ウィトゲンシュタインとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

20世紀を代表するウィーン出身の哲学者、

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

言語批判の立場から哲学や言語を徹底的に考察し、分析哲学の第一人者となりました。

ウィトゲンシュタインとは一体どのよう人物だったのでしょうか。

その天才的な思想はなかなかに難解なものですが、今回は入門として彼の功績について簡潔にご紹介していきます。

 

ウィトゲンシュタインはどんな人?

プロフィール

1930年
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン
出典:Wikipedia

  • 出身地:オーストリア ウィーン
  • 生年月日:1889年4月26日
  • 死亡年月日:1951年4月29日(享年62歳)
  • 哲学者で分析哲学の第一人者。主著に『論理哲学論考』、『哲学探究』がある。

 

ウィトゲンシュタイン 年表

年表

西暦(年齢)

1889年(0歳)オーストリアのウィーンに誕生。

1903年(14歳)リンツ高等実科学校に入学。

1906年(17歳)シャルロッテンブルグ工科大学で機械工学を学ぶ。

1908年(19歳)マンチェスター大学工学部に入学。

1912年(23歳)ケンブリッジのトリニティカレッジに入学。

1913年(24歳)ウィーンに帰郷した後、ノルウェーの山荘で過ごす。

1914年(25歳)第一次世界大戦が勃発し、オーストリア=ハンガリー帝国軍に志願。クラコフに着任

1916年(27歳)対ロシア砲兵隊に配属と昇進。

1918年(29歳)昇進しイタリア戦線に立つも、イタリア軍の捕虜となり収容所に収容される。翌年釈放。『論理哲学論考』の草稿が完成。

1919年(30歳)オーストリアで教員養成学校に通い、翌年小学校教諭となる。

1922年(33歳)『論理哲学論考』を出版。

1926年(37歳)教員生活を終える。

1929年(40歳)ケンブリッジに戻り、『論考』を学位論文として提出。

1939年(50歳)ケンブリッジ大学の哲学教授に就任。イギリス国籍を取得。

1943年(54歳)ニューキャッスルにある病院で実験助手を務める。

1944年(55歳)ケンブリッジ大学で講義を再開。

1947年(58歳)ケンブリッジ大学の教授職を辞任。

1949年(60歳)3ヵ月渡米し、帰国後に前立腺癌と判明。『哲学探究』原稿の完成。

1951年(62歳)4月27日、散歩後に発作を起こし、28日意識を失う。29日に死去。

 

ウィトゲンシュタインの生涯

ここからは、ウィトゲンシュタインの主な功績について、その生涯と共にご紹介していきます。

言語批判

ウィトゲンシュタインの哲学者としての人生は、大きく分けて前期と後期の2つに区分することができます。

そして彼は前期、後期共に「言語批判」を哲学の方法として採っています。

長年議論されてきた哲学のあらゆる問題の原因は「言語」にあるとして、私たちが日常的に使用する言語こそが哲学をややこしくしているとし、言語について批判的に考察していきました。

そこには一貫して、

・語り得ないものとは何か

・意味とは何か

を問い続けています。

以下で、前期と後期の代表的著書とその内容について見ていきましょう。

どちらも20世紀を代表する哲学書として位置づけられています。

前期『論理哲学論考』

まず、ウィトゲンシュタインは30代のときに『論理哲学論考』(又は『論考』)を発表しました。

彼は本書で、

・言語の本質

・言語の限界

について解明しようと試みます。

その根底には、哲学が本来解くべき問題や、その正しい解き方を明確にする目的がありました。

というのも彼は、これまでの哲学は、神や魂の存在と言うように永遠に解けない問題について延々議論していたにすぎないと考えていたからです。

ウィトゲンシュタインは思考されたものの表現にははっきりと限界を示すべきであり、そのためには限界の両側面にあるものを思考しなければならない、と考えました。

彼は厳密に論理学に基づいて言語の世界像を構築し、その上で哲学の不備について指摘します。

さらにウィトゲンシュタインは言語による記述の限界を熟考し、その結果

・世界は言葉で完全に記述が可能である

・哲学のあらゆる問題は最終的に解決された

と宣言したのです。

本書が出版されると彼は一度は哲学から離れ、小学校教諭として働きます。

後期『哲学探究』

数年の間教師として働いていたウィトゲンシュタインでしたが、40代を目前に控えた年に再び哲学者の道を選択することになります。

彼自身の中で、まだ哲学においてのやり残しに気づいたのです。

そしてその後、彼の死後に出版されたのが『哲学探究』(又は『探求』)になります。

本書では、前期の著作『論理哲学論考』を自己批判し、新たな思索を経て自身の思想を展開しました。

ヴィトゲンシュタインにとって前作は、あまりに純粋且つ理想的な論理であるとし、本書ではもっと地に足の着いた言語活動について突き詰めていきます。

そこで彼が提唱したのが「言語ゲーム」論でした。

「言語ゲーム」とは人間の言語にまつわるあらゆる現象のことを指し、そこには言葉を発する時の表情やしぐさ等も含まれます。

そしてこれらの言語活動は、

・食べる

・動く

・泣く

等といった人間のあらゆる活動の一種であり、決して理性に基づいた思考の結果などではないとしました。

つまり彼曰く、言語とはただの言葉を使ったゲームなのです。

 

ウィトゲンシュタインにまつわるエピソード

ここでは、ウィトゲンシュタインに関する少し意外なエピソードをご紹介していきます。

ヒトラーと同級生

当初技術者になろうとしていたウィトゲンシュタインは、14歳の時にリンツ高等実科学校に入学します。

そしてなんとそこには後のナチスの独裁者、アドルフ・ヒトラーが同級生として在籍していたのです。

しかし2人に接点はありませんでした。

大富豪の息子

大富豪の父を持ったウィトゲンシュタイン。

20代前半のときにその父親が死去し、莫大な財産を受け継いだ彼でしたが、そのほとんどすべてを姉に渡しています。

彼自身はお金に執着せず、その後第一次世界大戦が始まり志願するまでの間、ノルウェーの山荘にこもって研究生活を送りました。

負の遺産

8人兄弟の末っ子として誕生したウィトゲンシュタイン。

裕福な家庭で音楽や芸術に傾倒し、賑やかなで不自由ない環境で育ったと考えられます。

しかし4人の兄の内3人は自殺

彼自身も自殺願望やうつ病に苦しみながら生活していたのです。

アインシュタインと同じ

ウィトゲンシュタインは実は4歳になる頃まで上手く言葉を話せず、その後も重度の吃音症を抱えていました。

そして彼と同じく天才と謳われたアインシュタインも、子供の頃は同じように話始めるのが遅かったと言われています。

その様な言語障害もあり、ウィトゲンシュタインの両親は息子を小学校には通わせず、家庭教育に力を入れていました。

 

きょうのまとめ

今回は、分析哲学の第一人者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの生涯についてその功績と共にご紹介してきました。

いかがでしたでしょうか。

最後に、ウィトゲンシュタインとはどんな人物だったのか簡単にまとめると

① 20世紀を代表するウィーンの哲学者で、主にイギリスで活躍した。

② 代表的主著『論理哲学論考』と『哲学探究』は当時の哲学界に衝撃を与え、後の分析的に大きく貢献した。

③ その生い立ちやプライベートは、天才ならではの苦悩やエピソードに満ちている。

彼曰く「語り得ないもの」を生涯考察し、語り続けたウィトゲンシュタイン。

難解極まりない天才の思考を凡人が容易く理解することはできません。

しかし彼には、ご紹介したもの以外にも天才ならではの人間的なエピソードがたくさんあります。

まずは入門として、その人柄を把握していくのも面白いかもしれません。

 
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