「堕落」で前に進む。坂口安吾の『白痴』の世界

 

近現代の日本文学を語るときに欠かせない作家の一人、

坂口安吾さかぐちあんご

純文学小説、歴史小説、推理小説、評論やエッセイなどの作品を多く残す安吾の代表作品の一つに白痴はくちがあります。

 

小説『白痴』とは

1946年6月1日に雑誌『新潮』6月号「小説」欄にて発表された、坂口安吾による短編小説です。

のち、単行本・文庫本も刊行され、英語をはじめとして海外にも翻訳出版されています。

戦後の混迷の時代に坂口安吾が「堕ちよ、生きよ」と世に問いかけた『堕落論』と対を成す作品と位置づけられています。

あらすじ

太平洋戦争も終わりに近づいてきた頃、日本の敗戦色が日に日に濃くなっていた時期の話です。

映画会社で演出見習いをしている伊沢という男は、場末の町に仕立屋の離れ小屋を借りて生活していました。

物語は、そんな彼と隣に住んでいた白痴の美女との奇妙な関係を描いています。

ある夜、伊沢が帰宅すると、隣家の気違いの美男の妻であり、白痴の美しい女性が部屋の押し入れに入り込んでいました。

女とはまともにコミュニケーションを取ることができない伊沢ですが、やがて彼女が伊沢の愛情目当てでやって来たことに気が付きます。

そして2人は同棲を開始。

しかし、彼女は一般の女性ができるような家事などは一切できません。

毎日ただ伊沢の帰宅を待っている女の肉体にすぎませんでした。

やがて4月15日の東京大空襲が始まり、伊沢は女と避難します。

逃げる途中に伊沢が言った「俺から離れるな」の言葉に、初めて意志を持って反応する白痴の女性。伊沢はそれに感動します。

混乱と火の海の中を必死に逃げ、ようやく休める場所に辿り着くと、女は眠り始めました。

伊沢は、鼾をかいている彼女に豚の姿を重ね見るのでした。

「堕落」を描く作品の魅力

この物語は、現代社会で万人受けする作品ではないかもしれません。

なぜならこの作品は、

・「白痴」「戦争」などの刺激的キーワードが見られるわりには物語は平坦で、エンターテイメント性に欠ける

・小説の文章にクセがあり、個性的ではあるが、流れるような美しい文章ではない

・戦争を経験していない世代には、書かれている小説通りに読む以外、戦争に対する直接的な感慨はない

からです。

しかし、この作品には強いインパクトがあります。

それは、坂口安吾の一種合理的な「堕落論」が作品に現われているからでしょう。

安吾は戦争を賛美も非難もしないまま、

・戦争のせいで人間の本来の喜びや欲求を諦めてしまうことはばかばかしい

・戦争のために愛国者であろうと務め、何事にも我慢をし、良い人間を目指すことに意味が無い

と鋭く指摘しています。

それはある意味、見栄を捨てた人間の真実の姿ではないでしょうか。

空襲の中で逃げ惑う伊沢と白痴の女の2人は、どこか夢見がちで幸福感にさえ包まれています。

きれいごとではなく、瞬間の強い原始的な想いを描いたからこそ、この作品が読む人の心に残るのかもしれません。

『堕落論』を小説化した『白痴』とその評価

『白痴』は、坂口安吾が1946年に発表した随筆・評論『堕落論』小説化したものだと言われています。

敗戦後の日本では、特攻隊の勇者も闇屋となり、戦死した夫を持つ妻もいずれ新しい恋人を作りました。

『堕落論』において安吾は、それを堕落と言うならば、それは敗戦したから堕落したのではなく、人間だから堕ちたわけであり、生きていれば堕ちるものだと言ったのです。

「生きるためには堕落することが必要だという逆説的な倫理観」が彼の堕落論であり、それを小説として『白痴』に表現したのです。

安吾の『堕落論』は、彼の生き方を決定した評論でした。

それは、三島由紀夫、檀一雄らをはじめとする多くの作家や批評家に高く評価されています。

その合理的な考えが『白痴』として小説の形で表現され、坂口安吾は、太宰治、石川淳、織田作之助らと共に終戦後の新時代を担う作家として脚光を浴び、文壇でも特異な地位を築きました。

 

映画になった『白痴』

『白痴』は1999年に手塚プロダクション製作により映画化されました。

坂口安吾の『白痴』の世界観を持った手塚眞による『白痴』です。

その映像美が話題となり、国際映画祭で高い評価を得ました。

映画における設定

映像にするのは難しいと言われたこの小説の映画化は、原作とは違った設定をすることによって、「堕落」の不思議な安心感がより現代に受け入れやすくなった作品です。

脚本・監督は手塚眞。

主人公の青年・伊沢を浅野忠信、一緒に暮す女・サヨを甲田益也子が演じました。

舞台は、終末戦争を迎えている、過去か未来かもよくわからない日本。

主人公の伊沢はテレビ局のADであり、薄汚い町に暮しながら、戦争にも仕事にも疲れた青年です。

そんな彼の部屋の押し入れに、隣家の知的障害者の妻・サヨが忍び込み、やがて伊沢は彼女との秘密の生活を送ることになります。

サヨの存在が安らぎになりつつあった伊沢でしたが、町に爆撃が開始され、2人は避難することになったのでした。

映画賞

世界的にも高く評価された『白痴』は、

・ヴィネチア国際映画祭招待プリモ・フィーチャーフィルムフェスティバル・デジタルアワード

・カメリマージュ映画祭招待シルバー・フロッグ賞

・レイク・アローヘッド映画祭招待ベストフィルム賞

を受賞しています。

 

きょうのまとめ

今回はと主張した作家・坂口安吾の小説『白痴』についてご紹介いたしました。

短編小説『白痴』は、

① 「生きるためには堕落が必要だ」という逆説的倫理観の『堕落論』を小説化した

② 空襲下で孤独な男と白痴の女との間に育まれる、安心感や真実を表現した

③ 1999年に映画化され、ヴィネチア国際映画祭ほか世界で高評価された

坂口安吾の代表的作品です。

 

坂口安吾の年表を含む【完全版まとめ】はこちらをどうぞ。
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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku