ライト兄弟とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

自転車店を営む傍らで動力飛行機を発明し、

1903年に 人類初の有人動力飛行を成功させた

ライト兄弟

空を飛びたいという古来からの人類の夢を背負い、

実現させた2人の人生は、その全てが飛行機に注がれていました。

ライト兄弟とは一体どんな人物だったのでしょうか。

今回は彼らの生涯に注目していきましょう。

 

ライト兄弟はどんな人?

プロフィール
ライト兄弟

ライト兄弟
出典:Wikipedia

  • 出身地:アメリカ 兄はインディアナ州ミルビル、弟はオハイオ州デイトン
  • 生年月日:兄1867年4月16日 弟1871年8月19日
  • 死亡年月日:兄1912年5月30日(享年45歳) 弟1948年1月3日(享年76歳)
  • 兄ウィルバーと弟オービルからなる動力飛行機の発明家兄弟。世界初の飛行機パイロット。最先端のグライダーパイロット。

 

ライト兄弟 年表

年表

西暦(年齢)

1867年(兄0歳)アメリカ合衆国のインディアナ州ミルビルで、兄ウィルバーが3男として誕生する。

1871年(兄4歳、弟0歳)父親の職場の転勤に伴い引っ越したオハイオ州のデイトンで、弟オービルが4男として誕生する。

1889年(兄22歳、弟18歳) アメリカの若者を中心に流行っていた新聞作成を2人で行う。兄が記事を書き、弟が印刷機を組み立て印刷した。

1892年(兄25歳、弟21歳)自転車が流行り出すと2人は新聞作成に見切りをつけ自転車店を開き、後に修理も行うようになる。

1895年(兄28歳、弟24歳)オリジナルブランドの自転車製造を開始。

1896年(兄29歳、弟25歳)ドイツ人飛行研究家の墜落死の記事を読み、飛行機開発の研究に興味を抱く。

1899年(兄32歳、弟28歳)航空関係の資料を読み漁り、本格的に研究を始める。翌年にはグライダー実験を開始する。

1901年(兄34歳、弟30歳)有人グライダーの完成、実験を通し従来の飛行に関する数々の理論をくつがえした。

1903年(兄36歳、弟32歳)12月17日、ノースカロライナ州キティホークにて、世界初の動力飛行機の飛行に成功する。

1904年(兄37歳、弟33歳)兄ウィルバーが初の周回飛行に成功する。

1906年(兄39歳、弟35歳)2人で申請していた「飛行機械」が特許登録される。翌年、飛行機販売のため、ヨーロッパを訪問。

1908年(兄41歳、弟37歳)兄ウィルバーは8月にフランス、弟オービルは9月にアメリカで米軍向けに、初のデモフライトを行う。順調だった矢先の9月17日、弟オービルが操縦する2人乗りの飛行機の右プロペラが突如壊れ、墜落。同乗していた軍人が死去。オービルも重傷を負った。

1909年(兄42歳、弟38歳)兄ウィルバーがイタリア、弟オービルがドイツでデモフライトを行う。この年にライト航空会社を設立し、ウィルバーが社長になる。

1910年(兄43歳、弟39歳)スミソニアン博物館から第一回ラングレー・メダルを受賞。展示飛行専門のライト・エグジビション社を設立。

1912年(兄45歳、弟41歳)5月30日、兄ウィルバーが腸チフスにより死去。

1913年(弟42歳)オービルがライト機最初の水上機モデルの実験を開始する。

1915年(弟44歳)ライト社を売却。翌年他社と合併される。

1928年(弟57歳)オリジナルの1903年型ライト・フライヤーを、イギリスの科学博物館展示のため輸出する。

1943年(弟72歳)オービルが認定したライト兄弟の伝記『ザ・ライトブラザーズ』が出版される。

1948年(弟77歳)1月3日、オービル死去。12月、1903年型ライト・フライヤーがイギリスから帰還。今日までスミソニアン博物館に展示されている。

 

ライト兄弟の生涯

少年時代

ライト兄弟の兄ウィルバーは、1867年の4月、

アメリカのインディアナ州ミルビルで誕生しました。

そしてウィルバーが生まれて1ヵ月後、

父親の転勤で家族はオハイオ州のデイトンに引っ越します。

そこで1871年の8月に生まれたのが弟のオービルです。

後に動力飛行機を発明し、人類最初の飛行機パイロットになるのはこの2人ですが、

実は彼らには自分たちの他に兄が2人と妹が1人いました。

つまり世間でよく知られているライト兄弟とは、5人兄妹3男4男のことなのです。

慎ましく知的な両親の元に育ったライト兄弟は、幼い頃から好奇心にあふれ、

自分たちで工作をしたり実験することが好きでした。

そして父からもらった模型飛行機のおもちゃをきっかけに、

彼らは空を飛ぶことに強い興味を抱くようになったのです。

新聞と自転車

少年時代にたびたび引っ越しをしていたライト一家は、

1884年にデイトンに落ち着き、転校を繰り返していた高校生のウィルバーと中学生のオービルは、

地元の学校にそれぞれ通っていました。

この頃になると、アメリカでは自作の新聞が流行り出し、

ライト兄弟も自分たちの新聞を発行するようになります。

実務的な作業が得意だったオービルが印刷機を組み立て

文章はウィルバーが書いていました。

新聞といっても今よりずっと簡易的なものでしたが、

2人の作る新聞はいつも飛ぶように売れて、この仕事に夢中になった彼らは、

結局大学には行かず、自力で知識を身に着けていくことになります。

1890年代に入ると今度は自転車が流行り出し、

この勢いに乗ったライト兄弟は新聞作りに見切りをつけ、

自転車販売店を開くことにします。

最初は自転車を仕入れて売るだけでしたが、

元々手先が器用で機械いじりの好きだった兄弟はその後、修理も請け負うようになり、

最終的には自作の自転車を販売するようになります。

きっかけは憧れの人の死

自転車店を営むライト兄弟に転機が訪れたのは1896年のことでした。

ドイツ人の飛行研究家リリエンタールが、新しい自作のグライダーで飛行実験を行った際に

墜落死したという記事を目にしたのです。

幼い頃に空を飛ぶことに興味を抱いていたライト兄弟は、

このリリエンタール博士の大ファンで、いつも彼に関する記事に注目していました。

憧れの博士の死と実験失敗を受け、ライト兄弟は逆にその興味を強めることになったのです。

博士の無念を晴らすため、そして自分たちと人類全ての夢をうつつに変えるべく、

2人は飛行機作りを開始しました。

まず、科学や技術に関する知識の宝庫であるスミソニアン協会に手紙を出し、

それまでの飛行機の資料を取り寄せ読み漁ります。

そこからかつての天才たちが何故実験に成功しなかったのかをあぶりだし、

自分たちも自転車が売れなくなる冬の間を使って研究や実験を繰り返しました。

そして1903年、遂に人類初となる動力飛行機の有人飛行に成功したのです。

成功後の苦労

その後彼らの飛行機は改良を重ねられ、ヨーロッパを中心に海外にも普及していきます。

そして母国アメリカでも空軍に搬入されました。

人類の夢を叶え、会社も立ち上げたライト兄弟はしかしその後、

兄ウィルバーが45歳の若さでチフスにより死去。

弟のオービルは特許の問題で長年他社と争うことになったり、

スミソニアン協会との間に軋轢が生まれるなど、

華々しい業績を残した割に、晩年は様々な問題に苦しむことになりました。

 

デタラメなニュース

ここではライト兄弟の偉業に関するエピソードを1つご紹介します。

1903年に人類初となる動力飛行機でのフライトを成功させたライト兄弟。

しかしその瞬間に立ち会ったのはわずか5人。

そこにはこの偉業を伝えてくれる新聞記者も、

信ぴょう性を深めてくれる専門家もいませんでした。

そこでライト兄弟は父に連絡して伝え、2人の兄が電報を持って新聞社に駆け込みます。

しかし以前に別の研究者を取り上げていたこの新聞社は、

彼の失敗を受けて飛行機実験に対し懐疑的になっていて、

ライト兄弟の成功をまともに取り合ってくれませんでした。

それは他の新聞社でも同じことで、唯一採用してくれた新聞社に至っては、

飛行距離を大幅に盛るなど全体的にデタラメな記事を書き、

これらが影響して、人類初の偉業が人々に信じられるようになったのは、

もっとずっと後になってからでした。

 

きょうのまとめ

今回は、動力飛行機を発明し人類初の飛行機パイロットになった

ライト兄弟の生涯を見ていきました。

いかがでしたか。

最後に、ライト兄弟とはどんな人物だったのか簡単にまとめると

① 動力飛行機を発明し、人類初の飛行機パイロットになったアメリカ人の兄弟。

② 青年時代に新聞製作や自転車の修理、販売をするなかで腕を磨き、憧れの博士の死をきっかけに本格的に飛行機研究を始めた。

③ その成功は人々に認知されるまでに時間が掛かり、特許争いやスミソニアン協会との軋轢、そして兄の急死など苦労が連続した。

毎日当たり前のように空を行き交う飛行機。

それが当たり前の景色になったのは、わずか100年ほど前のことだったのです。

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