蘇我入鹿はどこに埋葬されているの?お墓や史跡を紹介します。

 

乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足に暗殺された

蘇我入鹿そがのいるか

蘇我入鹿は死後、どこで眠っているのでしょうか。

今回は、蘇我入鹿のお墓史跡についてご紹介いたします。

 

乙巳の変の後、入鹿の遺体は?

645年、蘇我入鹿が中大兄皇子らに殺害され(乙巳の変)、

翌日に父親の蘇我蝦夷そがのえみしが自邸に火を放ち自害しました。

蝦夷の自害したその日に墓への埋葬が許可され、親族が喪に服すことも許されます。

 

蘇我入鹿のお墓候補

では、蘇我入鹿はどこに埋葬されたのでしょうか。

現在、入鹿が眠っている古墳ははっきりしていませんが、候補をふたつ紹介します。

菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)

入鹿の墓として、一番の有力なのは菖蒲池古墳(奈良県橿原市菖蒲町かしはらししょうぶちょう)です。

形状は方墳で、7世紀に造営されたと推定されます。

小山田古墳おやまだこふんが並んでおり、

この二つが蘇我蝦夷の作らせた双墓「大陵おおみささぎ」、「小陵しょうみささぎ」ではないかといわれています。

また、菖蒲池古墳からは、非常に精巧なつくりの石棺が二つ出土されており、蘇我蝦夷、入鹿の石棺と推測されています。

水泥古墳(みどろこふん)

水泥古墳(奈良県御所市古瀬ならけんごせしこせ)は水泥南古墳と水泥北古墳の二つの古墳から成ります。

両方とも円墳で、6世紀頃の造営です。

水泥南古墳と水泥北古墳に、それぞれ蘇我蝦夷と入鹿が埋葬されているという伝承があります。

しかし、現在では、古墳の成立時期が古いため、信憑性は低いとされています。

 

蘇我入鹿 ゆかりの場所

飛鳥の権力者、入鹿が皇子によって殺害された事件は当時の人々にとっても衝撃的だったようです。

史跡には入鹿にまつわる、恐ろしくも面白い伝説が残されていました。

蘇我入鹿 首塚

飛鳥寺の西側に立つ五輪塔です。

乙巳の変の際に斬られた入鹿の首がここまで
飛んできたので祀った

という言い伝えや

斬られた入鹿の首が、中臣鎌足を追い掛け回したので
供養の為に作られた

などの伝承があります。

入鹿の首塚は三重県松戸市にも存在します。

乙巳の変の際に斬られた首が奈良県と三重県の県境にある高見山に向かって飛んできたが

力尽きてこの地に落ち、それを祀ったもの

と伝えられています。

入鹿が亡き後に入鹿の妻や娘たちが、ここに住み供養した

とも言われています。

高見山には

中臣鎌足を連想させる「鎌」を持って入ると、怪我をする

という面白い言い伝えがあります。

入鹿神社

入鹿神社は奈良県橿原市小綱町ならけんかしはらししょうこちょうにあります。

蘇我入鹿の木像坐像もくぞうざぞうが御神体です。

明治時代に、政府から逆賊である蘇我入鹿を祭るのは良くない、ということで

祭神をスサノオにし、「小網神社」に改名するように命令されますが

地元の人々は断固拒否しました。

悪役の印象が強い蘇我入鹿ですが、

地元では非常に愛された存在だったのですね。

現在では蘇我入鹿とスサノオが祭神として祭られています。

 

きょうのまとめ

蘇我入鹿のお墓を紹介しました。

いかがでしたでしょうか。

簡単にまとめると

① 乙巳の変の後、入鹿の遺体はすぐに埋葬が許された

② 入鹿の墓の候補は小山田古墳と水泥古墳

③ お墓のほかにも、首塚や入鹿神社などの史跡がある

入鹿のお墓や史跡について紹介させていただきました。

非業の死を遂げた蘇我入鹿ですが、今は安らかに眠ってくれることを祈ります。

蘇我入鹿に想いを馳せる古墳、史跡めぐりをしてみてはいかがでしょうか。

 
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