2世紀の前半、ローマ帝国の統治下にあったエジプトのアレクサンドリアで活躍した学者、
クラウディオス・プトレマイオス。
4人の皇帝の治世に活躍した彼が遺した功績は、多岐にわたって後世に重要な影響を与えました。
クラウディオス・プトレマイオスとは一体、どのような人物だったのでしょうか。
今回はその主な功績と共に、彼の足跡を一緒に辿っていきましょう。
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クラウディオス・プトレマイオスはどんな人?
- 出身地:エジプト アレクサンドリア
- 生年月日:90年?
- 死亡年月日:168年?(享年78歳?)
- 古代ローマ帝国時代の学者。天文学、地理学、数学、占星学など、研究分野は多岐にわたる。
クラウディオス・プトレマイオス 年表
西暦(年齢)
90年?(0歳)1世紀末頃、おそらくエジプトのアレクサンドリアで誕生。
127年(37歳?)3月26日~アレクサンドリアにて天体観測を開始。
141年(41歳?)2月2日まで天体観測をしていたことが後の著書『アルマゲスト』に記載されている。
168年?(78歳)正確な年は不明だが、78歳を迎えた頃にエジプトのカノープスで死去。
クラウディオス・プトレマイオスの生涯
それでは早速クラウディオス・プトレマイオスの生涯について、その主な功績をご紹介していきます。
天文学
クラウディオス・プトレマイオスの功績として一番に挙げられるのは、「天動説」。
これについては別の記事で詳しく触れているのでここでは割愛しますが、プトレマイオスは天動説をまとめた著書『アルマゲスト』によって、永らくヨーロッパ世界やイスラム世界における権威として君臨しました。
「地動説」で有名な
・ガリレオ
・ケプラー
・ニュートン
等のルネサンス以降の偉人たちは、この長年常識となっていたプトレマイオスの天動説があったからこそ、活躍することができたと言えるかもしれません。
プトレマイオスは他にも、巨大な国立研究機関ムセイオン(彼の住むエジプトのアレクサンドリアに設立)にて、研究に没頭したその成果を
・『簡便表』
→ 天文学上の計算をする際に役立つ方法や説明を加えた、『アルマゲスト』に付随するハンドブック
・『惑星仮説』
→ 天動説の元となる宇宙論
等の書物にまとめています。
この2つの著作に関しては『アルマゲスト』ほどの権威は持たなかったものの、中世の時代においての宇宙論や天文表の作成に大いに影響を与えました。
地理学
クラウディオス・プトレマイオスは、地理学においても重要な功績を遺しています。
それが、この分野に関しての著書、『ゲオグラフィア(地理学)』です。
内容は宇宙論をまとめた『アルマゲスト』と同じく、古代の人々の地理に関する知識を集大成したもの。
本書は、地球球体説に基づき科学的な観点から体系的にまとめられた、最古の数理地理学書と言われています。
そして本書に書いた方法論を基に、クラウディオス・プトレマイオスは人類史上で初めて、世界地図を作成する際に地球上を緯度経度に分けて作図しました。
現代人からすれば当たり前のように受け入れている、緯度と経度の線を用いて場所を分けるという考え方も、それが形になったのはプトレマイオスの地図が始まりだったのです。
彼が作成した地図の範囲は、ジブラルタル(スペイン南端とアフリカ大陸の間)からインド付近にまで及んでいました。
2世紀に作成されたものですから、現在の地図と比べると正確性に置いては誤りがあるものの、科学的な視点を基に地図が描かれたのはこれが初だったということです。
プトレマイオスの遺した『ゲオグラフィア』はその後、
・15世紀フィレンツェの地理学者
らの研究に大きな影響を与えました。
さらにはそれらの研究成果に基づいて行われた大航海が、コロンブスのアメリカ大陸発見につながったのです。
占星術
クラウディオス・プトレマイオスは占星術の分野でも、権威としてその功績が知られています。
著書『テトラビブロス(四書)』は、その原題を「影響」としています。
先にご紹介した『アルマゲスト』では「計算に基づいて天体の運動や位置を示した」のに対し、
本書では、「運動によって常に変化する天体の位置関係が地球にもたらす影響」についてまとめています。
現在の西洋占星術などでも用いられる理論にも通じる、哲学的な視点から著されている本書は、古代より占星術の古典として称されてきました。
本書の影響はイスラムの世界においても重要視され、広く世界でその権威を保っていきます。
そしてルネサンス期のヨーロッパにおいても、特に占星術に携わる人々から、プトレマイオスは神聖で偉大なる存在として認識されることになりました。
ちなみにこの時期に活躍した画家、ラファエロの有名な絵画『アテナイの学堂』の中に、古代ギリシアやローマ時代の偉人の一人としてクラウディオス・プトレマイオスが描かれています。
この時代における彼の存在の重要度を示すひとつの例と言えるでしょう。
クラウディオス・プトレマイオスにまつわるエピソードや伝説
ここでは、クラウディオス・プトレマイオスに関する逸話をご紹介します。
謎に包まれた学者
現代まで遺る、多くの功績で知られているクラウディオス・プトレマイオス。
しかしその人物像についての情報は、皆無に等しいと言っても過言ではありません。
彼の活躍した時代が2世紀という、古代に位置付けられるほど昔と言うこともあるのでしょうが、それにしてもその人物像が分かる資料が残っていないのです。
生まれた時期や場所も不明なことながら、彼が実際にどんな民族の血筋だったのかも確かなことは分かっていません。
各書物の書かれた正確な時期も分からず、私生活も謎に包まれています。
少なくとも判明しているのは、プトレマイオスはプトレマイオス朝エジプト滅亡後、政治や経済の中心地がローマに移った後にアレクサンドリアで活躍したということ。
その最期も同じくエジプトの、カノープスという地だったと言われています。
その他の研究分野
既にご紹介した通り、クラウディオス・プトレマイオスは数々の研究成果を世に遺しています。
しかし、彼の探求心はそれ以外の分野にも及んでいました。
例としてその研究対象は、
・工学分野
・哲学
等を挙げることができ、それぞれ
・『光学』
・『ヘゲモニコン(認識論)』
といった著作を遺しています。
そのあくなき知への欲求と行動力が、資料のほとんど残っていない彼の名と足跡を、歴史に刻むこととなったのです。
きょうのまとめ
今回は古代アレクサンドリアで活躍した学者、クラウディオス・プトレマイオスについて、その生涯を功績やエピソードと共に見てきました。
いかがでしたでしょうか。
何か新しい発見はありましたか。
最後に、クラウディオス・プトレマイオスとはどのような人物だったのか簡単にまとめると
① 2世紀のエジプトアレクサンドリアで活躍した、ローマ帝国の学者。
② 天文学、地理学、占星術、光学等、研究分野は幅広く、後世に与えた影響も大きい。
③ 様々な分野で権威と称される一方で、その人物像はほとんど分かっていない。
本文でもご紹介した、ラファエロの『アテナイの学堂』。
後ろを向き、王冠をかぶって地球儀を手にしているのがクラウディオス・プトレマイオスです。
ご興味を持たれた方は、お時間のある時にでもぜひ一度探してみてはいかがでしょう。
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