アメリカ合衆国第16代大統領を務めたエイブラハム・リンカーン。
偉大な大統領として慕われた一方で、その死因は「暗殺」という衝撃的な最期を迎えています。
アメリカ史上初の大統領暗殺の被害者となったリンカーン。
今回は、その死因となった暗殺事件について一緒に見ていきましょう。
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リンカーン大統領暗殺事件
ここでは早速、リンカーン大統領の死因となった暗殺事件について簡単にご紹介していきます。
事件当日
事件が起きたのは、1865年4月14日の午後10時頃。
リンカーン大統領は、ワシントンD.C.にあるフォード劇場で観劇中、背後から後頭部を銃で撃たれたのです。
犯人はジョン・ウィルクス・ブース(以下、ブース)という人物で、当時有名な舞台俳優でした。
しかし、彼の他にも暗殺事件に関わった人物は最低でも8人はいたとされています。
リンカーンの死因
左耳の後ろの辺りから銃口を当てられ、その弾丸を受けたリンカーン。
その死因は確かに銃弾による致命的な外傷がもとでした。
しかし実は、その場ですぐに亡くなったわけではありませんでした。
事件現場となった劇場の向かい側に位置していた民宿で、翌朝7時過ぎに息を引き取ったのです。
そのため、現代の医療技術を用いることができていれば、リンカーン大統領は命を落とさずに済んだかもしれない、という見解もあります。
暗殺事件の背景
ここでは、リンカーン大統領暗殺事件の背景と、犯人のその後についてご紹介します。
当時の情勢
リンカーンの死因となった暗殺事件が起こった背景には、やはり政治的な問題が絡んでいました。
当時はまさにアメリカ南北戦争の末期。
南部の連合軍の一部が、リンカーンが主導する北軍に降伏した5日後のことでした。
犯人となったブース含め首謀者たちは南軍を支持していた為、奴隷解放に向けて尽力していたリンカーンを恨んでいました。
そしてリンカーンを誘拐し、最終的には副大統領や複数の政治家たちをも暗殺する予定だったのです。
そこには、ワシントンを混乱の渦に陥れることで形勢を逆転させる狙いもありました。
大統領を誘拐する企ては、実は既に何度か実行されていたのですが、ことごとく失敗。
しかし、明らかにはなっていない複数の協力者たちも関わる計画的な事件でした。
犯人たちのその後
暗殺という衝撃的な死因により、突然亡くなったリンカーン大統領。
その事実により世間は大きな混乱に見舞われるかと思いきや、ブース以外の共犯者たちは副大統領や他の政治家たちの暗殺に失敗。
これにより、ブースたちの思惑も失敗に終わりました。
ブースと共犯者の一人は約12日間の逃亡の末、農場に隠れていたところを発見されます。
そして主犯のブースは投降を拒否した為、隠れていた小屋に火が放たれその場で射殺されました。
その後、共犯者として捕らえられた8名の人物が軍法会議という形で裁判にかけられます。
判決は全員が有罪。
4人が絞首刑となり、3人が終身刑、1人が懲役6年の刑に処されました。
暗殺事件のその後
ここでは、暗殺事件の顛末を見ていきます。
大統領の死
大規模捜索の末、首謀者たちの逮捕により、アメリカ史上初の大統領暗殺事件は幕を降ろしました。
リンカーンの死は国中に大きな影響を与え、多くの人々が彼の死を悼み、葬儀には数万人の人々が参列しました。
しかし事件を巡る裁判では、
・絞首刑となった共犯者の一人には、死刑に値するほど事件に関与していたのか疑問視される人物がいたこと
・この9人以外にも隠れた協力者が多くいた可能性があること
など、非難や疑問の声も挙がっています。
リンカーン大統領の死因となったこの暗殺事件は、不透明さが残るものとなりました。
ちなみに絞首刑となった共犯者の一人、メアリー・サラットは、アメリカ史上初の女性で死刑宣告された人物となります。
わだかまり
リンカーンが黒人たちに人権や投票権を持たせようとしていることに反対だった、ブースたち首謀者。
しかし、リンカーンの死によって改めて大統領のその功績は国中に知れ渡りました。
ただし皮肉なことに、黒人への反発的な傾向は、白人至上主義団体の台頭や地域での差別的な政策によって続くこととなったのです。
きょうのまとめ
今回は、アメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンの暗殺事件についてご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか。
彼は功績と共に、その死因についても印象的な大統領となったのです。
ご紹介した内容を簡単にまとめると
① リンカーン大統領の死因は銃による外傷だった。
② 死因となった暗殺事件には、南北戦争での政治的な問題が絡んでいた。
③ この事件により、リンカーンはアメリカ史上初の大統領暗殺の犠牲者となった。
リンカーン大統領および側近たちの暗殺により、形成を逆転させ南軍を有利にしようとしていたブースたち首謀者。
しかし結果的に大統領暗殺以外は失敗したことで、北部の勢力が弱まることはなく、南軍のリーダーたちは次々に降参。
それどころか、穏健派だった大統領を失ったことで、その後南部の人々のアメリカ再統一への道のりはさらに苦しいものとなったのです。
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