推古天皇の家系図をご紹介します。

 

実存が確認される史上初の女性天皇

推古すいこ天皇

推古天皇は聖徳太子を摂政にし、聖徳太子と蘇我馬子の

二頭政治を実現させたことで有名です。

推古天皇はバランス感覚の非常に優れた有能な政治家として評価されています。

なぜそう言われるのか、家系図を見るとよくわかります。

今回は推古天皇の家系図についてご説明します。

 

推古天皇の家系図

推古天皇

推古天皇
出典:Wikipedia

まずは推古天皇の家系図をみていきましょう。

家系図

 

父方の家系 天皇家

推古天皇はもちろん、天皇家の人間です。

周囲も男性達も天皇ばかりです。

少しややこしいですが、まずは父方のの家系を一人ずつ説明します。

欽明天皇以降、豪族の蘇我氏が台頭するようになると、天皇たちは蘇我氏に政治の実権を握られるようになっていきます。

父 欽明天皇(きんめいてんのう)

推古天皇の父親は第29代天皇の欽明天皇です。

欽明天皇は、有力豪族の蘇我稲目そがのいなめの娘を2人妃にします。

推古天皇は、そのうちの一人である蘇我堅塩姫そがのきたしひめと欽明天皇の間に生まれた皇女になります。

夫 敏達天皇(びたつてんのう)

欽明天皇の後は、第30代天皇に夫の敏達天皇が即位します。

敏達天皇は欽明天皇の息子なので、推古天皇とは異母兄弟でもありました。

兄 用明天皇(ようめいてんのう)

第31代天皇、用明天皇は推古天皇の同母兄にあたります。

推古天皇と同じく母親が堅塩姫なので、蘇我氏を外戚に持つ天皇です。

蘇我馬子に政治の実権を握られていました。

用明天皇は聖徳太子の父なので、

聖徳太子と推古天皇は甥と叔母の関係になります。

また、聖徳太子の母親の穴穂部皇女は推古天皇の異母妹なので

推古天皇と聖徳太子は二重の甥と叔母の関係ということになります。

ごちゃごちゃしてますが、家系図みて頂ければすぐわかります(笑)

弟 崇峻天皇(すしゅんてんのう)

用明天皇の後に第32代天皇に即位したのは、崇峻天皇です。

崇峻天皇は推古天皇の異母弟にあたります。

崇峻天皇の母親は蘇我稲目から欽明天皇に

堅塩姫と一緒に嫁いだ蘇我小姉君そがのおあねぎみですので、

蘇我氏を外戚にもつ天皇になります。

即位後、蘇我馬子に政治の実権を握られていることに不満を持ち、馬子と対立するようになります。

592年 蘇我馬子との関係が悪化し、

馬子の命令された暗殺者に攻め入られ殺害されてしまいます。

その後、第33代天皇に即位したのが推古天皇です。

 

母方の家系 蘇我氏

先述したとおり、推古天皇の母は蘇我稲目の娘である堅塩姫です。

蘇我稲目は天皇に娘達を嫁がせ、

皇子達の外祖父になり蘇我氏の権力を拡大しました。

推古天皇も、また天皇家と蘇我氏の政略結婚によって生まれた皇女でした。

祖父 蘇我稲目

蘇我稲目は、推古天皇の外祖父にあたります。

第28代天皇、宣化天皇の代に大臣に就任すると、以降、死没するまで勤め上げました。

2人の娘を欽明天皇に嫁がせ、

・用明天皇

・崇峻天皇

・推古天皇

3名の天皇の外祖父になります。

蘇我氏興隆の祖と呼ばれています。

叔父 蘇我馬子

蘇我馬子は、蘇我稲目の息子で推古天皇の叔父にあたります。

姪と叔父とはいえ、年の差は3つ程で2人は幼馴染のように育ったのではないかと言われています。

蘇我馬子は、敏達天皇時に大臣の座を稲目から引き継ぐと、以後50年以上政治の実権を握り続けました。

稲目の築いた勢力をさらに拡大し、蘇我氏を繁栄に導きます。

 

推古天皇の子ども達

推古天皇は5人の皇子、皇女を生みますが、いずれも天皇に即位しませんでした。

さらに推古天皇の死後、天皇の系統が蘇我氏から離れたこともあって、

推古天皇の直系の子孫が歴史に名を残すこともありませんでした。

推古天皇の代表的な子どもを2人紹介します。

竹田皇子(たけだのみこ)

推古天皇と欽明天皇の皇子です。

推古天皇は竹田皇子が天皇に即位させることを望みましたが、

推古天皇の即位前後に若くして亡くなってしまいます。

現在、竹田皇子は推古天皇と共に埋葬されています。

菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)

推古天皇と欽明天皇の皇女です。

聖徳太子の妃となりましたが、子どもをもたないまま若くして亡くなります。

 

きょうのまとめ

推古天皇の家系図を紹介しました。

いかがでしたでしょうか。

簡単にまとめると

① 推古天皇の周りの男性達も天皇ばかりだった

② 推古天皇は天皇家と蘇我氏の政略結婚によって生まれた皇女だった

③ 推古天皇の子ども達の中に天皇に即位するものは出なかった

推古天皇の家系図を見ると、蘇我氏との繋がりの深さがわかります。

この状況で、聖徳太子を摂政に任じ、

蘇我馬子の政治の独占を防いだ推古天皇の有能さを、尚更、実感することができますね。

推古天皇の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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