釈迦とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

紀元前6~5世紀にかけて生きた釈迦は、

別名をブッダ、正式にはゴータマ・シッダールタの名をもつ、いわずと知れた仏教の創始者です。

彼は若くして出家し、数年間の修行を経て悟りを開くと、その教えを広めるため、インド各地を渡り歩きます。

仏教は日本では主流の宗教になっていますし、世界的に見てもキリスト教やイスラム教に次いでポピュラーといえるでしょう。

インド、アジア圏を中心に多くの人に影響を与えてきた仏教。

その創始者は一体どんな人物だったのか…釈迦の生涯を辿ることで垣間見ていきましょう。

 

釈迦はどんな人?

プロフィール
釈迦

釈迦
出典:Wikipedia

  • 出身地:ヒマラヤ山麓の小国シャーキャ(現在のインド・ネパールの国境地帯)
  • 生年月日:紀元前566年頃
  • 死亡年月日:紀元前486年2月15日(享年80歳)
  • 瞑想修行によって悟りを開き、インド各地に教えを広めた仏教の開祖

 

釈迦 年表

年表

西暦(年齢)

前566年頃(1歳)シャーキャ国の王だった父シュッドーダナ、母マーヤの間に生まれる。

前550年頃(16歳)母方の従妹・ヤショーダラーと結婚。長男のラーフラが生まれる。

前537年頃(29歳)何人も「老・病・死」の苦しみから逃れられない事実に直面。そのとき出会った修行僧の清らかな姿を見て出家を決意する。

前537~531年頃(29~35歳)3人の思想家に弟子入りするも答えを見出せず、ウルヴェーラーの林にて、6年間の苦行を行う。

前531年(35歳)苦行で行き倒れているところを村娘のスジャータに助けられる。その後菩提樹の下で瞑想を行い、悟りの境地に達する。

前531~527年(35~39歳)共に苦行を行った5人を始め、ヴァラナシを中心に仏教を広めていく。教団は数年で1000人を超える規模となった。

前527~485年(39~79歳)インド各地を巡り、その教えを広めていく。

前486年(80歳)マッラ国・クシナガラにあるヒランニャバッティ河のほとりにて、食中毒により死没。

 

少年期の釈迦

釈迦

釈迦
出典:Wikipedia

生まれてすぐに立って歩いた!?

釈迦の逸話のひとつで、頻繁に語られるものに、彼が生まれてすぐ、7歩歩き、右手を上、左手を下に向け

天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん

といったというものがあります。

もしこれが本当だとしたら、母親としては腰を抜かしてしまいそうな話ですが…。

いくら釈迦といっても、生まれたころは普通の赤ん坊。

これは後世の人物が彼を神格化する余り、話に尾ひれはひれがついたものでしょう。

ちなみに「天上天下唯我独尊」というのは、「この世に自分ほど尊いものはない。この生涯を最後に、私が再び生まれることはないだろう」という意味です。

一見自分に対するうぬぼれを表した言葉にも見えますが、これは仏教でいうところの輪廻転生りんねてんせいの考えに基づいた言葉。

輪廻転生の価値観では、人がこの世に生を受けるのは、まだまだその人に改める部分があるからです。

悟りを開き魂が浄化されると、この世で修行する必要はなくなり、再び生まれ変わることはありません。

釈迦が生まれたそのときにこの言葉を口にしたというのは、彼がいずれ悟りの境地に達する暗示を意味しているのです。

王族として何不自由ない暮らしを送る

母のマーヤは釈迦を生むと、なんとその7日後に亡くなってしまいます。

これにより釈迦はマーヤの妹、つまり叔母さんにあたるマハーブラージャパティによって、シャーキャ国の都・カピラヴァストゥにて育てられることになりました。

幼くして母親を亡くしてしまうというのは不幸な話ではありますが、生まれた直後のことですから、ほとんど叔母さんが母親のような感覚だったのではないでしょうか。

シャーキャ国の王だった父のシュッドーダナも釈迦のことを大層可愛がり、専用の宮殿が二つも与えられるなど、彼は何不自由のない幼少期を過ごします。

ほとんどのことは宮殿内でまかなえてしまううえ、一大イベントである結婚さえも身内で済んでしまう…恵まれた暮らしには違いありませんが、なんだか面白みにかける気もしますね…。

 

王族の暮らしを捨て、修行者の身へ

転機となった四門出遊

何不自由なく、裕福な暮らしをしていた釈迦に転機が訪れたのは、29歳のころの話でした。

転機となった出来事は四門出遊しもんしゅつゆうと呼ばれ、誕生秘話と並んで釈迦の有名な逸話に数えられます。

ある日、釈迦は家臣と共に東の門から出かけた際、腰のひん曲がった老人の姿を目にしました。

彼は宮殿の箱入り息子として育ったため、弱弱しい老人の姿など見たことがありません。

思わず「あれは何だ?」と家臣に尋ねた釈迦は、その話の流れでいずれは誰しも年老いて同じような姿になるということを知ります。

次の日は南の門から出て病人に、その次の日は西の門から出て死人を運ぶ行列にそれぞれ出くわしました。

この出来事によって、人間は誰しも老い、病気にもなり、そしていずれは死んでしまうということを釈迦は実感します。

釈迦が出会ったそれらの人々はいってしまえば赤の他人ですから、普通なら可哀想とは思っても、そこまで気に留めるものでもありません。

しかし彼はこの出来事をきっかけに、「今が幸せでも、いずれはあのような苦しみがやってくるのだ…」と思い悩んでしまうのです。

大切に育てられたがゆえ、このころの釈迦の心は一層繊細だったのでしょう。

そんな折、北の門から出かけると、清らかな修行僧の姿が目に飛び込んできます。

その姿に感銘を受けた釈迦は「この道にこそ、苦しみに向き合うための答えがあるはずだ」と直感し、出家を決意するのです。

6年間の苦行の末、悟りの境地へ

王族の暮らしを捨て、修行者となった釈迦は、僧としての教えを乞うため、3人の思想家に弟子入りします。

弟子入りの際、釈迦はいずれにおいても教えを即座に体得してみせたという辺り、只者ではありません。

それまでの恵まれた境遇を考えると、すぐに音を上げてしまいそうなものですが…。

結局は、いずれの教えも釈迦にとっては腑に落ちない部分があり、最終的には自身で苦行を科す修行を行うようになります。

彼はウルヴェーラーの林にて、父が遣わせた5人の仲間と共に6年間、断食を始めさまざまな苦行を行いました。

苦行を重ねた結果、行き倒れてしまった釈迦は、村娘のスジャータに助けられ、行き過ぎた苦行が無意味だという結論に達します。

5人の仲間たちは、その結論を出した釈迦を「腑抜けだ」と馬鹿にしましたが、彼は気にせず、菩提樹の下に座り、苦行とは別の瞑想修行を行いました。

これによってようやく釈迦は悟りを得ることに成功するのです。

このとき彼を馬鹿にした5人も、ゆくゆくは弟子になってしまうのですから、悟りの境地に達した釈迦の教えは、よほどの説得力をもつものだったのでしょうね。

その教えは仏教として、釈迦自らの歩みによってインド各地へ広がり、アジア圏…そして私たちの生きる現代の日本にも通じているわけです。

 

きょうのまとめ

釈迦は生まれながらに恵まれていたから、富が必ずしも幸福をもたらすものではないことを知っていました。

だからこそ、多くの人が富を追いかける人生を、彼は精神の鍛練に向けられたといえます。

しかしそれにしても、35歳の若さでその思想の基礎はまとまっていたわけですから、やはり常人とはいえませんね。

最後に今回の内容を簡単にまとめておきましょう。

① 幼少期の釈迦は箱入り息子。王族として何不自由ない生活を送っていた

② 29歳のころ、万人にやってくる苦しみに直面すると、出家を決意した

③ 6年間の苦行を経て悟りを開き、その後インド各地へ仏教を広める

いずれにしても、一人の青年が辿り着いた思想が、後に世界へと広がっていったというのはロマンのある話ですね。

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