逸話で知る千利休の美学

 

茶聖として知られる千利休せんのりきゅうは、逸話にことかかない人物です。

彼の茶の湯への姿勢や美学などを表わすは数多く残されています。

今回はその中から幾つかのエピソードをご紹介しましょう。

 

花にまつわる逸話

千利休

千利休
出典:Wikipedia

茶の湯でもてなすときの大切な要素の一つは、季節感を上手に取り入れること。

そこで花が活躍します。

利休は、新しい発想で彼の茶の席にちょっとした驚きをもたらし、客人をもてなすのが得意だったようです。

朝顔

ある初夏の朝のことでした。

千利休が豊臣秀吉に使いを出し、

利休
朝顔が美しいので茶会にきませんか

と誘いました。

秀吉は、朝顔が沢山咲き誇る庭を眺めて飲む茶を楽しみに利休の屋敷にやってきました。

ところが、利休の庭の朝顔はことごとく切り取られてしまい、全く見当たりません。

がっかりしながら茶室に入る秀吉。

すると、茶室の床の間にたった一輪の朝顔が生けられていたのです。

たったの一輪ですが、一輪であるがゆえに花の美しさがとても際立って見えました。

秀吉はその利休の美学に脱帽したといいます。

鉢と紅梅

ある春に秀吉が利休にチャレンジしました。

彼は床の間に水を張った大きな鉢を置き、そのかたわらに紅梅一枝だけを添えました。

そして

秀吉
この鉢に梅を入れてみよ

と利休に命じたのです。

その様子を見ていた秀吉の側近たちは、「さすがにこれは難題だ」と感じました。

なぜなら、その鉢は一枝の梅には大きすぎて、梅を生けてもバランスが悪くなることは誰の目にも明らかだったからです。

皆が固唾かたずをのんで見守る中、利休は平然とした様子で紅梅の枝を逆手にして持ち、枝をしごいたかと思うと、梅の花弁つぼみだけをはらはらと鉢の中に落としたのでした。

鉢の中で紅梅の花弁は、鮮やかに水面に広がりました。

その美しさと利休の風情ある発想に感嘆した秀吉は、

秀吉
なんとか利休めを困らせようと思うのに、全く動じぬやつじゃ

と、彼の機転に上機嫌になったのだそうです。

 

茶の湯の精神についての逸話

利休の心の中には、茶の湯のあるべき姿や生き方についての確固たる信念があり、それが曲げられることはありませんでした。

興ざめのもてなし

ある冬の日、大坂から京へ向かう利休は、摂津の親しい茶人の家に立ち寄りました。

主人は、利休の突然の来訪に驚きながらも、喜んで彼を迎え入れます。

急な客人にもかかわらず邸内は手入れが行き届き、主人は庭から取ってきた柚子ゆずの実を使って柚子味噌の膳を仕立てました。

利休はとっさの客をうまくもてなす主人のその趣向を喜びました。

しかし、料理に蒲鉾かまぼこが出された時に顔色を変えました。

当時の蒲鉾は高級品であり、日持ちしない品です。

それが出されたことで利休は、実は主人はあらかじめこの日に利休が家の近くに来ることを知っていたことを見抜きました。

主人は、見栄を張って入念に準備を整えた上で、さも驚いたような振りをしながら、突然の客への手際の良さを見せようとしたわけです。

失望した利休は、その後主人がどんなに引き留めても聞かずに帰ってしまったそうです。

待庵

利休が設計した二畳敷の小さな茶室待庵たいあん

シンプルさを限界まで追求し、無駄を削ぎ落とした究極の茶室は国宝となっています。

待庵は珍しい構造を持ち、にじり口と呼ばれる茶室の入口は、間口が狭く低い位置に作られています。

頭を下げ、うような体勢でなければ茶室の中に入れません。

武士は、刀を外さなければ入り口に突っかえて上手く通ることもできません。

例え身分の高い大名であっても、天下の豊臣秀吉でさえも同じです。

つまり、一度茶室に入ってしまえば、そこでは身分の上下はなくなる、ということ。

茶室は誰もが平等に茶を飲む場なのです。

そんなルールを敷く利休に対し、さすがの天下人・秀吉も従うしかなかったようです。

武将も恐れる

勇猛な武将として知られる福島正則ふくしままさのりは、あるとき細川忠興ほそかわただおきに誘われて利休の茶会に参加しました。

忠興が慕う茶人の利休とやらが、どれほどの者なのか見極めてやろうという魂胆です。

茶会後、政則はこう述べました。

「今までどんな強敵にもひるんだことのなかったわしだが、利休と向き合うとどうもおくしてしまったような気がした」

と。

利休の凜とした茶の湯に対する姿勢は、武将が戦いに望む時の殺気に匹敵したものなのかもしれません。

秘伝の作法

豊臣秀吉は、非常に茶の湯に熱心な人でした。

天下人となった彼は、茶の湯の道でも何か自分が特別になれる権威が欲しくてたまりません。

そこで「秘伝の作法」というものを作り、これを秀吉と利休だけが教える資格を持つことと決めたのです。

ある時、利休がこの作法を織田有楽斎おだうらくさいに教えました。

そして実はこれよりもっと重要な一番の極意があると告げたのです。

是非教えて欲しいと懇願する有楽斎に利休は、

利休
それは自由と個性なり

と答えました。

実は、利休は秘伝の作法などのもったいぶったことは、茶の湯に全く重要ではないと考えていたのです。

こうしたところからも、質素を好む千利休と派手さが大好きな豊臣秀吉は、ことごとく考え方が食い違っていたことがわかりますね。

 

きょうのまとめ

今回は、織田信長と豊臣秀吉の2人の天下人に仕えた茶聖・千利休の姿勢・美学がわかる逸話をご紹介いたしました。

簡単にまとめると

① 千利休は茶の湯に大切な季節感を趣向をもって見事に表現した

② 利休の茶室に入れば身分の上下にかかわらずに皆が同等であった

③ 利休の茶の湯やもてなしには見栄や特別感など意味のないことだった

でした。

千利休の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「千利休とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku