「切手」「郵便」と命名!前島密が郵便制度を作り上げるまで

 

明治のはじめ、日本で郵便制度の土台を築き上げたのが

前島密(ひそか)です。

「 日本近代郵便の父 」とも呼ばれる前島密ですが、具体的にどのような経緯で郵便事業を始めたのでしょうか。

そこで今回は前島密と郵便制度について、簡単にご紹介していきます。

 

日本近代郵便の父・前島密

それでは、前島密が「 日本近代郵便の父 」と呼ばれるまでを簡単に振り返っていきましょう。

郵便制度の必要性を主張

明治新政府に出仕した前島密は、民部省の改正掛(かいせいかかり)というところで働いていました。

改正掛とは日本が近代国家へと成長するためにはどうしたら良いのか、考えるための部署です。

渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)を中心として、改革案の話し合いなどが行われていました。

やがて前島密は、「 駅逓司(えきていし) 」(※)という役所の実質的な長官に任命されます。

※駅逓司は交通通信を担当していました。

しかし、そのときに通信の不便さを実感したのだとか。

そこで前島密は、日本の近代化には通信・交通のインフラ整備が不可欠であると主張しました。

改正掛の会議でも賛同を得ることができ、その仕事を任されるようになったのです。

イギリスで制度を視察

明治三年(1870)、前島密はイギリスへと渡ります。

任務は、鉄道建設借款契約締結のために派遣された上野景範(かげのり)という人物の随行でした。

イギリスは1840年代、世界に先駆けて近代郵便制度を始めた国。

前島がイギリスを訪れたときには、郵便はすでに一般的な通信手段となっていたのです。

切手や均一料金制により、誰でも郵便を送ることができました。

さらに郵便局では、郵便為替・郵便貯金なども取り扱っていたそうです。

そこで前島密は公務の合間、熱心に郵便局の業務を学んだといいます。

帰国後 郵便制度の基礎作り

明治四年(1871)、前島密は帰国します。

そのときはすでに、前島の後任を務めていた杉浦譲(ゆずる)によって、郵便の取り扱い自体は開始されていました。

駅逓頭(えきていのかみ/大臣)となった前島密は切手を発行、翌年には全国(※)へと郵便網を広げました。

※当初は東海道~大阪間のみ、実験的に導入されていました。

さらにその一年後には均一料金制を導入するなど、まさに「 日本近代郵便の父 」の名にふさわしい功績を残したのです。

「 郵便 」「 切手 」は前島密が命名した

普通切手になっている唯一の人物

郵便事業への多大な功績により、現在も一円切手になっている前島密。

調べてみたところ、現行の普通切手で人間は前島ただ一人でした(2018年4月現在)。

他は動物や植物、景色などです。

ここからも、前島密への尊敬の念が感じられますね。

新しい日本語を作ることに

さて、前島密は明治初期に日本に新しいシステムを取り入れたわけですが、

するとそれにまつわる用語の日本語が必要になってきますよね。

実は「 郵便 」や「 切手 」という言葉を考えたのは、前島密といわれています。

「 切手 」はなぜ切手なのかというと、古くから日本では「切符手形」という言葉があり、

それはお金で得た権利を証明する紙のことを意味していたそうです。

そこで当時の人々になじみのある「 切符手形 」を略して「 切手 」にしたとか。

さらに「 はがき」 に「 葉書 」という漢字をあてたのも、前島密だそうです。

きょうのまとめ

今回は前島密と近代郵便制度について簡単にご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

① 前島密は日本の近代化には郵便制度の確立が必要だと考えた

② イギリスに渡った前島密は一生懸命、近代的な郵便事業について勉強をした

③ 帰国すると郵便事業の基礎作りを進め、「 切手 」や「 郵便 」という日本語まで作った

こちらのサイトでは、他にも前島密にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひご覧になってくださいね!

 

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