イギリス史に名を刻む女性の一人、ヴィクトリア女王。
大英帝国の黄金期を築いた彼女は、自身の娘たちをヨーロッパ各国に嫁がせ、
後に「ヨーロッパの祖母」と呼ばれるほど多くの子孫を残しています。
今回は彼女の子供たちに焦点を当て、その系図に迫ります。
女王の結婚
ドイツの公女だった母の厳しいしつけの元に育った、王女ヴィクトリア。
彼女が女王として即位したのは1837年、18歳という若さでした。
真面目で堅物気味に育った彼女が結婚相手に選んだのは、彼女以上に真面目な従兄、
ザクセン=コーブルク=ゴータ公子、アルバートでした。
20歳で結婚したヴィクトリア女王は、アルバートとの間に4男5女の子供を授かります。
遺伝病の脅威
当時としては珍しく、9人の子供たちは皆健康に生まれ、無事に成人しています。
しかし彼らには母ヴィクトリアによってもたらされた、
「血友病」という遺伝的な病気の脅威が待っていました。
血友病は一度出血するとなかなか血が固まらなくなるという病気で、男性にだけ発症します。
鼻血や擦り傷など一般的には軽傷ですむものも、
血友病を患う人にとっては命の危機に直面することになるのです。
イギリス王室でこの遺伝病を発病したのは、ヴィクトリア女王の四男レオポルドが初めてだったため、
彼女が突然変異で血友病の因子を持っていたことが考えられます。
ちなみに夫アルバートは血友病ではありませんでした。
彼女の子供たちのなかで血友病を発病した息子は1人。
そして血友病の因子を持っていた娘が少なくとも2人。
これが後に子孫たちにも受け継がれていき、
ヨーロッパ各国の王室で血友病に苦しむ男子が増えたのでした。
女王の子供たち
ここからはヴィクトリア女王の子供たちを一人一人見ていきましょう。
賢く語学力に長け、両親に彼女が男の子だったらよかったのに、と思われるほど優秀。
第一次世界大戦への参入を認めたドイツ最後の皇帝、ヴィルヘルム2世の母。
後に母を次いで英国王となる。子供の頃から賢かったが勉強嫌い。派手好きで奔放。
女性たちとの数々のスキャンダルにより両親や妻を泣かせることになる。
嫁いだ後、ヘッセンの福祉や医療改革に貢献。身分や人種で差別しない優しい人物。
ジフテリアに感染し、35歳で死去。
母から血友病の遺伝子を受け継ぎ、7人の子供のうち次男が発病し若くして亡くなる。
更に四女がこの遺伝子を受け継ぎ、その後ロシア皇室にもこの遺伝が広がる。
父の生家であるドイツ公国の君主となる。またイギリスのエディンバラ公でもあった。
公国内では歓迎されていなかったが、彼の柔軟な姿勢から徐々に国民に支持される。
しかし、アルフレッドは最後までほとんどドイツ語を話せなかった。
若い頃、オーストラリアで暗殺されそうになったことがある。
デンマーク王家の支族だが、領地を持たない公子クリスティアンと結婚したのは、ヘレナと親しかった母、ヴィクトリアが娘をそばに置いておくためだったとされる。
結婚後は数多くの慈善活動をおこなった。
子供は6人授かったが半数を若くして亡くし、残った子供たちも子孫を残さなかった。
姉妹のなかで一番の美女と評判だった。
カナダの総督となる夫と共に長期でカナダに滞在し、そこでも人気者だった。
芸術的な才能に恵まれ、画家、彫刻家、作家でもあった。
体が弱く子供には恵まれなかった。
プロイセン王族の娘と結婚する。自身は陸軍軍人となった。
第一次世界大戦時にカナダの総督を務めている。最終的な階級は陸軍元帥。
彼の2人の娘たちは、その美しさがヨーロッパで話題となる。
血友病を発病した、ヴィクトリア女王の最初の子孫。
30歳のとき、ヨットから転落したのが元で脳出血を起こし亡くなる。
2人の子供のうち、長女が血友病遺伝子を受け継ぎ、彼女が生んだ子供の1人が発病。
若くして亡くなっている。
レオポルドの顔を見ることなく生まれた弟は、後に伯父アルフレッドの跡を継ぐ。
母ヴィクトリアの秘書を務め、後に日記などをまとめている。
秘書役として重宝されたためか、結婚したのは当時では遅めの28歳。
血友病の因子を持っていたため、3男1女を授かるも次男が発病。
手術中に30代前半で亡くなっている。
また長女もこの遺伝を受け継ぎ、後に嫁ぎ先のスペイン王家に血友病がもたらされる。
きょうのまとめ
今回は、ヴィクトリア女王の子供たちやその系図についてご紹介しました。
簡単にまとめると
① ヴィクトリア女王には4男5女、合わせて9人の子供がいた
② ヴィクトリア女王は、突然変異によって生まれた血友病の遺伝子を持っていた。
③ ヴィクトリア女王によってもたらされた血友病が息子や子孫に受け継がれ、ヨーロッパ王室の男児たちを苦しめることになった
子供たちはヨーロッパ各地で子孫を残し、
ヴィクトリア女王は「ヨーロッパの祖母」と呼ばれるようになりました。
しかし彼女の残した血友病の因子が、思わぬ悲劇をもたらすこととなってしまったのです。
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