アイザック・ニュートン。
歴史だけでなく物理の世界でもよく聞く名前ですよね。
彼の発見した法則はいっぱい目にしても、どんな性格でどんな人生を送ったのか、というのは知っていますか。
意外にその素顔を知られていない知の巨人について紹介しましょう。
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ニュートンはどんな人
- 出身地:イギリス・ウールスソープ
- 生年月日:1642年12月25日(クリスマス生まれです)
- 死亡年月日:1727年3月20日(享年84才)
- 物理学者。万有引力の法則や微積分法などを発見
ニュートンの年表
1642年(0才)ニュートン生まれる
1661年(18才)トリニティ・カレッジに入学
1665年(22才)微分法を発見。ペストの流行のため、故郷に帰る。
1668年(25才)反射望遠鏡を製作
1688年(45才)国会議員になる
1717年(53才)イギリス政府、ニュートンの助言により1ギニー金貨=銀21シリングと定める
1727年(84才)ニュートン亡くなる
ニュートンの生い立ち
アイザック・ニュートンは未熟児として生まれました。
あまりにひ弱に見え、周りには「すぐ亡くなるだろう」とすら思われていました。
ところが、84才という長寿を、しかもかなりの健康体でまっとうするのだからわからないものです。
家はほぼ地主の農家。
しかし、ニュートンは羊番をしながら本に読みふけるほどだったので、お母さんは彼に学業へと進ませることにします。
ニュートンの科学におけるおもな業績
ニュートンと言えば科学ですね。
ここではそんな彼の残した科学分野における偉大な業績を一挙紹介します。
●万有引力の法則の発見
リンゴが落ちるのを見て発見した、というアレです。
ただ、リンゴのエピソード時代は作り話の可能性大です。
第2法則とは「モノが運動変化する量=力×時間」
第3法則とは「作用・反作用の法則」
です。
ニュートンは自分で当時最先端より高性能な望遠鏡を作りあげ、研究に生かしました。
ニュートンの科学者以外の顔
実はニュートン。
科学以外いろんな分野にも手を出しております。
まず……。
政治家
ニュートンがこの職業をやっていたことは意外に思うかもしれません。
そもそもニュートンは熱心なピューリタン(清教徒)です。
そのため、彼らの推すホイッグ党(民党)に入党し、政治活動に積極的にかかわってゆくようになります。
ちなみに当時イギリスの二大政党はもうひとつトーリー党(王党)です。
そして、1688年9月国会議員に。
おや?と思ったかもしれません。
そうです。
イギリス史においてこの年はとても重要なある事件が起こっていますよね。
名誉革命です。
この時、王党側が自分に都合の悪い人たちを大量に強引な裁判にかけ、罪をかぶせていきました。
しかし、議員ニュートンはこの暴挙にしっかり反抗をつづけました。
造幣局長官
ニュートンはここで
●1ギニー金貨=銀21シリングの相場の助言
をおこないました。
特に下についてはイギリスの金本位制へとつながってゆきます。
薬剤師
ニュートンは若いころから自分で薬草を調合しておりました。
錬金術師
よくゲームや漫画で出てくるあの職業です。
かなり一生懸命取り組んでおりました。
神学者
ニュートンはキリスト教では一般的な三位一体説(キリストは神と子と精霊の3つの格式を持っているという説)を取らず、ユニテリアニズム(キリストは神ではなく、神は一つ)を支持しておりました。
年代学(歴史の年代を決定する学問)や預言研究にはげみました。
ニュートンの性格
ニュートンは生まれつきとても物静かです。
そして、ここが天才肌らしいですね。
とてもメランコリックです。
繊細で、傷つきやすい。
それでいてプライドはかなり高いので、ライプニッツやフックなどといったほかの同時代を代表する科学者たちとはもめることがありました。
また、上に書いた通り、いろんな分野とのつながりがあるので、彼の知人は幅広く豪華です。
あの「ガリバー旅行記」を書いた作家のスウィフト。
「統治二論」でおなじみの哲学者ジョン・ロック。
など。
きょうのまとめ
① ニュートンは若いうちから力学・光学・数学などの分野で偉大な業績を数々残した
② ニュートンは科学以外でもかなり幅広い顔を持つ
③ ニュートンは人脈も幅広い
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