徳川光圀が藩命を賭けて行った文化事業の代表的なものが『大日本史』の編纂でした。
彼の死後もその遺志を継いで約250年をかけて完成された史書についてご紹介します。
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『大日本史』とはどんなもの?
『大日本史』は、水戸徳川家当主である徳川光圀によって1657年に着手、光圀死後も編纂作業は続けられ、1906年に完成しました。
実に249年もの歳月と費用をかけた全397巻の歴史書です。
神武天皇から後小松天皇までの歴史を質の高い漢文による紀伝体でまとめられました。
史書を年号順にまとめたものを「編年体」といいます。
一方、「紀伝体」とは、歴代天皇を年代的序列にしながらそれぞれの主要人物の列伝・伝記的な内容をまとめる方法の書き方です。
江戸幕府の命を受けて作られた『本朝通鑑』は漢文の編年体でまとめられたのに対し、『大日本史』は紀伝体でまとめられました。
記事には出典が明らかにされており、考証にも気を配ってある質の高い史書として価値があり、幕末の尊皇思想に大きな影響を与えた書として知られています。
水戸藩では、藩内に支局を設置。徳川光圀自らも編纂作業にあたっています。
資料を収集するために日本各地に学者を派遣し、取材を重ねて丁寧な史書づくりをしました。
どうして光圀は『大日本史』を作りたかったの?
徳川光圀は、若い頃はかなりの不良青年であり、非行を繰り返していたのですが、1645年に『史記』『伯夷伝』を読んで伯夷・叔斉という中国の兄弟について感銘を受けました。
18歳の頃に読んだこの本で自分と兄(松平頼重)の関係に重ね合わせ、それまでの非行を反省し、学問を目指すきっかけとなったと言います。
『史記』は紀伝体で書かれており、光圀はそれを『大日本史』にも採用しました。
そんな彼が『大日本史』を作ろうと思った直接のきっかけになる事件があります。
それは明暦の大火と呼ばれる江戸城本丸をはじめ、市街の大部分を焼き払った大火事。
1657年(明暦3年)に起きたこの火事で死者が10万人以上も出た上、膨大な昔の重要書類、資料が焼失。
それを目の当たりにした光圀は、『大日本史』の編纂を決意しました。
藩主でもなかった光圀は大火の後の焼け残りの屋舎に仮住まいしながら作業を始めます。
何も、そんなときにわざわざ編纂事業を開始しなくても・・・と思いますが、
大火で多くの書籍・記録が失われ、親交のあった林羅山が落胆のあまり死去したことに衝撃を受けたと言われています。
実際に修史事業が本格的になるのは、藩主になって翌年の1662年頃からです。
史局を「彰考館」と名付けて修史事業はますます本格化しました。
『大日本史』の影響
水戸藩への影響はポジティブなものも、ネガティブなものもありました。
編纂事業に関わった学者たちは水戸学派と呼ばれ、水戸学は後世に大きな影響を与えました。
編纂をおこなった彰考館の学者たちを優遇したために、水戸藩では武士や領民から学問によって立身出世を目指す者がどの藩よりも多かったといいます。
他藩から招聘する学者がなくなった後期の水戸学の学者たちというのは、殆ど下級武士や武士外からの身分の者たちでした。
水戸藩ではこの歴史書を教科書として自藩の藩士を教育したので、水戸藩士には勤皇思想を持つ者が多くなりました。
これは、尊皇攘夷という思想が全国に広まるきっかけとなっていきます。
しかし、この編纂作業に莫大な予算を費やしたため、藩の財政は慢性的に深刻でした。
財政悪化は領民への負担も増え、農民の逃散(他の領地に逃げること)が絶えなかったということです。
水戸藩彰考館による他の文化事業
古典研究や文化財の保護などにも熱心であった水戸藩は、彰考館で『大日本史』以外にも多くの書籍を編纂しました。
朝廷の公式行事に関する書物、万葉集の注釈書、地誌、花押についての書などおびただしい数の書籍が編纂されています。
おわりに
徳川光圀のすごいところは、記録を残すことの大切さを知っており、
その作業を通してまた新たな考え方や力を持つ人々を作り出したことです。
まあ、実はある書簡によれば、光圀は
「武家に生まれたけれども、泰平の世のために武名が立てられないので、書物を編纂すれば後世に名が残るかも知れない 」
とも書いています。
どうせ武芸で有名になれないんだったら、本をまとめてそれで有名になってやろう、という魂胆もあったようですが・・・。
それでも今の日本がどうやって出来たのかを辿ることができる資料を残してくれたその偉業は評価すべきです。
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