ツタンカーメンの呪いの真実!関係者が相次いで亡くなったのは?

 

古代エジプトの王といえば、第18王朝のファラオ、

ツタンカーメンの名前を思い浮かべる人は多いでしょう。

ツタンカーメンは健康に恵まれない身体を持ちながらも、戦場では先陣を切る勇敢な王。

その人物像から、王の中で彼が注目されることにも納得がいきます。

しかしツタンカーメンが注目されたのは、彼の生前の逸話だけが理由ではありません。

そう、彼が一際注目されるようになったのは1920年代の話。

王墓を荒らした者に降りかかる「ツタンカーメンの呪い」が世界を震撼させたことからでした…。

 

ツタンカーメンの呪いの全貌

ツタンカーメンの墓の入り口を発見

ツタンカーメンの呪いの伝説が囁かれるようになったのは、1923年のことでした。

この前年、1922年の11月に、イギリスの考古学者ハワード・カーター率いる考古学チームがツタンカーメンの墓の入り口を発見する偉業を成し遂げました。

このときカーターはエジプトにペットのカナリアを持ち込んでいたのですが、王墓発見の直後、このカナリアはコブラに食べられてしまったといいます。

カナリアはエジプトでは「幸運の鳥」、そしてコブラは「古代エジプト王家の象徴」です。

これを踏まえると、「幸運の鳥によって王墓を発見することができたが、王家の呪いによって鳥が死んでしまった」と捉えることもできます。

しかしツタンカーメンの呪いが取り沙汰されるのはこの翌年からです。

当初はペットが死んだぐらいの話で、それほど話題にもなりませんでした。

王墓開封に立ち会ったカーナヴォン伯爵の死によって、呪いが注目される

ツタンカーメンの呪いが噂されるようになったのは、王墓開封の翌年

つまり発掘の数ヶ月後に、当時スポンサーとして立ち会ったカーナヴォン伯爵が急死したことが発端です。

伯爵は王墓にて蚊に刺され、ひげを剃っている途中にその箇所を誤って切ってしまい、そこから感染症を患いました。

これによって熱病に侵され、最後は敗血症によって亡くなっています。

それだけでなく、伯爵が亡くなったとき、彼が病魔に伏していたカイロの街は、大規模な停電に見舞われました。

この出来事をきっかけに、次々と発掘関係者が死亡…マスコミはそのたびに「ツタンカーメンの呪い」と報道したのです。

王墓の発掘から8年経った1930年の段階で、実に22人もの関係者が亡くなったことが報道されています。

当時発掘に関わったのは合計で26人…これが本当なら、呪いというのもあながち間違いではなさそうです…。

 

呪いはマスコミによるでっちあげ!

22人ではなく、6人

前項の話を見る限り、呪いを信じざるを得ない印象を受けますが、実は一連の報道はほとんどがマスコミのでっちあげでした。

実際に発掘直後に死亡した関係者はカーナヴォン伯爵のみなのです。

では、「1930年までに合計で22人が死亡した」というのはどういうことなのでしょう。

実際はマスコミが話を面白くするため、エジプト旅行に行った人が死亡すると、その人が王墓を訪れていなくても「発掘関係者が死んだ」と報道していたのです!

しかも発掘のリーダーだったカーターと、スポンサーのカーナヴォン伯爵はイギリスの「ロンドンタイムズ」と独占契約を結んでいました。

つまり他の新聞社には直接情報が伝わらず、ロンドンタイムズの報道がすべてとなっていたのです。

恐らくロンドンタイムズ側に伝えられた情報も断片的なもので、そこから記者が勝手に妄想を膨らませていったのでしょうね。

実際は発掘から10年以内に亡くなった関係者は、6人しかいなかったとか。

発掘のリーダーを務めたカーターにいたっては、亡くなったのは65歳のころ。

彼は呪いの影響を一番に受けてもおかしくないはずですが、とても早死にとはいえない年齢です…。

カーナヴォン伯爵の健康状態は元々良くなかった

実際に発掘直後に亡くなったカーナヴォン伯爵も、もちろん呪いによって亡くなったのではありません

彼は発掘が行われる以前に、自動車事故に遭い、人生の意味を改めて考えさせられるような大怪我を負いました。

つまり発掘が行われる以前から、伯爵の健康状態は良くなかったのです。

だからこそ、感染症にも負けてしまったといえるでしょう。

ちなみに彼がエジプト考古学に興味を持ったのは、この事故によって人生を考え直したことによるものだとか。

そう考えると、伯爵が亡くなるまでに発掘が成功したことは、彼が「人生の意味を追求できた」とも捉えられますね。

またカイロの停電に関しては、当時は電力供給が不安定で、珍しいことではなかったといいます。

このように発展度合いとしては、伯爵の故郷のイギリスに大きく後れを取っていたカイロ。

彼が病魔と闘った医療施設にしても、発展途上だったのではないでしょうか。

 

きょうのまとめ

世界を震撼させたツタンカーメンの呪いは、結局のところほとんどがマスコミのでっちあげ。

考えてみればツタンカーメンの墓以前に、エジプトの王墓の盗掘がはびこっていた時代もあったのです。

呪いが実在するとしたら、当の昔に話題として挙がっていたことでしょう。

今回の内容を簡単にまとめると…

① 王墓発掘チームのスポンサーとなったカーナヴォン伯爵の死によって「ツタンカーメンの呪い」が世界に知れ渡った

② 相次ぐ関係者の死はほとんど嘘。実際はエジプト旅行をした死亡者が数に入れられていた

③ カーナヴォン伯爵は自動車事故によって、発掘以前に健康を害していた

といったところです。

呪いといわれるとおっかないですが、ツタンカーメンの念が現代にも続いているというのは、その存在をさらに神格化させることにも繋がります。

古代の王が超能力とも取れる力を持っているというのは、ロマンをかき立てられる話です。

呪いをでっちあげたマスコミも、同じような想いだったのかもしれませんね。

 
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