ナポレオンとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

1789年フランス革命勃発後、大混乱に陥っていたフランス。

その卓越した戦術法とカリスマ性によって、破竹の勢いでヨーロッパを征服し、革命後のフランスを統制。

民衆に自由で平等な新社会を構築するなど、内政の統制にも尽力した若き皇帝ナポレオン。

しかし、非凡な天才が故、孤高の軍人・皇帝とも言える彼の生涯。

実際、ナポレオンとはどのような人物だったのでしょうか?

年表やエピソードとともに、詳しく解説していきます。

どうぞ最後までご覧ください。

ナポレオンはどんな人?

  • 全名: ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte)
  • 出身地: フランス コルシカ島(イタリア半島西に位置するフランス領の島)
  • 生年月日: 1769年8月15日
  • 死亡年月日: 1821年5月5日(享年 51歳)
  • フランス革命後のフランスを統一した、天才軍人・皇帝ナポレオン

ナポレオン 年表

西暦(年齢)

1769年(1歳) フランス領コルシカ島に生まれる。

1784年(15歳) パリ士官学校に入学後、異例の飛び級(とびきゅう)で卒業

1793年(24歳) 砲兵士官として入隊後、出世街道まっしぐら。大尉になる。

1795年(26歳) パリ・ヴァンデミエールの反乱。大砲戦術で鎮圧し国内軍司令官に。

1796年(27歳) 生涯愛し続ける、破天荒な貴族女性・ジョゼフィーヌと結婚

1798年(29歳) エジプト遠征勝利。翌年国内でクーデターを起こし新政府樹立

1804年(35歳) 民衆の自由と平等を重んじる、画期的なナポレオン法典を発表

1804年(35歳) 国民投票によって、フランス皇帝(ナポレオン一世)に就任

1805年(36歳) トラファルガー海戦でイギリスに敗戦

1805年(36歳) アウステルリッツの戦いでオーストリア・ロシア軍に勝利。
                 勝利を記念し、パリに凱旋門を建てる。

1807年(38歳) イギリス・スウェーデン以外のヨーロッパを制覇

1812年(43歳) ロシア遠征で完敗。生き残った兵士はたった1%。

1814年(45歳) ヨーロッパ各国に攻め込まれパリ陥落。エルバ島に島流しされる。

1815年(46歳) エルバ島脱出。そのカリスマ性によってフランス皇帝に返り咲く。

1815年(46歳) イギリス軍に敗れ、百日天下の幕を閉じる。

1821年(51歳) 南大西洋の孤島セントヘレナ島に島流し。監禁生活の末、病死。

ナポレオンの生涯 エピソード4選!

孤高の天才児だったナポレオン

幼少期から頭脳明晰だったナポレオン。実際、彼は15歳の時にパリ士官学校に入学した際、

通常卒業までに4年かかるところを、11ヶ月で卒業する、という前代未聞の飛び級で卒業します。

特に数学が得意だったそうです。しかしそんな天才児だったナポレオン。

しかし背が低いのがコンプレックスで、コルシカ島独特の訛りによってクラスメイトからは

馬鹿にされるので、クラスではいつも静かで大の読書家だったそうです。

危機を好機に一転!ナポレオン皇帝就任までの数日間

イギリス軍になかなか勝利出来なかったフランス軍。

当時イギリスにとって非常に重要な植民地であったインドとの交易を断つ(たつ)ため、

1798年、イギリス・インドの貿易中継地点であったエジプト陥落に挑み、勝利を収めます。

しかし、不運なことに、ナポレオン軍はその直後、アフリカ湾岸をイギリス軍に包囲されてしまい、

エジプトに取り残されてしまうことになります。

しかし、フランス総裁政府が弱体化していることを聞きつけたナポレオン。

危機を好機に一転させる作戦を考えます。

翌年1799年、ナポレオンは軍をエジプトに待機させ、側近達を連れて秘密裏にフランスへ帰国。

フランス総裁政府に対する巧みなクーデーターを仕掛け、

2日後、議員解散に追い込み、たった3人で臨時のフランス新政府を立ち上げます。

このクーデーターによって、1789年に勃発しフランスの未来を変えたフランス革命

事実上、終結したのです。

一人の女性への愛を生涯全うしたナポレオン

ナポレオンは1796年27歳の時に、貴族出身のジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚します。

ナポレオンは彼女のことを非常に愛し、ある一説によるとナポレオンが対戦で家を空けている間、

ジョゼフィーヌが浮気をしてしまいました。そんな情報を風の噂で聞きつけたナポレオンは、

それを嘆き悲しんだ手紙を戦場から彼女に送ります。

しかしこの手紙は、なんと輸送中に輸送船が敵国・イギリス軍に乗っ取られてしまいます。

そして、この嘆きのラブレターは、イギリスメディアで公開されてしまいます。

ナポレオンにとっては穴があったら今すぐ入りたい!

そんな恥ずかしい一説になってしまいました。

結局、二人には子どもが出来なかったので、ナポレオンは彼女と離婚せざるを得ず、

後妻をもらうことになりますが、離婚してからも、後妻が嫉妬する程、二人の深い友情関係は続き、

ナポレオンは死の直前に彼女の名前を呼んだそうです。

国家統一にも、一人の女性への愛にも、全身全霊立ち向かった男性。

それがナポレオンなのかもしれません。

戦術だけではない!民衆のための新しい社会作りに奮闘したナポレオン

ナポレオンというと、その類まれな戦術と戦争の逸話を耳にしますが、それだけではないんです。

革命前、フランスは絶対王政といって王や貴族の独占体制のため、

民衆は苦しい税金の支払いと貧しく恵まれない生活を強いられていました。

貴族とはいえ貧乏貴族の家庭で育ったナポレオン。

どんな身分の民衆も平等に、そして自由に生きていける新しい世の中にするため、

ナポレオン法典 」を作ったのです。

その後、この法典は、現在のフランス近代法典の基礎とされ、日本の民法の参考としても使用されました。

また、21世紀の今なお、フランスで「 自由・平等・友愛 」という国家理念を掲げているのも、

フランス革命を企てた数え切れない民衆の思いと、ナポレオンの思いを深く感じますね。

きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。ナポレオンについていかがでしたでしょうか。

ナポレオンとは?

①孤高の天才児だったナポレオン

②危機を好機に一転!ナポレオン皇帝就任までの数日間

③一人の女性への愛を生涯全うしたナポレオン

④戦術だけではない!民衆のための新しい社会作りに奮闘したナポレオン

その他の記事についてもナポレオンにまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。










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