徳川秀忠の母は西郷局という方で、視力が非常に弱く、目が不自由な人でもありました。
西郷局は徳川家康の側室として、二代目将軍徳川秀忠を授かります。
徳川秀忠が三男なのですが、将軍になれたのはなぜでしょうか。
今回は徳川秀忠の母「西郷局」についてお伝えします。
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西郷局について
徳川秀忠の母、西郷局の資料はあまり残っておりません。
そのため詳細は不明な部分が多くあり、通説が以下となります。
西郷局の出生
西郷局の母方の西郷家は、清和源氏を自称する一族です。
岡崎城城主を代々務めていた家柄で、
西郷局(幼名:愛)は、その西郷家の西郷正勝の娘(お貞)と今川氏家臣の戸塚忠春の間に生まれます。
三河国が今川義元に併呑(他の勢力を自分の勢力下に入れること)された際の政略結婚であったとも言われています。
西郷局の父、戸塚忠春は天文23(1554)年の今川氏と北条氏との合戦において戦死します。
ただ、当時今川氏の人質であった幼い徳川家康は、戸塚忠春の死を嘆いたとされており、親しい関係でした。
父戸塚忠春の死後、母(お貞)は掛塚(静岡県竜洋町)、服部正尚(伊賀忍者との説もあります)と再婚、西郷局も連れ子として家に入ります。
徳川家康の側室に
天正4(1576)年に西郷局は、従兄妹の西郷義勝と婚姻します。
しかし、翌年に西郷義勝は、武田氏との合戦で戦死してしまいます。
未亡人となった西郷局は天正6(1578)年、徳川家康の側室となります。
その翌年、天正7(1579)年には徳川秀忠(幼名:長丸)を出産し、続いて翌年、松平忠吉(幼名:松丸)を出産します。
しかし、西郷局は天正17(1589)年に38歳の若さで駿府城内で生涯を閉じます。
幼い徳川秀忠と松平忠吉を残しての最期でした。
のちに徳川家康は、亡き西郷局とその父戸塚忠春を供養する天龍寺の寺紋に、徳川家の家紋である葵の紋を与えています。
一説によると徳川家康が最も愛した女性は、西郷局ではないかとも言われています。
三男の秀忠がなぜ二代目将軍になれたのか?
信康事件
徳川家康の正室は築山殿(瀬名姫)で、その間の子として長男には松平信康がいました。
また、側室の小督局にも次男、結城秀康が産まれています。
西郷局が産んだ徳川秀忠は三男であり、徳川将軍継承は難しい立場にありました。
しかし、大きな事件「信康事件」が発生します。
築山殿が長男松平信康と共に、敵の武田家と内通していると織田信長の耳に入ります。
激怒した織田信長は築山殿と松平信康の処刑を命じ、家康はその2人の処刑を受け入れました。
徳川家の後継ぎ予定であった長男、松平信康は短い命を閉じたのです。
次男、秀康の死去
この信康事件を受けて、徳川家後継ぎ予定者として脚光を浴びたのが、次男秀康です。
次男秀康は、築山殿の奥女中であった小督局の子で、生まれた後も冷遇されていたようです。
3歳になるまで、実父の徳川家康と会うことが許されていなかったと言われています。
なお、次男秀康は双子との説もあり、その説によるともう一人の子は神社の神官となったとも言われています。
徳川家康は次男秀康をあまり好きではなかったようです。
次男秀康は豊臣家に養子へ行っていました。
なまずの一種であるギギという魚に顔が似ていることから、父徳川家康から於儀丸と呼ばれました。
次男秀康は関が原の戦いでは従軍せず、関東にとどまり上杉家や奥州の大名たちをけん制する大役を預かります。
その大役をおさめ、関ヶ原の戦い後、徳川家康より67万石を与えられ、評価は高まりました。
ところが、次男秀康は関ヶ原の戦いの7年後に35歳の若さで梅毒により死去します。
結果、長男の信康、次男の秀康を失い、三男の秀忠が二代目将軍となりました。
戦国時代のマザーテレサ?
西郷局は非常に優しい方だと言われています。
贅沢な暮らしを求めるようなことは一切せず、徳川家康に献身的に尽くしていたようです。
また、西郷局は視力が非常に弱い方でした。
二代目将軍、徳川秀忠を生み、生活が安定すると目の不自由な方の慈善活動を行っていました。
西郷局が亡くなった際、多くの目の不自由な人は嘆き悲しんだと言われています。
弱肉強食が常の戦国時代、弱者へのいたわりの心をもっていた西郷局に徳川家康は安らぎを覚えたのかもしれません。
まさに日本の戦国時代のマザーテレサとも言えそうです。
徳川家康が最も愛した女性は西郷局であると、多くの歴史研究者が言っているそうです。
きょうのまとめ
徳川秀忠の母について見てきましたが、いかがでしたでしょうか
徳川秀忠の母は、
② 西郷局の父、戸塚忠春は徳川家康と深い信頼関係があった
③ 長男信康と次男秀康が死去し、三男である徳川秀忠が将軍となった
④ 西郷局は目の不自由な人へ慈善活動をする優しい人だった
と言えるのではないでしょうか。
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