高杉晋作 おもしろき人生の辞世の句

 

29歳にして結核のために命を落としてしまった

高杉晋作

死の直前まで仲間を思い、志を棄てずに生き続けました。

その彼の死と今でも論議を呼んでいる辞世の句

そして彼の理解者である女性勤王家についてご紹介します。

 

高杉晋作の病と死

1866年28歳の時の高杉晋作の身体は労咳(肺結核)に蝕まれ、もうすでに深刻な状況でした。

それでも彼は8月の小倉攻めに従軍し、数多くの客人と面談するなど自分のことを顧みず忙しく働いていました。

ところが、9月に入って高杉は血痰を吐いてしまいます。

やがて彼の深刻な病状は父親の知るところとなり、長州藩も格別のはからいで病床の高杉が困ることのないよう金銭的な援助をします。

彼は療養の場を転々としながら回復を目指しますが、病の進行は止まりません。

そして翌年の1867年4月14日の未明、高杉晋作は療養先の下関の桜山でその生涯を終えました。

享年29。

臨終には両親と妻雅子、息子の東一が駆けつけ、山縣狂介(有朋)、

田中顕助そして後述する野村望東尼のむらもとに(ぼうとうに)が立ち合ったとされています。

家族や友人に囲まれた最期だったことがせめてもの慰めと言えるでしょうか。

 

高杉の辞世の句は辞世ではない?

おもしろき事もなき世をおもしろく すみなすものはこころなりけり

高杉晋作の辞世として知られる句です。

しかし、正確には高杉の辞世の句ではありません。

この句は

丙寅へいいん(慶応2年)未定稿五十首国家十首」

と題された資料の中にまとめられています。

慶応2年は1866年。

高杉の死の前年です。

おそらく高杉療養中に病床で詠んだものではないかと思われます。

また、実際に高杉が自作したのは句の前半部分のみ。

後半の「住みなすものはこころなりけり」の部分は、高杉の臨終に立ち合った野村望東尼が付けた句です。

つまりこの句は病床にあった高杉と望東尼との合作だったのです。

 

二つのバージョンが伝わる高杉の句

「面白き事もなき世をおもしろく すみなすものはこころなりけり」

その意味は

「面白くないこの世の中を面白くできるのは自分の心一つである」

ということ。

世に挑戦していこうとする、いかにも革命児高杉らしい勢いのある句です。

ところが、この句の前半部分が「面白き事もなき世」ではなく「面白き事もなき世」となっていた可能性があります。

こうなると、句が表現する意味に違いが出てくるのです。

「面白くもないこの世の中を面白く生きるのも自分の心一つなんだ」

意味はもっと内向的になって、

高杉が自分の生き方について考え込んでいるような、死生観について表現されたようなニュアンスとなります。

後半に「それはあなたの心の持ちよう次第なのですよ」と望東尼が諭すように言葉を添えて完成させたこの句は、二通りとも名言として今でも多くの人に知られています。

小さな一字の違いが、大きく変えた句の意味。

あなたはどちらのバージョンに惹かれますか?

 

高杉と望東尼 二人の関係とは?

「おもしろき」の句の後半部分を足して句を完成させたという野村望東尼。

尊皇の心篤く、数々の勤王の志士たちを手助けした勤王家の女流歌人です。

彼女は自分の持つ平尾山荘に高杉を匿ったこともありました。

しかしそういった活動のために1865年望東尼は玄界灘にある姫島に流刑となってしまいます。

そこでの厳しい生活に一度は死を覚悟した望東尼。

しかし、以前に危険を賭して匿ってくれたという恩義を感じていた

高杉晋作は、腹心の奇兵隊士たちに作戦指示をして彼女を島から救出したのです。

29歳で亡くなった高杉の死を看取った望東尼。

そのときの彼女は61歳です。

親子ほども年の違う二人でしたが、お互い助け合い理解し合う同志でした。

 

きょうのまとめ

幕末から次の時代へと邁進した高杉晋作。

病気のために明治新政府を見ることはかないませんでした。

それでも、その最期の瞬間まで高杉の心は未来へと向かっており、

家族や仲間たちに惜しまれながらこの世を去りました。

「これからが大事じゃ、しっかりやってくれろ。しっかりやってくれろ」

仲間に告げたこの言葉が高杉の遺言のようなものだったと妻の雅子がのちに語っています。

志半ばでの死は高杉にとって悔しいものだったでしょうが、

それでも太く短く生きた彼の生涯はあの名言のように「おもしろき人生」だったのではないでしょうか。

高杉晋作の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「高杉晋作はどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

その他の人物はこちら

関連記事 >>>> 「【江戸時代】に活躍したその他の歴史上の人物はこちらをどうぞ。」

関連記事 >>>> 「【時代別】歴史上の人物はこちらをどうぞ。」

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

nine + nine =

ABOUTこの記事をかいた人

歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku