ヴィクトリア女王とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

19世紀に世界各地を植民地化し、大英帝国を繁栄させた

ヴィクトリア女王

彼女が王座に君臨していた時代は黄金期となり、その治世は「ヴィクトリア朝」と呼ばれました。

今回はそんな大英帝国を象徴する人物となったヴィクトリア女王について、

ご紹介していきます。

 

ヴィクトリア女王はどんな人?

プロフィール
ヴィクトリア女王

出典:Wikipedia

  • 出身地:イギリス ロンドン 
  • 生年月日:1819年5月24日
  • 死亡年月日:1901年1月22日(享年 81歳)
  • イギリス・ハノーヴァー朝第6代女王、初代インド女帝

 

ヴィクトリア女王 年表

年表

西暦(年齢)

1819年(0歳)ロンドンのケンジントン宮殿で生まれる。

1837年(18歳)イギリス女王に即位。

1840年(20歳)ドイツ公国出身のアルバートと結婚。後にアヘン戦争開始(~1842年)

1849年(30歳)イギリスがカナダのバンクーバー島を植民地化。

1851年(32歳)第1回ロンドン万国博覧会開催。

1853年(34歳)クリミア戦争開始(~1856年)

1856年(37歳)第二次アヘン戦争開始(~1860年)

1861年(42歳)夫アルバート公爵死去。以後10年以上は公務をまともに行えなくなる。

1877年(58歳)イギリス支配のもとインド帝国が誕生。インド皇帝に即位。

1880年(61歳)第一次ボーア戦争開始。(~1881年)

1882年(63歳)イギリスがエジプト全土を制圧。

1899年(80歳)第二次ボーア戦争開始。(~1902年)

1901年(81歳)1月22日、崩御。

 

荒れた王室に誕生した希望の光

イギリス・ハノーヴァー朝第3代国王の第4王子である父と、

ドイツ公国出身の母の間に生まれたひとり娘の王女ヴィクトリアは、

女王に即位するまでの間、厳しすぎる母の元で常に監視されながら育ちました。

というのも、父親を含め当時のイギリス王室は、色恋沙汰や問題行動などを起こしては、

スキャンダルとして取り上げられる人物ばかり。

真面目で堅実な性格の母は、娘がこのすさんだ王室に染まらないようにと、

イギリス王室から隔離して神経質なほどしつけていました。

生まれた当初のヴィクトリアの王位継承順位は第5位でしたが、先王たちは若くして崩御したり、

子供に恵まれなかったりと次々に代わり、結果的にヴィクトリアが女王になったのは、

成人を迎えた直後の18歳でした。

厳しい母のもとに育ったためか、堅物で感情的な部分はあるけれど、

しっかりと自分の意見を述べる性格になったヴィクトリア女王の即位は、

国民にそれまでの王室のイメージを変えさせ、新しい時代の到来を予感させました。

その後約64年の在位のなかで大英帝国は、陸地面積や人口が世界の4分の1をしめる

巨大国家へと成長していくのです。

 

ヴィクトリア女王人物エピソード

ここからはヴィクトリア女王の人柄が分るエピソードをいくつかご紹介していきます。

逆プロポーズ

ヴィクトリア女王と結婚したアルバート公は彼女の従兄にあたる存在で、

背は低めでしたが美形で教養のある真面目な貴公子でした。

結婚話が持ち上がった当初、ヴィクトリア女王はあまり乗り気ではありませんでしたが、

成長したアルバート公の姿を見るなり気に入り、プロポーズも彼女からしています。

引きこもり過ぎて共和制を台頭させる

アルバートとの間に9人の子供にも恵まれ、公務を行う際にも彼に助言をもらうなど、

公私共に仲がよかった二人。

しかしアルバート公が40代の若さで腸チフスにかかり亡くなると、そのショックのあまり、

ヴィクトリア女王はその後10年以上喪に服して公務をほとんど行わなくなりました。

ロンドンには近づかなくなり、自分だけでなく宮殿で働く全ての者に喪服を着させました。

国民ははじめのうちは同情していましたが、国を統治する人間がいつまでも公務に出席しない姿に

徐々に批判の声が増えるようになり、王制を批判する共和制が台頭し始めるまでになります。

外交政策には熱心だった

ヴィクトリア女王は夫を亡くし10年以上引きこもりをしていたとはいえ、

さすがに何もせず過ごしていたわけではありませんでした。

国内の政治はほとんど首相たちに投げていましたが、外交に関しては興味を示し、

内閣が他の欧米諸国の問題に介入しようとすると、それにブレーキをかけたり、

逆にヨーロッパ全体の平和が脅かされる可能性のある問題には、

積極的に参加することを指示する役割を果たしていました。

頑固でわがままだった

ここまでお読みくださった人はもうお気づきかもしれませんね。

ヴィクトリア女王はなかなかに感情的な人でした。

激動の19世紀に大英帝国の象徴として君臨した女王ですが、

その端々に彼女の人間らしさが表れてしまっています。

その短気から歴代の首相たちとよく衝突し、そのたびに夫が仲介していたり、

周囲の人たちが彼女の機嫌を損ねないよう工夫したり。

意外と手のかかる人でした。

 

きょうのまとめ

今回はヴィクトリア女王についてご紹介しました。

いかがでしたか?意外な人間性が見えたのではないでしょうか。

簡単にまとめると

① 母に厳しくしつけられ女王になったヴィクトリアは、国民に新しい時代への希望をもたらした。

② 18歳で即位してから崩御するまでの64年の間に、大英帝国の人口、陸地面積が世界の4分の1をしめる巨大国家となる。

③ 感情的な性格で、夫が亡くなると悲しみのあまり10年以上公務をおろそかにしたり、頑固さと短気から歴代の首相とよく衝突していた。

ヴィクトリア女王が統治していた約64年の間、英国軍が戦争に参加しなかったのはわずか2年。

その性格から時に周囲を困らせていた彼女がもしただの無能な人間だったら、

大英帝国がこれほど繁栄することはなかったのかもしれません。

もちろん、そこには彼女の周囲に多くの支えがあったこともまた事実です。

 

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