中川宮とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

幕末期、皇室出身者として朝廷の要職を務め、孝明天皇を補佐した人物

中川宮なかがわのみや

最終的な正式名は久邇宮朝彦くにのみやあさひこ親王。

中川宮は幕末期の宮号で、一番知られている呼び名です。

これまであまり触れられてこなかった人物ですが、大河ドラマ『青天を衝け』にて奥田洋平さんに配役が決まり、気になっている人も多いのでは?

動乱に次ぐ動乱が入り乱れる幕末。

中川宮は、渋沢栄一を育てたその時代背景を作った人物ともいえます。

いったいどんな人だったのか?

詳しく辿ってみると、時局を見定める冷静な思考の持ち主であること、それゆえ時代の波に翻弄されてしまったことが見えてきますよ。

 

中川宮はどんな人?

プロフィール
久邇宮朝彦親王 中川宮

久邇宮朝彦親王

  • 出身地:京都
  • 生年月日:1824年2月27日
  • 死亡年月日:1891年10月25日(享年67歳)
  • 幕末期、朝廷の要人となり孝明天皇を補佐した皇族。仏教、神道界の重鎮となり、宗教振興にも尽力した。

 

中川宮 年表

年表

西暦(年齢)

1824年(1歳)伏見宮邦家ふしみのみやくにいえ親王の第四王子として生まれる。

1837年(13歳)仁孝にんこう天皇の養子となり、親王宣下を受ける。

1838年(14歳)出家。興福寺(奈良)・一乗院の門主となる。

1852年(28歳)青蓮院しょうれんいん(京都)門主となる。天皇の護持僧ごじそう天台座主てんだいざすを兼務。

1859年(35歳)幕府大老・井伊直弼なおすけにより、隠居永蟄居えいちっきょの刑を命じられる(安政の大獄)。

1862年(38歳)赦免。朝廷にて国事御用掛となる。

1863年(39歳)「八月十八日の政変」を主導。攘夷じょうい派公卿、長州藩を京都から排斥する。

1868年(44歳)「王政復古の大号令」により攘夷派・倒幕派が復権。幕府を擁護した罪で安芸国あきのくに(現・広島)へ幽閉される。

1872年(48歳)謹慎を解かれ、伏見宮家の一員に復帰する。

1875年(51歳)久邇宮家を創設。伊勢神宮の祭主となる。

1882年(58歳)神宮皇學館(現・皇學館大学)を設立。

1891年(67歳)潰瘍性大腸炎により死没。

 

法親王として

1824年、中川宮は伏見宮邦家親王の第四王子として生まれます。

南北朝時代の崇光すうこう天皇の子孫で、現在の徳仁天皇の高祖父にあたる由緒ある血筋の持ち主です。

13歳のころ、仁孝にんこう天皇の養子となり親王に。

翌年には出家して奈良の興福寺・一乗院の門主となります。

江戸時代、皇室とつながりの深い寺院の門主は特別な待遇を受けていたため、相応の家格の人間が就く職となっていました。

その責を負う皇族を法親王ほうしんのうと呼びます。

朝廷とは別の配属となったものの、中川宮は幼少より替えの効かない職を任されていたのですね。

興福寺・一条院時代


中川宮はのちに朝廷の要人にもなっていくわけですが、一乗院時代にもその片鱗を見せています。

当時は、のちにロシアとの条約交渉などで活躍する幕臣・川路聖謨かわじとしあきらが奈良奉行を務めていた時期。

中川宮はこの川路と親交を深め、非常に強い信頼関係を築いていたといいます。

川路の残した日記『寧府ねいふ紀事』によれば、中川宮は仏教徒でありながら剃髪を嫌ったという話。

このことものちに還俗し、朝廷に深く関わっていく心づもりを表していると考察されています。

功績としては、興福寺と東大寺のいさかいの仲立ちをしたという話も。

青蓮院時代


28歳のころ、京都の青蓮院しょうれんいん門主となった中川宮は

天台座主てんだいざす…天台宗の総監

護持僧ごじそう…天皇のために祈祷を行う僧

というふたつの要職を兼任することとなります。

仏教界のトップであり、天皇御用達の僧

見るからにすさまじい地位ですが、この時期に天皇に近しい職を与えられたことはある種不運ともいえます。

時局は日米修好通商条約の調印を巡って幕府と攘夷じょうい派公家、諸藩が大揉めに揉めていたころ。

(※攘夷…外国人を追い払う考え方)

結果として幕府は天皇の許可なく条約を結んでしまい、天皇を擁護する立場の中川宮としては、これを認めるわけにはいきませんでした。

同時に浮上した将軍の後継問題に関しても、幕府大老・井伊直弼なおすけが反対した一橋慶喜を候補として支持したため、井伊と完全に対立することに。

こうして1859年、攘夷派の諸藩や公家を対象とした幕府の政策「安政の大獄」において、僧侶である中川宮までもが謹慎を命じられてしまうのです。

 

朝廷にて孝明天皇を補佐

徳川慶喜
幕府が中川宮に下した刑は永蟄居えいちっきょという無期限の謹慎。

しかし1862年にこれが解かれることとなります。

1860年、安政の大獄に反感を覚えた水戸藩士たちによって、井伊直弼が暗殺されたため(桜田門外の変)、幕府の方針が変わったのです。

謹慎を解かれた中川宮はいよいよ還俗し、朝廷にて国事御用掛ごようがかりという要職を任されることに。

諸外国との交渉を巡る国難に際し、臨時で作られたこの職は、要するに孝明天皇の補佐役でした。

このころ、天皇は幕府と協力して諸外国との条約改正、鎖国政策を推し進めていく「公武合体」の路線を望んでいました。

しかし、朝廷の大半を占めていたのは、武力による鎖国を目指す攘夷派。

同じ攘夷でも、天皇が望むのは交渉による攘夷で、武力行使を訴える攘夷派とは考えが食い違っていたのです。

そんな天皇の意を汲み、中川宮が主導したのが1863年の「八月十八日の政変」

朝廷内の攘夷派公家、過激な攘夷を唱えていた長州藩士らが京都から排斥されることとなるのです。

日米修好通商条約の騒動からここまで、その行動が一貫して天皇の意志に忠実なことがわかります。

ただ、孝明天皇は1867年に崩御。

これによって攘夷派の公家が復権したことで、中川宮は瞬く間に求心力を失っていきました。

1868年に新政府が成立した折は、攘夷派からの恨みも相まって失脚し、安芸国あきのくに(広島)にて幽閉の身となってしまいます。

このとき、中川宮は政府に背き、第15代将軍・徳川慶喜と裏で通じていた罪に問われているのですが、実はまったくの冤罪なのです。

攘夷派が幕府とその協力者に恨みを募らせ、倒幕にいたる。

その流れを象徴するかのような中川宮の処遇。

渋沢栄一から見ると関係性は薄い人物ですが、この時代のキーパーソンであることは紛れもありませんね。

ドラマでも、天皇の補佐に奔走する姿が見られるでしょう。

 

維新後は神道と仏教の振興に貢献

維新後、中川宮は1872年に謹慎解除となり、皇族に復帰

1875年には、昭和天皇や平成の明仁天皇につながる、久邇宮くにのみや家を創設しました。

また明治初頭というのは、廃仏毀釈はいぶつきしゃくの政策にのっとり、神道が台頭しはじめる時期。

中川宮はこの政策にも積極的に協力しています。

1889年、伊勢神宮式年遷宮においては、祭主として儀式を先導。

式年遷宮は、伊勢神宮にて20年おきに行われるもので、神様に新しいお宮に移ってもらうという名目で、社殿などが一新される催しです。

対象は納められている宝物などにも及ぶため、一度に550億もの費用が必要という話。

ここまで大規模な儀式が飛鳥時代から1300年も続いているということに、日本人の民俗信仰の強さを思い知らされますね。

このほか、神社に従事する神職の教育機関として、神宮皇學館を創設したのも中川宮だったりします。

そして、中川宮の活動において興味深いのは、神道と同時に仏教も振興していた点。

廃仏毀釈といえば、寺院の取り壊しなどが相次いだことから、仏教弾圧のイメージをもつ人も多いですよね。

しかし中川宮は

・奈良・興福寺復興を目指した興福会

・延暦寺復興を目指した崇叡すうえい

の会長を務めるなど、弾圧とは正反対の行動を取っているのです。

廃仏毀釈は本来、仏教と神道の棲み分けを明確にしようというだけの政策。

仏教の弾圧は、政府の意図を勘違いした民衆によって行われたことでした。

幕末期には攘夷を巡り、世論と天皇の食い違いを正そうとした中川宮。

維新後もその姿勢は変わらず、政策を正しくとらえ、世論との食い違いを正すべく奔走していたのです。

 

きょうのまとめ

幕末期、天皇の補佐という大役を果たした中川宮。

二度の謹慎という辛酸をなめさせられましたが、それも時代の混乱ゆえのこと。

その動向を辿ると、常に本質を見定める冷静な視点の持ち主であることがわかります。

最後に今回のまとめです。

① 中川宮は仁孝天皇の養子となり、法親王として出家。天台座主や護持僧を務め、仏教界のトップとして活躍した。

② 幕末の動乱に際して還俗し、朝廷にて孝明天皇の補佐を務める。攘夷派公家、長州藩を排斥する「八月十八日の政変」を主導した。

③ 維新後は、伊勢神宮の祭主を務めるなど、神道の振興に貢献。同時に仏教の再興にも尽力する。

中川宮は、孝明天皇から見れば7つ年上の兄。

自身の意を曇りなく汲んだその采配を、天皇もさぞ頼りにしていたことでしょう。

 

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