中臣鎌足の家系図、現代の子孫についてご紹介します。

 

飛鳥時代、中大兄皇子と共に政治の中心になって国づくりをした

中臣鎌足(なかとみのかまたり)。

彼の子孫達はどのような歴史を歩んだのでしょうか。

今回は、中臣鎌足の家系図と現代の子孫についてご紹介します。

 

そもそも中臣鎌足とは?

中臣鎌足

出典:Wikipedia

飛鳥時代の官人。

中大兄皇子と共に大化の改新を行い、天皇中心の国づくりを目指しました。

晩年はその功績を認められ中大兄皇子(天智天皇)から、藤原姓を賜ります。

藤原氏の祖といわれています。

 

中臣鎌足の代表的な子孫3名

藤原不比等(ふじわらのふひと)(659年~720年)

飛鳥時代から奈良時代の公卿。

中臣鎌足(藤原鎌足)の次男です。

日本初の律令(法律)である大宝律令(たいほうりつりょう)の編纂(へんさん)や、

平城京の遷都(せんと)に尽力をつくしました。

娘達を天皇に嫁がせることで、天皇家との繋がりを強くし、

後に続く、藤原家の栄華の礎(いしずえ)を築きました。

藤原道長(966年~1028年)

平安時代の公卿。

摂政、関白という役職につき、天皇の代わりに政治を行い、権勢を振るいました。

その役職名から道長の政治を、摂関政治(せっかんせいじ)と呼びます。

5人の娘たちを天皇に嫁がせ、天皇の外戚(がいせき)となることで、地位を揺るぎないものにしました。

平安の女流作家、紫式部や清少納言は道長の娘達の女房(女官)です。

平安文化の隆盛をバックアップしたという一面もあります。

藤原頼道(ふじわらのよりみち)(992年~1074年)

藤原道長の息子です。

父、道長からその地位を引継ぎ、50年の間、関白をつとめます。

道長と頼道の二代が藤原氏の全盛期で、

頼道が建立した「平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう )」は

藤原氏栄華の象徴といわれています。

しかし、天皇に嫁がせた娘が男児を産まなかったことで、

生母が藤原家出身ではない後三条天皇(ござんじょうてんのう)が即位したことと

各地で反乱が起きたことが重なり、

藤原家の勢いに翳り(かげり)がみえはじめることになります。

 

華麗なる一族、五摂家(ごせっけ)

その後、藤原氏の頂点は、鎌倉時代に五つの家に別れ五摂家と呼ばれるようになります。

五摂家出身者のみが、摂政や関白になることができ、

皇后も皇家か五摂家の子女に限るという、不文律(ふぶんりつ)が戦前まで存在しました。

五摂家の成立

藤原不比等の息子達が、四つの家を興しました。

それぞれ、北家 南家 式家 京家といいます。

次第に、北家の力が他家に比べ強くなり、

権力が集中するようになりました。

藤原道長、頼道親子も北家の出身です。

さらに、鎌倉時代に、藤原北家が近衛家、九条家、二条家、鷹司家、一条家の五つにわかれます。

これを五摂家とよびます。

先述の通り、近代まで、五摂家出身が関白・摂政や皇后の座を占めてきました。

現在は、貴族という身分自体がなくなりましたが、

五摂家は存続しています。

 

五摂家の各家と、現在の子孫

五摂家の各家と現在の子孫についてご説明します。

近衛家

近衛家は平安時代の後期に興された、五摂家の筆頭の家です。

昭和初期に3回、内閣総理大臣になった近衛文麿(このえふみまろ)を輩出しています。

現在の当主は、近衞忠煇(このえただてる)氏(初名 細川護煇(ほそかわもりてる))という方で、

第79代内閣総理大臣の細川護熙(ほそかわもりひろ)氏の弟にあたる方です。

母親が、近衛家出身ということで、細川家から養子に入り近衛家の当主になったそうです。

近衞忠煇氏は国際赤十字・赤新月社(せきしんげつしゃ)連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長に就任しています。

九条家

九条家は平安時代後期に近衛家から分かれて興りました。

大正天皇の皇后である貞明皇后(ていめいこうごう)は九条家出身です。

現在の当主、九條道弘氏は平安神宮の名誉宮司をされています。

二条家

倉時代に九条家から分かれて成立しました。

二条家は藤原俊成(ふじわらのとしいえ)、定家(さだいえ)、為家(ためいえ)

といったすぐれた和歌の歌人を輩出しました。

最後の関白となる二条斉敬(にじょうなりゆき)は二条家出身です。

現在の当主は、神官と実業家をされているそうです。

鷹司家

鎌倉時代に近衛家から分かれて成立しました。

現在の当主、鷹司尚武氏は2017年まで伊勢神宮大宮司をされていました。

一条家

鎌倉時代に九条家から別れて成立しました。

明治天皇の皇后である昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)が一条家の出身です。

現在の当主は弁護士をされているそうです。

 

きょうのまとめ

中臣鎌足の家系図と現代の子孫についてご紹介しました

いかがでしたでしょうか。

簡単にまとめると

① 中臣鎌足とは中大兄皇子と共に大化の改新を行った人物

② 有名な子孫は不比等、道長、頼道

③ 鎌倉時代になると、藤原嫡流は五摂家として権力を握った。

④ 現在も五摂家の末裔は活躍している。

大化の改新以来、中臣鎌足の子孫たちがずっと天皇家の側で生き続けていたことは驚きですね。

現在も、大企業や日本を代表する神社のトップとして活躍している姿は

まさに「華麗なる一族」だと思いました。

 

中臣鎌足の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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