俳人・正岡子規の名言|34年の生涯における子規の価値観とは

 

明治の世において、わずか34年という短い生涯の間に、廃れていた俳句や短歌をもう一度普及させるという、俳人としてこの上ない功績を残した正岡子規まさおかしき

病人でありながら活発で行動的だった彼の過ごした人生は、短いながらに濃厚なもので、特筆すべき出来事にも事欠きません。

そして彼の名言ひとつをとっても、行動あってこその説得力を感じることができます。今回はそんな名言を辿ることで、子規のその人となり、生涯に迫っていきましょう。

現代に生きる私たちにも、きっと活かせるヒントがあるはずです。

 

正岡子規の名言

正岡子規

正岡子規
出典:Wikipedia

人生を振り返っての名言

子規
為すべきと思ひしことも為し得ぬこと多く、為すべからずと信ぜしこともいつかはこれを為すに至ることしばしばなり

「やってやる!」と勇み足で挑戦しても望みを成し得ないことは多く、思ってもいなかったのに、いつの間にかそうなってしまうこともしばしばある。

この名言の通り、子規の人生は振り返ると、思い通りにいかないことだらけでした。

自由民権運動に触発されて政治家を志したはずが、大学に通ううちに文学に傾倒していき、挙句は中退して新聞記者に。

日清戦争の従軍記者を自ら志願したときだって、戦地へ出向いた2日後に終戦を迎え、その役目を果たさずに終わっています。

何より一番予定外だったのは、生涯付きまとうことになる結核を患ってしまったことですが…。

ただ子規が俳人の道に生涯を費やすことになったのは、自身が病気だったことも無関係ではないでしょう。

彼が自由に動き回れる体なら、もっと別の道を志したかもしれません。

そうやって人は、自分の置かれた状況に合わせて、徐々に道を見定めていくということを、子規は以下のような言葉で言い表しています。

子規
人の希望は、初め漠然として大きく、後、ようやく小さく確実になるならびなり

子規が俳人の道を歩んだのも結果論であって、やってみないと才能などわからないものです。

いろんなことに挑戦して、徐々に自分に合うものにシフトしていけばいいのですね。

自身の作風に関する名言

子規
文章は簡単ならざるべからず、最も簡単なる文章が最も面白きものなり

文章は簡単にしなければいけない。簡単な文章が一番おもしろいのだ…という名言です。

人に見せる文章を書いていると、どうしても専門用語や、難しい言い回しを使いたくなるもの。

しかしその文章を読んだ人が理解できなければ、どれだけかっこよく仕上げたところで、おもしろい文章ではありません。

子規の俳句には、まさにこの言葉を体現したようなものが多数あります。代表的な例を挙げると、評論家の間で物議をかもした以下の句になるでしょう。

鶏頭の 十四五本も ありぬべし

これは子規が病床に伏すなか目に入ってきた、庭に咲く鶏頭の花の様子を表したもの。

「鶏頭の花が14~15本は咲いているかなあ…」というこの句に対し、当初は「俳句ではなく、ただの報告だ」とする評論家も少なくありませんでした。

ただ後の時代になって、この句を評価した人たちは、「身動きの取れない子規にとって、庭の景色が変わっていくことにどれだけ感慨深いものがあったかを表している」と言っています。

たしかにこれが変にシャレた言い回しで書かれた句なら、何気ない景色の変化に感動を覚えた子規の心情は感じられないでしょう。

また子規は評価の分かれる自身の句について、こんな言葉も残しています。

子規
駄句は捨てずに書きとめておかねばならない。自分の作った句を粗末にして書きとめておかぬ人は、とてものこと、一流の作者にはなれない。

自分のダメなところを受け入れなければ、上達していくことはできないということでしょうか。

子規はどんなに評価の低い句でもすべて残しておいたから、鶏頭の句のように、後になって頭角を現す作品も出てきたといえます。

闘病生活における名言

子規
病気の境涯に処しては、病気を楽しむという事にならなければ生きていても何の面白みもない

「病気を楽しむ」という言葉は、いかにも子規らしい言い草です。

彼は22歳で結核を患っており、病気で倒れながらも作品集『七草集』を完成させ、親友の夏目漱石に披露しています。

また日清戦争には病気の身ながら、周囲の反対を押し切って出向き、晩年も執筆や俳句会の主催などを積極的にこなすなど、いつでも活動の勢いを弱めようとはしませんでした。

そして子規の句には、闘病そのものを楽しんでいるように感じさせるものが多数あります。

いくたびも 雪の深さを 尋ねけり

起き上がれない子規は、雪が積もっていても、実際にその深さをたしかめに行くことはできません。

だから看病してくれる妹の律や、母の八重に、何回も「どのぐらい積もっている?」と聞く。

人の話から空想を膨らませるというのも、子規の病床の楽しみ方のひとつだったのでしょう。

先が長くないとわかって生きると価値観も変わってくるもので、子規はこんな言葉も残しています。

子規
この百日という長い月日を経過した嬉しさは人にはわからんことであろう

晩年の子規にとっては、1日を無事に過ごせること自体が喜びにあふれていたのでしょうね。

子規の親友、夏目漱石の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「夏目漱石とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 

きょうのまとめ

正岡子規はその生涯の大半を病床で過ごしたこともあり、その名言にも死生観を問うようなものが多いです。

彼のような生活は普通に暮らしていれば縁遠く感じることですが、その名言を辿っていると「自分にもいつやってくるかわからない」と、気が引き締められる思いがします。

最後に今回の内容を簡単にまとめておきましょう。

① 子規の人生は決して思い通りのものではなかった。才能はどこにあるかわからない

② 難しい言い回しではなく、簡単でわかりやすいものこそ面白い文章だと子規は考えていた

③ 身動きの取れない子規にとって、1日生きられることは喜びにあふれていた

短い生涯を遂げた子規の見ていた世界は、健康な人たちからすれば非日常です。

だからこそ、逸話も貴重なものになり、価値が出てくるのでしょうね。

 
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