当時、世界最強と呼ばれたロシアのバルチック艦隊。
それを東郷平八郎率いる日本連合艦隊が迎え撃ち、
勝利したことで日露戦争の戦局が決まったといわれています。
その少し前まで文明開化がどうのこうの、というレベルだった日本が、
なぜそんな強大な敵相手に勝つことができたのでしょうか。
そこで今回は、日本海海戦の意外な勝因について簡単にご紹介していきます。
日本海海戦とは
ではまず、日本海海戦とはどのような戦いだったのでしょうか。
日本海海戦は日露戦争の最中、1905年5月に起こった戦いです。
歴史的な戦いが行われたのは対馬海峡、近年世界文化遺産に登録されたことでも記憶に新しい「沖ノ島」の近くでした。
当時、島にいた宗像大社の神職たちがこの戦いを目撃し、記録に残しているほどです。
日本連合艦隊司令長官は東郷平八郎、作戦参謀は司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも有名な秋山真之でした。
戦いには「丁字戦法」を用いたといわれており、日本側はバルチック艦隊に壊滅的な打撃を与えました。
このとき、ロシア側の死傷者1万人だったのに対し、日本側は千人以下だったそうです。
後に日本海海戦は、「海戦史上類を見ない完全勝利」とも言われるようになります。
バルチック艦隊を撃破できた意外な理由
日本海海戦で日本側が勝利を収めることができた理由としては、いくつか挙げられます。
今回はその中でも、意外な理由についてご紹介しますね。
フジツボのおかげだった!?
ロシアと日本が日本海で戦う・・・・・・となると、ロシアはオホーツク海を通って日本海に向かってきたと思いますよね。
ですが、実はこのときバルチック艦隊は二手に分かれ、ヨーロッパからアフリカやインド洋を経由して対馬海峡に入ったのです。
要した時間はなんと半年以上。長いですね。
長期の船旅となると、船底にやっかいなものがこびりつきます。
そうです、フジツボなどの海洋生物です。
それらを除去しないと、船のスピードは落ちてしまうのです。
そのため日本海に到着する頃には、バルチック艦隊のスピードは相当遅かったといわれています。
戦いではスピードの遅さはかなり不利となるので、これも日本が勝てた理由の一つといえます。
イギリスがロシアに激怒?
さらなる悲劇がバルチック艦隊を襲います。
それは、バルチック艦隊が北海を航行していたときのことです。
イギリスの漁船を日本の水雷艇だと思い込み、誤って攻撃。
その結果、イギリス人乗組員を殺傷してしまいました。
これに対して、イギリス側も黙っていません。
バルチック艦隊のイギリスへの植民地への入港を禁じ、さらには追尾まで行ったといいます。
このため必要な燃料や食料は不足し、ロシア兵も日本海に到着する頃には士気を消耗していたそうです。
これらの条件から、バルチック艦隊は最短ルートである対馬海峡を通るだろうと、東郷や秋山たちは予想できたそうです。
とにかく、万全の態勢でこの戦いに臨んだわけではなかったロシア・・・・・・なんだかかわいそうにも思えます。
きょうのまとめ
今回は日露戦争最大の戦い、日本海海戦について簡単にご紹介しましたがいかがでしたでしょうか。
簡単にまとめると、
① 日本海海戦の勝利が日露戦争の勝敗を分けた
② バルチック艦隊は船底にたくさんの海洋生物を付けていたので、スピードが落ちていた
③ バルチック艦隊はイギリスを怒らせてしまったため、燃料や食料が不足、兵士の士気も下がっていた
と言えるのではないでしょうか。
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