「ただ一人の天才がすべてのことを成し遂げた」
「真の天才といえる唯一の芸術家」
「間違いなく比類なき万能の天才」
いずれも出典wikipediaです。
この人類史上で彼以上に天才と例えられる人はいるのでしょうか。
今回はそんな彼の天才ぶりをいっぱい紹介しましょう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。
ナビゲーター、ジャコモ
どーもぉ~。
レオナルド・ダ・ヴィンチ先生の弟子ジャコモですにゃ。
みんなは勝手においらのことを“ド気まま”で“手癖の悪い”ドロボウネコ・キャラあつかい。
レオナルド・ダ・ヴィンチ先生を紹介する時は呼ばれてなくても出てきます。
まず、先生の天才ぶりを示す絶対に外せないエピソードはこれです。
弟子入りしてすぐにうますぎる!!
レオナルド・ダ・ヴィンチ先生は14才(年齢はいろんな説があります)でヴェロッキオさんの工房に弟子入りします。
そこでレオナルド・ダ・ヴィンチ先生はヴェロッキオさんの絵の一部を描かしてもらうのです。
が、ヴェロッキオさん、もうビックリ!
うますぎます!
もう全体の絵の中でそこだけ明らかに浮いていますから。
ヴェロッキオさんはショックのあまり、画家をやめてしまいます。
ちなみにこの作品の名前は『キリストの洗礼』といいますニャ。
万能の天才
万能の天才。
これはレオナルド・ダ・ヴィンチ先生の代名詞のようなもんですニャ。
ダ・ヴィンチ先生は絵だけで、とてつもニャいのに、どの分野でも一流ですニャン。
ダ・ヴィンチ先生の万能の天才分野とちょっとお茶目(?)なエピソードを紹介しますニャン。
解剖学
レオナルド・ダ・ヴィンチ先生はより正確な絵を描くために人体解剖をいっぱいスケッチしていました。
当然、ナマのものがほしいから、「どこそこで人が死にそうだ」なんてうわさでも聞けばもう病院の前で“張って”ます。
先生。もうしわけないですけれど、さすがに“死神”のようです。
それが教皇にバレてしまって、禁止にされると、今度は夜な夜な墓をあさって死体を引きずり出していました。
ちなみに、先生の描いた解剖図はあんまり細かいところまで正確なんで、その後の医学の発展にも役立っていました。
設計
レオナルド・ダ・ヴィンチ先生と言えば物理も数学も建築もなでもござれ。
なので、先生の描いた設計図は当時としてはとっても実用的(?)で目新しいものがいっぱいです。
たとえば、
<時計>
ゼンマイ仕掛けで動きます。
レオナルド・ダ・ヴィンチ先生は寝坊がとってもお嫌いです。
だから、これでみんなのお寝坊をやめさせようとしました(おいらとしたら余計なお世話です)。
<自動車>
やっぱりゼンマイ仕掛けです。
ずっと時代が後になってから、この設計図をもとに造られたけど、まるで動かなかったらしいです。
<大鎌付き戦車・機関銃・投石器・高射砲……>
そのころのイタリアではいっぱい戦争がありました。
あのチェーザレ・ボルジア(※)だって先生を軍事のお供として雇っていました。
(※)とても非情で残酷ながらとても合理的なやり方を徹底し、イタリアに大旋風を巻き起こしました
でもチェーザレはそういうキテレツ発明より地図などの現実にすぐ使えるものを重く用いました。
レオナルド・ダ・ヴィンチ先生は、そっちの方でも確かな腕を持っていた、ということです。
<空飛ぶ機械、水上歩行器>
この設計図を見て、君は今「ギャグだ」と思っていますニャ?(微笑←ジャコモは“小悪魔サライ”と呼ばれています)
両手で絵
ここまではレオナルド・ダ・ヴィンチ先生の天才ぶりをいっぱい紹介してきました。
でも、じゃあなんで先生はそんなに天才になったのでしょうか。
その秘訣がここに隠されているかもしれません。
先生のそのとっておきの技とは、なと両方の手でいっぺんに絵が描けますニャ。
それも上手です。
片方で馬、もう片方で鹿を描いて見世物にもしていました。
たいがいどこでやっても大うけです。
人間は左と右に脳があります。
その両方をきたえたからこそ、あの天才ぶりがあったのではないか、といわれています。
先生お得意の“鏡文字(※)”というのもなかなかの脳トレになったのかもしれません。
(※)鏡で左右反転したように文字を書きます
おいらもちょっとやってみます。
きょうのまとめ
① レオナルド・ダ・ヴィンチは弟子入りしてすぐでも絵がうますぎて師匠が画家をやめてしまった
② レオナルド・ダ・ヴィンチは画家としてだけでなく建築・解剖・数学・物理・地理学……かなり多方面で一流だが、たまに「?」な発想もある
③ レオナルド・ダ・ヴィンチは両手で同時に絵が描けた
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語尾のニャンがキモいです
確かにちょっと。。キモいかもしれませんね。
修正検討させていただきます。
ご指摘ありがとうございます。