ピタゴラスとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

紀元前6世紀、古代ギリシャにてピタゴラス教団を創設し、多くの弟子たちにその教えを広めることで、後世の数学界に多大な功績を残した

ピタゴラス

直角三角形の辺の関係性を表したピタゴラスの定理も、ピタゴラス教団の中で生まれたものです。

彼の生涯は数学を追求することに始まり、また自身が得た数学の知識を弟子たちに広めていくことに終始しました。

数学を追求し続けたというと、いかにも「勉強漬けの人生だったのだろうな…」という印象を受けますが、ピタゴラスは一体どんな人で、どんな生涯を送ったのでしょうか。

今回は彼の辿った人生の軌跡から、その人物像に迫っていきましょう。

 

ピタゴラスはどんな人?

プロフィール
ピタゴラス

ピタゴラス
出典:Wikipedia

  • 出身地:古代ギリシャ・イオニア地方サモス島
  • 生年月日:紀元前582年
  • 死亡年月日:紀元前496年(享年86歳)
  • 古代ギリシャの数学者。ピタゴラス教団にて多数の弟子を育て、その教えは現代の数学界にも多大な影響を残す

 

ピタゴラス 年表

年表

西暦(年齢)

前582年(1歳)古代ギリシャ、トルコ沿岸のイオニア地方サモス島にて、宝石細工師の息子として生まれる。

前550年頃(32歳)知識を求めて島を旅立ち、ヨーロッパ、エジプト、中央アジア、インドなど、世界各国を巡る。

前530年頃(52歳)イタリア南端の町クロトンにて「ピタゴラス教団」を創設する。このときすでに数学に関するあらゆる知識を身に付けていた。

前496年(86歳)教団の後援者が政争に巻き込まれたことにより、市民から反感を買う。これを受けてかつて入団審査に落とされた者たちが市民に加担して教団を襲撃。暴動の中でその生涯を終える。

 

20年にも及ぶ探求の旅

数学に関係するあらゆる知識を身に付ける

ピタゴラスが弟子たちに教えを説き、後世に伝わる多大な功績を残せた理由は、元を辿れば彼が若くして行った探求の旅に行き着くでしょう。

彼は20年にも渡って世界各地を巡り、幾何学、算術や比率、天文学など、数学に関係するあらゆる知識を身に付けていきました。

現代でも何かのスペシャリストになる人は、本場で修行を積むケースが多いですよね。

ジャズミュージシャンがアメリカのバーで修行したり、マッサージを学ぶためにタイの学校に通ったり。

普通の人なら、本場に学びに行くにしても場所は限られていますが、ピタゴラスは興味のあることすべてを本場で学ぼうとしたのです。

彼の功績は本場で学んだからこそ…とも取れますし、「世界各国を巡って学んでやる」という情熱があったからこそとも取れます。

数学と同時に宗教的思想を学ぶ

ピタゴラスが世界を巡って学んだのは数学だけではありません。

彼はエジプトで「人間の肉体は死んでも、魂は宿を変えて何千年生き続ける」という輪廻転生りんねてんせいの精神を学びました。

輪廻転生の価値観では人間は何度も生まれ変わり、善行を積むことで魂が浄化され、やがては天に帰っていくとされています。

この教えに基づき、生きているうちに多くの善行を積もうと考えたことも、ピタゴラスが教団を作り、弟子たちに教えを説いたことに繋がるのではないでしょうか。

また自身が「万物は数でできている」という答えを見出したように、ピタゴラスが数学だけでなく物事の在り方をも探求したのは、人間の生き方を問う宗教を学んでいたからでしょう。

宗教に関しては、エジプトの神殿で学んだ他に、世界最古の一神教として知られるゾロアスター教の司祭に弟子入りしていたこともあるといいます。

宗教の修行というと、一つの真理を追い求めていく印象がありますが、ピタゴラスは一つに絞らずに興味を持ち、これに関しても各地で学んでいたのですね。

 

ピタゴラス教団での教育

紀元前530年頃、世界各地を巡る旅を終えたピタゴラスが行ったのは、ピタゴラス教団の創設でした。

教団員たちは財産を共有することが決められており、全財産を入団時に収めることが義務付けられている、内部の情報を口外した者は海に沈められるなど、教団には逸話が多数あります。

一体どんな教育が内部で行われていたのでしょうか。

弟子には多くの階級があった

ピタゴラス教団に入団するとまず、最初の2~5年は聴聞生ちょうもんせいとして、自分の意見はいわず、先輩の話に集中することだけを求められます。

2~5年と幅があるのは、元の能力も考慮してのものでしょうか。

単に教団に関する情報が少ないため、はっきりしていないとも考えられますね。

そして聴聞生の期間を終えても、この先にまだ3つの階級分けがありました。

第一段階は学修者がくしゅうしゃと呼ばれ、数学と幾何学に熟達することを目指します。

学修者の次の段階は観照者かんしょうしゃ

学修者の段階で身に付けた知識を実際に試す段階…いわゆる実験を行う段階といえます。

そして最後は光輝者こうきしゃです。

さらなる真理を追究したいという志願者だけが、この段階に至りました。

今でいう大学と大学院のようなニュアンスでしょうか…しかし光輝者になってくると宗教色が一際強くなりますね。

一日のスケジュールは勉学一辺倒ではない

数学に精通していたピタゴラスが創設者となると、教団内のスケジュールは難関大学を目指す受験生のようなものをイメージしてしまいます。

しかし意外なことに、教団内の一日のスケジュールは決して勉学一辺倒ではなかったのです。

講義があるのはもちろんのことですが、感性を磨く目的で自然の中を散歩したり、健康を保つ目的でスポーツに勤しんだりといった時間も取られていたといいます。

実際勉強するにしても、適度に運動などの息抜きを挟んだほうが、頭がすっきりして効率が良かったりしますよね。

大昔の人といっても、ピタゴラスは「死ぬ気で勉強しろ!」といった根性論には走らなかったようです。

勉学一辺倒は効率が悪いと理解している点は、非常に現代的といえます。

 

哲学者という言葉を生み出したのはピタゴラス

歴史上には真理を探究する者の総称として、哲学者を名乗る人物がたくさんいます。

その中で最初に自らを哲学者と名乗ったのは、実はピタゴラスです。

それまで彼と同じように、学問の道を生きる人がいなかったわけではありません。

ただそういった探求を行う人たちは、それまで賢者または知者などと呼ばれていたのです。

しかしピタゴラスはこの呼び方に違和感を覚えました。

ピタゴラス
自分は賢い者でも、多くを知っている者でもなく、あらゆることを探究するのが好きなだけだ

と考えた彼は、自身を哲学者と名乗るようになったのです。

その謙虚な姿勢に多くの人が魅せられ、教団にも何百人に及ぶ信者が入団してきたということですね。

 

きょうのまとめ

ピタゴラスは数学者としての功績が一番有名ですが、彼の興味は数学だけでなく、多岐に渡っていました。

だからこそ宗教などの良い部分を吸収して、教団内でも勉学一辺倒にならない環境が築かれていたのでしょう。

また誰よりも多くの知識を持ちながら謙虚さを忘れないその人となりも、多様な価値観に触れることで養われたものだと考えられます。

何か一分野にだけ精通するというのも、素晴らしいことには違いありません。

しかしピタゴラスのように多分野に興味を向けることで、ブラッシュアップされていく部分もあるということですね。

最後に今回の内容をまとめてみましょう。

① ピタゴラスは20年に及ぶ世界各地の旅で、数学と宗教を学んだ

② 教団には多くの階級があった。また活動内容は運動や散歩など、勉学以外にも積極的だった

③ ピタゴラスはその謙虚な姿勢から、自身を哲学者と呼ぶようになった

ピタゴラスの歩んで来た軌跡を辿ってみると、浮かんでくるのは、勤勉というよりは「柔軟」という言葉です。

一生懸命勉強することも大事です。

しかしそこに柔軟な発想が合わされば、学んだことを活かせる場面もさらに増えてくるのでしょう。

 

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