不満を持ち、集団ストライキをした学生たちに対して、自らを罰するという行為でした。
自責打掌事件や自責の杖事件とも呼ばれる、こちらの事件。
現在でも同志社ではこの事件のことを、語り継いでいるのだとか。
きょうのまとめ
最後までお読み頂きありがとうございました。新島襄についていかがでしたでしょうか。
新島襄とは?
① 幕末に密航して渡米し、現地で教育を受けた
② 岩倉使節団の通訳をしていた時期もあった
③ 帰国後は同志社大学の前身となった、同志社英学校などをつくった
④ 八重夫人と京都で初めてキリスト教式の結婚式を挙げた
⑤ 自責打掌事件を起こした
その他の記事についても新島襄にまつわる色々な記事を書いています。
よろしければどうぞ御覧ください。
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